たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ありがたいなさけ飯 福島敦子『就職・無職・転職』

いわゆるメディアで話すアナウンサーというのは努力したからといってなれる職業ではないだろう。福島氏が就活をしていたネットなき時代ならなおさらだ。そういう中での極限までの努力に驚嘆した。脱帽。

最初は厳しかった先生もゼミが開講してしばらくすると、週末に何回か私達を世田谷の自宅に招いて夫人の手料理をふるまってくれるようになった。ジャガイモをつぶすところから作りあげたコロッケ、和風の野菜の煮込みといった、どれも心のこもったもので、学生食堂の味に慣れた胃袋には、この上ないおいしさだった。

寮の食堂といえば、どうしても味が単調になりがちなのが一般的だが、おじさんのつくるものは、どの品をとっても文句のつけようのないおいしさだった。
さばの味噌煮や芋の煮っころがしといった和風から、グラタンや鮭のムニエルといった洋風おかずまで、レパートリーは広く、味も天下一品である。
おじさんの優しい人柄と、心のこもった暖かい手料理のおかげで、うら若き乙女(?)のひとりぼっちの夜の食事の淋しさはまぎれ、疲れ切った身体もやがて蘇生してくる。

何せ無輸入の身なので、無駄遣いは絶対に禁物と、外食をすることはなかった。自炊にしても、できるだけ安くて、お腹がふくれるものということで、よくお世話になったのは「もやし」。一つのパックに結構たくさん詰まっていて、値段も20円から30円という安さは他にはない。

所持金が減る一方の私にとって「もやし」の存在は、なくてはならないありがたいものだった。
「もやし」をベースにした献立は、その日の気分で幾通りにもなった。基本的にはフライパンで炒めるのだが一緒に入れる材料は、ある日は豚肉、少しだけ気持ちに余裕のある日はふんぱつして牛肉、またある日はニンジンやナスといった野菜だけ、時には「もやし単品」といったシンプルこの上ないメニューの日もあった。
くいしんぼうの私にとって、それまでは考えられなかったわびしい食生活で、よく耐えられたものだと思う。

私がお金に困っていたことは、アカデミーの友人たちもよく知っていたので、近くに来た時は必ずといっていいほど、ホットドッグやおにぎり、はてはプリンといったデザートの類まで差し入れてくれた。

紹介した料理は、決して贅沢品ではなく、きらびやかでもない。その土地にしっかり根ざし、そこで生活する人の知恵から生まれた”土”の匂いのする料理ばかりだった。
三重県志摩の漁師さんが、生の鰹の切り身を御飯にまぶして船の上で食べる「手こね寿司」、岐阜県高山の「ほう葉味噌」や「栗きんとん」、そして名古屋名物の「みそ煮込みうどん」。
こうした郷土料理のルーツを訪ね、昔ながらの味を守り続けている人たちに話を聞くのは、「食」を通してその土地の歴史をひもといていくような興味があった。

福島敦子著『就職・無職・転職』

<おまけ>
↓日本政府、何も変わってないじゃん。これ20年前(1995年)に出た本だよ…最低すぎる...

私が親しくしていたのはやはり一緒にいる時間が長かったルームメイトのキムとエレーナ。特にキムは同じアジアから来たということで、日本と韓国の関係について、ざっくばらんに話をすることが多かった。
キムは日本の最先端のテクノロジーをはじめとする戦後の急成長に、敬意をはらっていたが、人間としての日本人は好きになれないと言っていた。18歳ではあるが、やはり日本と韓国の悲しい歴史を、祖父や親から聞かされて育ってきたからだという。
戦後補償にしろ教科書問題にしろ、日本政府の対応には誠実さが感じられないと言うのだ。