たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

日本語を話すチャーミングなジーザス、岡田光世氏「ニューヨークの魔法」シリーズ

初めて読んだ岡田氏の著書は岩波新書の「アメリカの家族」
現場に即した家族の形のルポを実に刺激的だと思った。
その後、多くのファン同様、書店で素敵な装幀にひかれて手にとった「ニューヨークの魔法シリーズ」。
シリーズ3冊目からは電子版を購入。

彼女のニューヨークエッセイを読んでいると、優れたクリスチャンだなあ、お会いしてみたいなあ、と思う。
見知らぬ人から一目で気に入られたり、有機的な言葉のかけあいをしたり、長く豊かな友達付き合いをしたり、といったあたたかいエピソードが多いのだが、それらを読むと、彼女の中にJesusが生きているのが分かるから。
特に子どもはそれが直感的に分かるし、まだ神さまとの間にはだかるけがれも少ないから「あなたが好き」とポンと彼女に抱きついていく。
次作が楽しみだ。 

おじさんは苦笑いしながら、うなずく。
おい、腹減ってないか。
そういえば、ランチも食べずに、ずっと写真を撮り続けていた。
聞かれて、お腹が空いていたことに気がついた。
ホットドッグ、食うか。
ここにはプレッツェルだけでなく、ホットドッグもあったのか。
じゃあ、ひとつ買うわ。
マスタードとケチャップは?
両方、お願いします。
ホットドッグを受け取り、お金を払おうとすると、強い口調でおじさんが言った。
金なんか要らないよ。あんたが食べたい、と言ったわけじゃない。
I offered.
俺が言い出したんだ。
おじさんの思いがけないやさしさに、久しぶりに口にした屋台のホットドッグは、こんなに美味しかったか、と思うほどの味だった。

先生はいつも、私がお金を払うことを頑なに拒む。店に入ると、先生はアボカド・サンドをさっと選ぶ。私があれこれ迷っていると、大きなサンドイッチを指差して、これにしなさい、と先生っぽい口調で言う。はっきりしたやや強い言い方なのに、私にはとてもかわいく聞こえる。
サーモン・サンドイッチが美味しそうだったのでそれを手にすると、もっと大きなサンドイッチを指差して、怒ったように言う。そんなのを買わないで、これにしなさい。
でも、これが食べたい、と5回ほど主張すると、先生は苦笑し、しぶしぶあきらめる。大きくて、もっと高いサンドイッチを食べさせたい、と思ってくれているのだろう。

人気メニューは何?
パネリ(Panelli)とヴァステッダ(vastedda)。どっちもシチリア名物よ。
パネリはひよこ豆、バステッダは牛のここ、と自分の脇腹に当てた手を上下させる。
味見してみる? すぐに答えずにいると、持って来てあげるわ、と去っていった。
しばらくすると、イタリアンブレッドが山盛りのバスケットをテーブルに置いた。
せわしなく、料理を運びながら、あちこちでなじみの客としゃべっている。忘れているのだろうと思い始めた頃、試食用のふた皿を持ってやってきた。
パネリは薄い四角いコロッケのようで、豆の味がする。別の皿に載っているのは、黒っぽい内臓の切れ端だ。蜂の巣のように小さな穴がいくつも空いている。レモンも添えてくれた。
下手物好きの夫はもちろん、内臓に目を輝かせているが、私は試食で十分だ。
店頭に総菜が並んでいたのを思い出したので、あそこから、これを二つ、これを三つ、って注文してもいかしら、と聞くと、もちろんと答えてから、私をからかった。
Do you think this is a buffet or something?

私が店頭に行くと、この人は"ビュッフェ"だから、と担当の店員に彼女が笑って伝える。私はそこから、トマトとモツァレラチーズとナスの重ね焼き、エビとマッシュルームの詰め物を選んで、頼む。
夫のヴァステッダは、脾臓を具にした丸いパンバンズのサンドイッチだ。白いリコッタチーズと黄色いカチョカヴァロチーズがたっぷり挟まれ、厚さが十センチはありそうだ。

チャイナタウンの小籠包の人気店、ジョーズ・シャンハイ(Joe's Shanghai)は、その日も満席だった。外でしばらく順番を待ったあと、店の一番奥にある丸テーブルに通された。十人の相席だ。
熱々でジューシーな蟹肉入りの小籠包を、ジンジャーの千切りとともに、たれをつけてレンゲの上に載せ、中の汁を一滴たりともこぼさないように、慎重にほおばる。
今日は、灰の水曜日(Ash Wednesday)なんだよね。おでこに黒い十字を付けた人が結構、いたよ。夫にそう言われて、初めて気づいた。
その日から、キリストの復活を祝う復活祭(Easter)を迎える準備のときが始まる。復活祭の前の日曜日、シュロの日(Palm Sunday)に、礼拝でシュロが使われる。
シュロは燃やされ、翌年の灰の水曜日に、司祭がその灰を信者の額につけるのだ。キリストの受難をしのび、回心の印としてつけられたこの灰は、洗い落とさず、自然に消えるのを待つ。

アメリカでは、風邪といえばチキンスープを飲む。肉や野菜など噛まなければならないものが入っていれば、英語では飲む(drink)ではなく、食べる(eat)と言うけれど。
ゲイルのことだから、缶詰のキャンベルスープに違いない。彼女のキッチンには包丁もまな板もない。唯一の料理といえば、チキンかターキーを丸ごと一羽買い、それにガーリックやパプリカ、あらゆるパウダーをふりかけ、オーブンで丸焼きするだけだった。
ところが、会員制大型スーパーで、美味しい大きなロティサリーチキンが5ドルで買えるものだから、今ではそれをほぼ毎日、食べているらしい。並んでいるチキンを、かがんで真横から見比べ、一番高さのあるものを選ぶ。

コスコのチキンは私も好きだが、現在は6ドル弱に若干の値上がり。1回で1羽食べ切れるわけではないので、ほぐしたりカットしたり、処理が面倒なのが難点。

で、これがチキンスープ、と透明な円柱型のプラスチック容器を、ビニール袋から取り出す。野菜やチキンがたっぷり入ったちチャイニーズスタイルで、美味しそうだ。
最近、気に入って、よく買ってるのよ。ヌードルがいっぱい入ってるんだけど、やけに長いのよ。食べる前に短く切りなさい。
そうそう、アメリカ人はよく、ヌードルをナイフとフォークを使って、細かく切って食べている。
お箸があるから、長くても大丈夫よ、と言っても、ゲイルは首を傾げているけれど、風邪でだるくて説明するのも面倒なので、放っておく。
それと、ミツヨの好きな海藻(seaweed)が入ってるわよ、ほら。
容器の中でゆらゆら揺れているのは、どう見ても青梗菜だ。
Oh, is that it? Whatever.
え、それ、そうなの? ま、何でもいいわよ。
しかし、あのゲイルが野菜を食べている。よりによって、食べ物などとは思っていない海藻と勘違いして。
私が日本食を料理するのを気味悪そうに横目で見ながら、海藻? 野菜? ノー、サンキュー、お金をもらってもいらないわ、が口癖だったのに。

その夜、彼らの友人も招き、有機野菜たっぷりの夕食を用意してくれた。バターを取るなどちょっとしたことをアンに頼むときでも、ドンは必ず、Thank you, dear. (ありがとう)と愛情のこもった言葉をかける。

最後の日、一緒に映画「硫黄島からの手紙」を観た。ドンがビデオを持っていた。日本兵の視点で描かれた作品なのに、あれはよかった。また観てもいい、と言ったのだ。
アンが、レモネードとチーズ、クラッカーを持ってきてくれた。

翌朝、ドンがいつも食べていた朝食を作ってあげるわね、とアンが私に用意してくれた。チーズ入りスクランブルドエッグと、ストロベリーとグレープのジャムを添えたトースト。インスタントのネスカフェ、コーヒーには、クリーミングパウダーを入れて。
ミツヨ、ドンがいつもすわっていた場所にすわって。

岡田光世著『ニューヨークの魔法の約束』

刊行から20年近くたつが、今でも日本の家族事情から見れば、まだまだ十分に新鮮なはず。