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たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

神様のいる食卓 坂直子「空が微笑むから」

京都教会牧師夫人、坂直子さんのメモワール。彼女は3年前に召天されている。縁あって本書を手に取った。教えとして印象に残ったのはヨンス牧師の口癖、「クリスチャンは日曜と水曜に教会に行くもの」。確かに日曜の礼拝を守るだけでは、霊の乾きが出てくる。水曜の祈祷会に時間を捧げようと決めた。

練炭をずらすタイミングをしくじった釜の飯は、底のほうが焦げている。冷めて
硬くなった飯を自分でよそい、おかずが置いたままになっている小さな膳の前で
、彼は片ひざを立て、食事を始めた。温め直した汁を彼の膳に置いてやると、母
は床に置いた大きなまな板の前に戻り、蒸した豚足の肉を大きな包丁で再び削ぎ
始めた。

先輩は、ヨンスの身の回りの細かいことにまで、実によく世話を焼いてくれた。
ヨンスの食事は、安東の田舎から持ってきた米を練炭で炊き、コチュジャン(唐
辛子味噌)を塗って食べるだけの粗末なものだった。
「ヨンス、いるか?」
田舎からキムチが送られてくると、先輩は、必ずヨンスに食べさせるのだった。
切れるような冷たい水を張ったたらいで洗濯していたヨンスは、真っ赤になった
手に「はぁはぁ」と息を吹きかけながら、先輩を迎えた。
「今日はスンドゥブチゲだ。魚の缶詰入れて、美味くして食べよう」
キムチに魚の缶詰、豆腐に野菜。ヨンスが何日も食べられるように、彼はわざと
たくさん作るのだ。
「先輩、今日のセーターきれいですね」
「ヨンスは、こういうの好きか」
「色もいいし、着やすそうに見えます」
「そうか、ちょっと着てみるか?」
「えっ?」
セーターをさっと脱いで、ヨンスに手渡す。
「おぉ、似合う、似合う。俺よりお前のほうが似合うみたいだ。やるよ」

学生時代、教会に導いてくれた姉妹を思い出す。
遊びで終電を逃した私が電話すると、巣鴨駅まで寒い中迎えに来てくれた。彼女の家までの道、彼女が自分の着けていたマフラーを外して私の首に巻いてくれた。そのチェックの青いマフラーの暖かかったこと。それはそのまま私のものになった。
なのに... 私は神様に背を向け、彼女とも離れてしまった。
今、私はクリスチャンである。あの夜から10年、場所は海外。時間も距離も遠く離れて、私はやっと救われた。きっとずっと祈ってくれていた彼女に一番知らせたいけれど、連絡先も何も知らない。どこかで神様が伝えてくださるだろうけど。

夜遅くに到着した私たちを、義父母と姉弟たちが温かく迎えてくれた。大きな膳の上には、ところ狭しと料理が並べられていた。魚料理に肉料理、色とりどりの野菜や数種類のキムチ、見たこともない料理が、数多く並べられてあった。辛い韓国料理だけでは大変だろうからと、日本人の私のために、ポテトサラダも準備されていた。どれほどの時間と思いを込めて準備されたか、その温かいもてなしに胸が熱くなった。

とりあえず、ここ西海岸の韓国焼肉屋では絶対ポテトサラダが出てくるんだけど。。。あれは韓国料理じゃなかったのか。。。

プログラムが終わると、どこからともなく男性たちがさっと来て、手際よく会堂を立食パーティの会場に作り替えた。どこにこんな素敵な食器があったのかと思うほど、綺麗なガラス食器にフルーツポンチが準備され、チキンの唐揚げやサンドイッチ、ばら寿司やケーキがすべて手作りで、ズラッとテーブルに並んだ。食前の祈りの後、ワッと一斉に子どもたちがテーブルに群がる。大人たちは微笑みながら、後ろから子どもたちの食欲を見守るのだった。パーティが終わった後、かなり疲れていた私は、ほとんど何もできなかったが、会場の整備から洗い物まで、みんなが協力してすっかり片づけてくれた。Y牧師が、教会始まって以来の素晴らしいクリスマスだったと言ってくださった。

ある日の夕食のこと、食卓にはご飯と味噌汁、いただいたキムチとししゃもが並んでいた。それを見てヨンスは「僕たちは裕福だね。こんなご馳走が食べられるなんて」と言った。思わず私は「今日の材料費は百円よ!」と笑いながら言った。すると彼はさらりと「ご馳走だと思って食べるほうが幸せだろう」と言うのだった。ししゃもがメインディッシュの食卓を、無理矢理でもオーバーでもなく、心からご馳走だと言ってくれる彼が誇らしかった。静かで豊かな幸せのひとときだった。
彼はなぜか、雨の日にスルメをあぶって食べるのが好きだった。そして決まってこう言うのだ。
「感謝だな。外はあんなに雨が降っているのに、屋根があって、ここはこんなに平和だ」

坂直子著「空が微笑むから がんとヨンスと神様と」より

イエスさまは食事するのが大好きなお方だ。彼が敵の前でそなえてくれる食卓に日々感謝して。