たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

日野原先生の「精神的知的青春期」

アメリカへ留学した時、私は39歳でした。日米講和条約が締結された年で、米国メソジスト教会関係で奨学金を出して留学生を募集し、神学以外の領域でも若干とるというので、志願して受験しました。難しかったけれど、とにかくパスしたのです。年齢制限が40歳だったからぎりぎりでした。
憧れのアメリカ大陸を目の前に、サンフランシスコのゴールデン・ゲートを船がくぐった時には、デッキの上で私は興奮の余り身震いをしました。
奨学金は月に60ドルだったから、生活は大変でした。食べるものから切り詰めなくてはならない。朝と夜はパンと牛乳とバナナくらい。牛乳は嫌いだったけれどタンパクはとらなくちゃいけないと思い、無理に飲みました。昼は一番安い所で毎日毎日ハンバーガーを買って食べるという生活で、食費は1日1ドル50セントぐらいであげました。

そのアメリカ留学はわずか1年、エモリー大学にいたのは正味10か月で、あとの1か月半は父が学んだと同じ北カロライナ州のデューク大学の内科で、ステット教授の回診やカンファレンスに出て、非常に啓蒙されました。そしてその後の1か月はアメリカ各地を旅行しました。39歳にもなっての留学で、この時私が得たものは、非常に大きかったのです。本当に、毎日毎日、自分の身長が伸びるような思いでした。

日野原重明著『今日なすべきことを精一杯!』