たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

東海岸から六甲まで 村上春樹著『辺境・近境』

家の保持がロンの役割なら、スーは料理の担当である。彼女は素晴らしい朝御飯を作ってくれる。キャロット・ブレッド、ピーカン・マフィン、グラノーラ、パンケーキ、ぜんぶ手作りで、大変においしい。ここはいわゆるベッド・アンド・ブレックファストで、食事は朝しか出ないが、毎朝この朝食を食べるのが楽しみだった。(イースト・ハンプトン)

教会の前の大きな広場では市が立っているが、これは地元住民のための必需品や食品を売っている市であって、我々の興味をそそるようなものはあまりない。売っているのは干し魚、さとうきび、椰子の実、レモン、バナナ、といったものである。僕はここの屋台で茹でトウモロコシと卵のタコスというのを食べた。卵のタコスというとなんだかおいしそうだけれど、要するに冷えたゆで卵をトルティーヤで巻いて食べるだけのものである。はっきり言って、べつにうまくもなんともない。
それから物売りの女の子から小さな飾り紐をふたつ、500ペソで買った。(サン・ファン・チャムラ、メキシコ)


彼はトロントから1時間くらいの距離にある山の中に隠遁用のコテージを持っていて、僕らはそこに泊めてもらった。ずいぶん山深いところで、ビーバーやヤマアラシや鹿、狼、ラクーンなんかが出てくるということである。ワインを飲み、ボブ・ディランの古いレコードを聴き(そう、我々はその世代なのだ)、サーモンを焼き、庭で摘んできたアスパラガスを食べた。

1日の平均走行距離はおおよそ500キロ。2人で交代で運転し、どこから眺めても非印象的なモーテルに泊まり、朝にパンケーキを食べ、昼にはハンバーガーを食べる。毎日が同じことの繰り返しだ。

西部のたいていの金鉱の町は、今ではみんなゴーストタウンになっているが、このウォーレンだけは今でも現役の金鉱の町である。というか、現役のゴーストタウンである。というのは、ここにはまだ人が20人くらい住みついて細々と金を掘っているからだ。だからそういう人たちを相手にする小さなサロンみたいなバーが一軒だけある。それ以外には店もなにもない。生活物資はヘリコプターで運ばれてくる。この町にいると、なんだか歴史の流れに置き忘れられた場所にふらりと入り込んでしまったような気がする。僕はこの町のバーに入って、冷たいバドワイザー・ドラフトを飲んで、マッシュルーム・ハンバーガーを食べた。ウェイトレスは特に冷酷ではなかったけれど、「食べ終わったらすぐに出て行っていいんだよ」というような感じではあった。

となりの阪急岡本駅に着いたら、そこでどこでもいいから喫茶店に入ってモーニング・サービスの朝食でも食べようと思う。考えてみれば朝から何も食べていないのだ。でも実際には、朝から開いている喫茶店なんてどこにも見あたらなかった。そうだ、ここはそういう種類の町ではないのだ。しかたなく国道沿いのローソンでカロリーメイトを買い、公園のベンチに座ってひとり黙々とそれを食べる。そして缶入りのコーヒーを飲む。
(中略)
その次の御影駅にも、残念ながらモーニング・セットは存在しなかった。僕は温かい濃いコーヒーと、バターを塗った厚切りのトーストを深く夢見ながら阪急電車の線路に沿って黙々と歩き続け、相変わらずいくつもの空き地といくつもの建築現場を通り過ぎる。
(中略)
阪急六甲駅前で、ささやかに妥協をしてマクドナルドに入り、エッグマフィン・セット(360円)を注文し、深い海鳴りのような飢えをようやく満たし、30分の休憩をとる。

映画館を出るともう夕方近くになっている。散歩がてら山の手の小さなレストランまで歩く。ひとりでカウンターに座ってシーフード・ピザを注文し、生ビールを飲む。(中略)
運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816? 僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう? そういえばガールフレンドと何度かこの店に来て、同じように冷たいビールを飲み、番号のついた焼きたてのピザを食べた。僕らは将来についていろんなことを話した。そこで口にされたすべての予測は、どれもこれも見事に外れてしまったけれど……。(中略)
2杯目のビールを飲みながら、『日はまた昇る』の文庫本のページを開き、続きを読む。失われた人々の、失われた物語を。僕はすぐにその世界に引き込まれる。

 村上春樹著『辺境・近境』より

イタリヤのスパゲッティ 三浦光世著『綾子へ』

船酔いしないのは「揺れに対して抵抗しないから」ではないか、という考察は興味深い。

午後1時札幌を発ち、4時半登別着、登別では中級の五色旅館に泊まった。この宿はこのちに焼失した。もし焼けなければ2人で再訪したことであろう。この旅館で夕食にブリの刺身が出た。翌25日の朝食にもまたブリの刺身だった。昨夜の残りではないかと思った。朝食を摂らぬ私は、このブリの刺身は食べず、綾子だけが食べた。

大きな客船であった。乗客たちはみな吐きつづけていた。私も苦しくて横になって耐えていた。
が、1人綾子は平気で、弁当の海苔巻きであったか、旨そうに食べていた。おそらく子供のように、揺れに対して抵抗しないからではないかと思った。

6時、燭火礼拝と注文の親子どんぶりで、ささやかにクリスマス・イブを祝う。

しかし、朝からの準備は何といっても大変だ。食事担当のスタッフたちも忙しい。昼食は店屋ものの握り飯を出す。が、20人からの味噌汁、ポテトサラダ、ハムなどを添えなければならない。この昼食時がまた楽しい。

食物には副作用はなく、綾子は何でもよく食べた。彼女が絶対に嫌ったものは、何であったろう。なかったような気がする。麺類も好きで、ソバ、ウドンも好んだ。私にはさほどうまいと思えないスパゲッティも好物のようで、取材でイタリヤに行った時、巧みにフォークを絡ませて食べていたのを覚えている。

トロロも好きなものの一つだったので、私はよく長芋を擂りおろし、熱いタレをかけて搔きまぜ、本格的なトロロ汁を時々作ってやった。むろん、彼女自身、私に作ってくれた料理も、テンプラをはじめ少なくない。私の姪隆子が一緒に住んでいた頃は、むろんこの姪に何でも作らせていた。握り鮨も姪は中々上手に作り、綾子は実によく食べた。

私が作ってやったものの中では、蟹味噌の味噌焼がある。毛蟹の甲羅の中に味噌がある。この部分が一番うまいが、これに等量より少なめの生味噌を混ぜ、お湯を数滴垂らして火にかける。甲羅からもじわじわと脂が出て、実にうまい味になる。ご飯の上に少しずつ載せて食べると絶妙だ。綾子は喜んでよく食べたものだ。

朝食の粉ミルク以外は、昼食夕食共、七分搗き米の飯軽く一膳、味噌汁、野菜の煮付、ポテトフライ等であった。時にはパン食と、ポタージュスープを摂ることもあった。
ところで、綾子も私も果物が大好きであった。この点、実に似た者夫婦と言えた。バナナ、リンゴ、スイカ、サクランボ、ミカン類、アンズ、パパイヤ、メロン、イチゴ等々、果物であれば何でもよかった。間食には食べなかったものの、食後のフルーツとしてよく食べた。

綾子の好きなものに、トウモロコシ、南瓜、そして馬鈴薯があった。馬鈴薯は保存がきくので、毎日のように食べた一時期があった。(中略)
「ここで勤めさせていただいて、全く文句はなかったけど、只一つ、毎日じゃがいもの塩煮を食べさせられたのには、参りました」
そう言えば、ほとんど毎日馬鈴薯の塩煮が昼食に出た。わが家に勤務する者は当時から現在に至るまで、スタッフたちは皆、わが家の提供する昼食を摂ってきた。それにしても、来る日も来る日も、馬鈴薯の塩煮を食わされては、さぞかしうんざりしたことであろう。

その後、唐揚げ、イモサラダ、塩煮に澱粉を混ぜた団子など、変化することになったが、裕子秘書の率直な一言はありがたかった。食事の担当者は当時から現在までで4人目となる。どうしたわけか、3人目までの担当者たちは肉ジャガを作ったことがない。

わが家では、私が時に料理を作ることは先にも書いた。その中に掻き卵がある。綾子はこれが好きで、よく作ってやった。料理というほど大げさなものではなく、ダシ汁を小さな鍋に適当に入れ、コンロにかけ、煮え立ってきたところへ、といてあった卵をさっと散らす。半熟そこそこで火をとめる。これででき上がり。これを飯の上にかけてもよいし、お菜として食べてもよい。これを綾子は好んで食べた。

三浦光世著『綾子へ』

シンプルごはん 渡辺葉『おさかなマンハッタンをゆく』

日経WOMAN連載時からの読者。大切な1冊である。

料理は苦手だからと、ミレナはオーストラリアとニュージーランド名物のデザート「パブロヴァ」をつくることになった。これは固く泡立てたメレンゲを大きなリング型に焼いて、その上に苺やラズベリー、ブルーベリーなどの果物をかける、目にもきれいでふんわり軽いデザートだ。それじゃあ料理は私が、と引き受けて、さっそくメニューづくり。パーティーだから簡単につまめるものがいい。野菜のクルディテに、3種類のディップ。グリュイエール・チーズ入りのシュー「グージェール」も楽しいかもしれない。ほかには…サーモンのキーシュ? 中近東風ミートボール? ワインやシャンペンも買わなくっちゃ!
私たちのはじめてのパーティーは大成功だった。次から次へと20人ほどの友人たちが集まってくれ、みんなでしゃべり、笑い、踊った。

鼻の頭がキュン、と冷たくなるのを手袋をはめた手で抑えながら、アスター広場を横切った。
カフェに入りコーヒーとベーグルを注文する。胡麻のついたのを、トーストしてバターを塗ってもらう。オーディションで待ち時間が長いのは嫌ではない。こうしていったん外に出て一息いれたり、会場でウォームアップする時間があるほうがリラックスして臨めるから。朝ごはんを終えて会場に戻ると、リストにはさらに人が増えていた。

セント・マドンナ山の公園内にはところどころに木のテーブルとベンチがあり、石でつくったかまどがあった。火をおこし、とうもろこしを焼く。山の上は空気もひんやりして、杉の木立から降り注ぐ日射しが気持ちいい。そばの水道に水を汲みにいく。家族で山に行くなんて、子供のころ以来だ。火のところに戻ると、弟がクーラー・ボックスから取り出したチョリソ・ソーセージを焼こうとしていた。ところがこのソーセージ、焼くと溶けてきてしまう。しかたがないので鍋でトマトと一緒に煮ることにした。
さて、こういうときにはやはり冷たいビールだ。筋金入りのビール呑みの父を喜ばせるのは結構大変なのだが、弟が持ってきたサンフランシスコの「アンカー・スチーム」という銘柄のビールは気に入ったらしい。これは琥珀色の苦みのきいたビールで、黄金色で軽い日本のビールとギネスのように強い黒ビールの中間くらいのコクがある。鍋のなかのチョリソ・シチューは怪しいオレンジ色にぐつぐつ煮えてきた。見た目はものすごいけれど、トルティーヤチップスにつけて食べると、熱くてスパイシーでなかなかおいしい。

渡辺葉著『おさかなマンハッタンをゆく』

ありがたいなさけ飯 福島敦子『就職・無職・転職』

いわゆるメディアで話すアナウンサーというのは努力したからといってなれる職業ではないだろう。福島氏が就活をしていたネットなき時代ならなおさらだ。そういう中での極限までの努力に驚嘆した。脱帽。

最初は厳しかった先生もゼミが開講してしばらくすると、週末に何回か私達を世田谷の自宅に招いて夫人の手料理をふるまってくれるようになった。ジャガイモをつぶすところから作りあげたコロッケ、和風の野菜の煮込みといった、どれも心のこもったもので、学生食堂の味に慣れた胃袋には、この上ないおいしさだった。

寮の食堂といえば、どうしても味が単調になりがちなのが一般的だが、おじさんのつくるものは、どの品をとっても文句のつけようのないおいしさだった。
さばの味噌煮や芋の煮っころがしといった和風から、グラタンや鮭のムニエルといった洋風おかずまで、レパートリーは広く、味も天下一品である。
おじさんの優しい人柄と、心のこもった暖かい手料理のおかげで、うら若き乙女(?)のひとりぼっちの夜の食事の淋しさはまぎれ、疲れ切った身体もやがて蘇生してくる。

何せ無輸入の身なので、無駄遣いは絶対に禁物と、外食をすることはなかった。自炊にしても、できるだけ安くて、お腹がふくれるものということで、よくお世話になったのは「もやし」。一つのパックに結構たくさん詰まっていて、値段も20円から30円という安さは他にはない。

所持金が減る一方の私にとって「もやし」の存在は、なくてはならないありがたいものだった。
「もやし」をベースにした献立は、その日の気分で幾通りにもなった。基本的にはフライパンで炒めるのだが一緒に入れる材料は、ある日は豚肉、少しだけ気持ちに余裕のある日はふんぱつして牛肉、またある日はニンジンやナスといった野菜だけ、時には「もやし単品」といったシンプルこの上ないメニューの日もあった。
くいしんぼうの私にとって、それまでは考えられなかったわびしい食生活で、よく耐えられたものだと思う。

私がお金に困っていたことは、アカデミーの友人たちもよく知っていたので、近くに来た時は必ずといっていいほど、ホットドッグやおにぎり、はてはプリンといったデザートの類まで差し入れてくれた。

紹介した料理は、決して贅沢品ではなく、きらびやかでもない。その土地にしっかり根ざし、そこで生活する人の知恵から生まれた”土”の匂いのする料理ばかりだった。
三重県志摩の漁師さんが、生の鰹の切り身を御飯にまぶして船の上で食べる「手こね寿司」、岐阜県高山の「ほう葉味噌」や「栗きんとん」、そして名古屋名物の「みそ煮込みうどん」。
こうした郷土料理のルーツを訪ね、昔ながらの味を守り続けている人たちに話を聞くのは、「食」を通してその土地の歴史をひもといていくような興味があった。

福島敦子著『就職・無職・転職』

<おまけ>
↓日本政府、何も変わってないじゃん。これ20年前(1995年)に出た本だよ…最低すぎる...

私が親しくしていたのはやはり一緒にいる時間が長かったルームメイトのキムとエレーナ。特にキムは同じアジアから来たということで、日本と韓国の関係について、ざっくばらんに話をすることが多かった。
キムは日本の最先端のテクノロジーをはじめとする戦後の急成長に、敬意をはらっていたが、人間としての日本人は好きになれないと言っていた。18歳ではあるが、やはり日本と韓国の悲しい歴史を、祖父や親から聞かされて育ってきたからだという。
戦後補償にしろ教科書問題にしろ、日本政府の対応には誠実さが感じられないと言うのだ。

喫茶店のナポリタンと被災地のおにぎり『絶唱』

ハアタフビーチに着くと、「そろそろお昼にしようか」と言われた。トンガダブ島、西の端の海岸は真っ白い砂浜に青い海、青い空といいかんじにわたしの理想に近づいてきた。
白人夫婦の経営するオープンスタイルのカフェで、尚美さんはわたしのと二人分、ハンバーガーを注文した。プレートの上には、バカでかいハンバーガーに溢れんばかりのフライドポテトが添えられていた。これが一人分かと驚いたけれど、この国の人たちの体型を思い浮かべると納得できる。顔より大きなハンバーガーに思い切りかぶりついた。

タロイモの蒸し焼き、タロイモの葉とコンビーフのココナッツミルク煮、パパイア。物珍しさ込みでおいしいと思ったけれど、これが毎日だと少しきつい。

小屋の中にいるトンガ人のおばさんに、「マロエレレイ」と挨拶をして、厚手のクラッカーのようなものを指さした。「マーパクパク」とおばさんは言った。ビニール袋に20枚入って、60セント。セント? どうやら、いちいちパアンガと言わなくても、ドルで通用するみたいだ。缶コーラも指さした。日本で売っているのと同じだ。これは1パアンガ。おばさんは奥の冷蔵庫から冷たいのを出してくれた。

誰もいない砂浜に座って、コーラを飲み、マーパクパクを3枚食べた。意外とおいしい。ジャム、いや、ピーナッツバターを載せるともっとおいしいはずだ。

教会から帰ったあとは、朝から仕込んでいたごちそうを食べるらしい。
庭に出ると、こんもりと盛った土の上で乾燥した椰子の葉が燃えていた。たき火の匂いにココナッツミルクの匂いが混ざり、南の島の匂いが漂いはじめる。
普段着に着替えた男の子たちがスコップで火を消して、土を掘り起こすと、花恋の背丈より大きなバナナの葉が現れた。それをめくると、大きなイモとアルミホイルに包まれた料理が並べられていた。トンガの伝統料理「ウム」だ。イモはタロイモ、アルミホイルに包まれた料理はループル、尚美さんの部屋で食べたのと同じものだった。

できたてのループルは甘くて、しょっぱくて、南の島の味がした。裕太はココナッツミルクが苦手だけど、これなら、いや、ここで食べたらいけるかもしれない。花恋はおかわりをして食べている。

夕方からのパーティーにビーフカレーを100人分作ってほしいと頼まれたことがある。他のごちそうもあっての100人分だから、1人で作れない量ではない。

トンガ人たちだって、この牛を使ってもっと手のかかる料理を作らなければならないし、メインの豚の丸焼きだって準備しなければならない。が、勝負はここからなのだ。

メインに大きなロブスターがついてくるコースとニュージーランド産のワインを注文して、街中を散策したことを話した。

コンビニのおにぎりは好きじゃない。
米も海苔もほとんどの種類の具もおいしいけれど、その存在が好きとは言えない。だけど、世話にはなっている。多分、そこら辺の人の3倍くらいは、世話になっている。
テーブルに2個、おにぎりを置く。今日はシーチキンマヨネーズとおかかだ。
「花恋、おにぎり置いとくから、6時になったら食べるんやで。このあいだ、梅干しほじくりだして残しとったけど、今日は魚やから、絶対にやったらあかんで。子どもにはカルシウムが必要なんやからな」
5歳の子どもの夕飯に、おにぎり1つは少ないが、2つになると少し多いようだ。

「なんんか、コンビニ行くの面倒やし、1個はおやつにして、もう1個を晩ごはんにしてもええな。ポテチも残ってるし、今日の晩ごはんは、シュークリームとポテチに決定や。豪華やな」
「ヤッター」
花恋が両手をグーにして振り上げた。ガッツポーズとバンザイが合わさった、最強の喜びのポーズだ。
「シュークリームには卵と牛乳が入ってるから、カルシウムが十分にとれるし、ポテチはじゃがいもやから、野菜やし、栄養満点やな。そうや、一緒に牛乳も飲んどき。カルシウム祭や」

椰子の実にストローが刺さった飲み物を買う。ぬるくて、まずい。バナナケーキとミートパイを買う。まあまあ、おいしい。ボンゴというスナック菓子を買う。バーベキュー味。花恋はこれがお気に入りのようだ。

クジラは見られなかったが、シュノーケリングをして熱帯魚をたくさん見た。
おなかいっぱい、ロブスターを食べた。スイカとパイナップルも食べた。

セミシさんの写真が並ぶ部屋で、あたしは、セミシさんの奥さん、ナオミさんにセミシさんとの思い出を記憶の限り語った。
セミシさんの作ってくれる料理の中で、一番好きなのはやきそばだったこと。普通のソースやきそばのはずなのに、再現しようとすると、なかなかその味に辿りつけないこと。10歳だったあたしは子どもの中では年長のような気がして、おかわりはなるべくしないでおこうと遠慮していたのに、やきそばがおいしすぎて、つい、おかわりをしてしまったこと。どうぞ、と差し出されたおかわりのやきそばは、温かく、麺が少しこげておせんべいのようになっているところがあって、とてもおいしかったこと。
「あれはね、だしの素を入れていたのよ。かつおと昆布の合わせだし」
ナオミさんが種明かしをしてくれる。
「でも、スーパーに行ったけど、だしの素なんかありませんでしたよ」
「トンガにそんなもの、ないない。だしとか、うま味っていう概念はないはずよ。だからこそ、セミシはだしの味が大好きで、何にでも混ぜていたの」

パレードの最中に貧血を起こして倒れてしまったわたしを、尚美さんは背負って自宅に連れ帰り、洗い立てのシーツを敷いたベッドで寝かせてくれたあと、フレンチトーストとパイナップルジュースを作ってくれましたね。分厚く切った柔らかい食パンの中まで甘い卵牛乳がしみ込んで、おいしくてたまらなかったのに、わたしはフォークを置き、ごめんなさい、とだけ言って逃げ帰ってしまいました。

夕方、泰代が急に喫茶店のナポリタンを食べたいと言い出し、西宮駅前から商店街にかけてさんざん彷徨った末、商店街から自転車がぎりぎり通れるほどの路地に入り、なんとなく海側に向かってあみだくじのように歩き続けていると、営業しているかのかどうかもわからない、元は白だったと思われるグレーの壁に蔦のからまった喫茶店を見つけ、ダメ元でドアを開けて訊ねたところ、ナポリタンやってるよ、と仙人のようなおじいさんに言われ、作ってもらったのです。
おまえの職業は何なのだと、ボキャブラリーの貧弱さを笑われてしまうかもしれないけれど、美味しかった。すごく、美味しかった。

翌朝、3人でトーストとカップスープと魚肉ソーセージの朝食を取りました。テレビをつけると、死亡者の数が桁違いに増えていました。

背中に背負った大きなリュックにはまだ温かいおにぎりが数えきれないほど入っていて、アパートの他の部屋の子たちにも配りました。朝食は取っていたのに、しょうゆ味のよくきいたおかかのおにぎりは、胃袋にしみこむようなおいしさだった。
おいしいね、と涙を拭う人たちに、菊田さんは心から労るような目を向けたあと、わたしに言いました。

翌日は、夕方近くまで寝て過ごしました。何もしていないのにお腹はすき、すき焼きとちらし寿司をたらふく食べさせてもらいました。

 湊かなえ著『絶唱』

ナオミとカナコの飯

小田直美は、ヨーグルトとフルーツだけの朝食を手早く済ませ、出勤の身支度に取りかかった。

ダイニングテーブルで加奈子の作ったアスパラガスとベーコンのパスタを食べた。味付けは塩胡椒だけなのに、プロが作るようにおいしい。
「相変わらず料理がうまいこと」直美が褒めると、加奈子はそれには答えないで、「一人分だと面倒くさいだけだけど、二人分だと作る気になるね。直美が来てくれてよかった」と言って薄く笑った。

「食べなくてはいけません。中国では礼儀に反します」
盗人のくせに、言うに事欠いて—。直美は声を荒らげそうになるのを懸命に堪えた。
「明日は必ず返しますね。たから午後一時にまた来てください。そうでなかた場合は弁償します」
朱美がシューマイを頬張りながら言う。
「ちょっと上司に電話で相談します」
(中略)
朱美は呑気に小籠包を食べている。この図太さはいったい何なのか。
(中略)
「うん、わかりました。書く。ねえ小田さん、熱いうちに食べて。冷めるとおいしくないのことですよ」
用が済んだ以上同席したくないのだが、まったく箸を付けないわけにもいかないので、点心をいくつかつまんだ。不本意ながらおいしかった。直美は一度香港に行ったことがあるが、その時食べた料理を思い出した。この界隈の店は日本人向けの味付けはしていない様子だ。

晩御飯はすき焼きだった。帰省するとたいていそうだが、娘がいるときぐらいでないと食べられないからだろう。

湖畔の売店でスポーツドリンクを買って飲んだ。平日とあって人影はどこにもない。車も走っていない。
「おなか空かない? おにぎりあるけど」加奈子が言った。
「作ったの?」
「うん。直美ばかり働いてるから、わたしも少しは役に立たなきゃと思って」
「食べる、食べる」
直美は加奈子の気遣いがうれしかった。
加奈子がバッグから包みを取り出す。すぐ先に芝生があったので、そこに腰を下ろすことにした。太陽の光が降り注ぎ、湖面がキラキラと輝いている。山では鳥が鳴いていた。
包みを広げた。おにぎりだけではなく、唐揚げとポテトサラダもあった。鮭のおにぎりを頬張る。
「おいしい」
「空気が澄んでるね。遠足みたい」

「奥様、わたし、フォションのクッキーを持参して来たんですが、ご一緒に食べませんか? 紅茶も用意しますけど」
直美がバッグから袋を取り出し、提案する。
「あら、クッキーなんてうれしい。紅茶はわたしが淹れるわ。ちょっと待っててね」

「晩御飯はちゃんと食べたの?」
「ううん、実は昨日の昼にお蕎麦を食べたきり」
「じゃあ無理してでも食べようよ。これからも重労働が待ってるんだよ」
加奈子の言うことももっともなので、直美は差し出された玉子サンドを頬張った。手作りらしい。マヨネーズが多めでおいしかった。
テーブルにつき、ひとつつまんだら、なんとなく後を引いて、ハムサンドも食べた。これで充分だ。

トーストだと簡単なのだが、達郎は和食しか許さなかったので、ご飯を炊き、味噌汁を作り、魚を焼き、もう一品何かを用意した。ときどき手抜きをしてゆうべの残り物を出すと、「続けて同じ物を食わせるのかよ」と、朝から尖った声を浴びせられた。

直美は海老炒飯、加奈子は天津麺を注文し、半分食べたところで交換した。食後は甘いものが欲しくなり、デザートに胡麻団子と杏仁豆腐を追加オーダーした。二人とも食欲は旺盛だ。

夕食は部屋で食べた。豪勢な和食のフルコースだ。つきだしに始まり、お造り、焼き物、煮物、全部揃っている。地元の漁師料理、かぶす汁が胃に沁みた。お酒も飲んだ。
いつか直美が言っていたことを思い出した。あんな、おいしい水を飲みたくないの? 加奈子はその願いが叶ったと思った。もう水まで苦い日々とは永遠に別れられる。
いくらでも食べられそうなので、焼き牡蠣も追加注文した。簡易コンロの網の上で、蓋を開けられたばかりの牡蠣が身悶えしている。
「きゃーっ」「かわいそう」「でも食べるんだもんね」

そこへ寿司の出前が届いた。一目見て上等であることがすぐにわかった。お吸い物も、その場でポットからお椀に注いでいる。お茶は加奈子が淹れた。夫の実家だから、湯呑の場所ぐらいは知っている。
「食欲ない」と言う義母を、義父が「一貫でも二貫でもいいから」と説得し、みんなで食べ始めた。
いったい一人前いくらだと言いたくなるほど、寿司はおいしかった。鮪など北陸の旅館で出されたものより艶っぽい。雲丹は軍艦巻きの海苔から溢れている。

加奈子の知る限り、服部家は食通だった。米と味噌は産地から取り寄せたもので、野菜は有機野菜だった。家の奥にはワインセラーがあるし、供されるクッキーはいつも帝国ホテルのものだ。

達郎もまた食べ物にはうるさかった。ハンバーグやトンカツの皿に二品以外の付け合わせがないと、「手を抜くな」とすぐに怒った。親からの影響なのだろう。
そういえば結婚したとき、義母に実家に呼ばれて、服部家の味噌汁の作り方を教えられたことがあった。そこに嫁の味付けを尊重するという姿勢は微塵もなかった。あのときから、加奈子はいやな予感がしていたのだ。

「これはどういう調味料?」加奈子が聞く。
「これは蒜蓉豆鼓醤(ソンヨウトウチジャン)といって、豆鼓とニンニクを胡麻油で合わせたものです」従業員がレクチャーしてくれる。
「どういう料理に使うの?」
「蒸したアサリや貝柱にかけるとおいしいです」
「そう。じゃあこっちは?」
「これは沙茶醤(サーチャージャン)です。潮州料理でよく使います。串焼きのタレですね」
加奈子はメモを取り、ひとつひとつ日本語のポップを作っていった。

「何か注文ありますか?」壁のメニューを指して聞く。
「いらない…。あ、そうね、冷たい烏龍茶を3つちょうだい」と直美。
「わたしおなかが減てます。隣の食堂に潮州炒飯を頼んでもらえますか」
林竜輝がしれっと言った。
「あんたねえ、自分の立場わかってるの」直美が声を荒らげる。
「お詫びにわたしが御馳走します。あなたたちも食べませんか」
直美は怒鳴りつけそうになるのを堪え、加奈子を見た。「どうする?」
「食欲ないけど…。でも何か入れておいたほうがいいだろうし…。じゃあ二人で半分ずつ食べようか」
「それがいいですね。では同じ物をふたつ」
(中略)
そこへ出前の炒飯が届いた。大盛りかと思うほどの量で、二人で一人前にしてよかったと思った。
林竜輝が皿を手に持ち、むしゃむしゃと口の中にかき込んでいく。
「直美、先に食べて」
「わかった」
(中略)
林竜輝が黙り込み炒飯に口をつける。今度は静かに食べた。加奈子も食事に取りかかった。こんなときでもおいしいから中華料理は困る。

昨日は食欲がなくて、ほとんど食べていなかったせいもあるのだろう、加奈子は急いで御飯を炊き、ジャガイモと玉葱の味噌汁を作り、缶詰の鰯のかば焼きをおかずに二膳食べた。

「警察でお弁当食べたけど、味がしなかったから食べ直す」
加奈子が答えた。瑞々しい生野菜が食べたかった。冷えた飲み物も欲しい。
加奈子はサラダとチキン・カレーを注文した。直美はハンバーグ・セットだ。
(中略)
注文の品が届き、二人で食べた。瑞々しいレタスが口の中に気持ちいい。

奥田英朗著『ナオミとカナコ』

それぞれの最後の食事(無人島の備蓄から)Agatha Christie "And then there were none"

Rogers went round with the coffee tray. The coffee was good - really black and very hot.

They went into breakfast. There was a vast dish of eggs and bacon on the sideboard and tea and coffee.

'Let us start our breakfast. The eggs will be cold. Afterwards, there are several matters I want to discuss with you all.'
They took the hint. Plates were filled, coffee and tea was poured. The meal began.
Discussion of the island was, by mutual consent, tabooed.

'I hope lunch will be satifsctory. There is cold ham and cold tongue, and I've boiled some potatoes. And there's cheese and biscuits, and some tinned fruits.'
Lombard said:
'Sounds all right. Stores are holding out, then?'
'There is plenty of food, sir - of a tinned variety. The larder is very well stoced.

The eggs were in the frying-pan. Vera, toasting bread, thought to herself:

Emily Brent said shsarply:
'Vera, that toast is burning.'
'Oh sorry, Miss Brent, so it is. How stupid of me.'
Emily Brent lifted out the last egg from the sizzling fat.
Vera, putting a fresh piece of bread on the toasting fork, said curiously:
'You're wonderfully calm, Miss Brent.'

Breakfast was a curious meal. Every one was very polite.
'May I get you some more coffee, MissBrent?'
'Miss Claythorne, a slice of ham?'
'Another piece of toast?'
Six people, all outwardly self-possessed and normal.
And within? Thoughts that ran round in a circle like squirrels in a cage...

'Who'll have the last egg?'
'Marmalade?'
'Thanks, can I cut you some bread?'
Six people, behaving normally at breakafst...

All five of them had gone to the kitchen. In the larder they had found a great store of tinned foods. They had opened a tin of tongue and two tins of fruit. They had eaten standing round the kitchen table.

Once again they went into the kitchen. Again they opened a tin of tongue. They ate mecanically, almost without tasting.

Agatha Christie "And then there were none"

"You Won't Be Able To Put Down"な本は、人生の大きな楽しみ。 こういう本で洋書にチャレンジすると、間違いなく読了できる。