たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ポートランドで再会(その2)『ニューヨークの天使たち。』

私はNYでの役者修行を中心に書かれた『日経WOMAN』コラム連載時から渡辺葉さんの書きもののファン。
といっても現在はNY州弁護士として活躍されているようだ。

この本も私をアメリカへとドライブした数ある本の1冊と言ってもいいかもしれない。
林真理子氏のエッセイと同じく、この本の舞台のひとつでもあるポートランドで再会した。
12年ぶりの再読である。

飲みものは、勝手に訪れた客が勝手に置いていった安ワインを、勝手に開けて飲む。喉を焼くようなひどい味の酒でも、お金がないのはお互いさまだから、みんな黙って飲む。つまみはしなびた野菜スティックや、ひよこ豆をつぶしてつくる中近東のディップ。

冷たい夜の街路から逃げこむようにして、その店に入った。赤レンガの壁にあめ色の木の椅子が懐かしく、身も心も、ほっとほころぶ。さしだされたメニューを見て、はてな、と思った。薄黄色の紙に並んだ名前は、ヨーロッパの料理のようでもあれば、中近東の料理のようでもある。水を注ぎにきたウェイターに聞くと「アルメニア料理」だという。
勧められるまま、前菜はポテト・クレープを取ることにした。メインには何がいいかしら、と聞くと、彼はにっこり笑って言った。
―― もしアルメニアの伝統的料理を試したかったら、羊のシチューをどうぞ。これは各家庭ごとにその家の味があって、僕個人としては当店のシチューは少し胡椒が効きすぎている気がするのだけれど、とっても身体の温まるおいしい一皿ですよ。
注文を厨房に通すと彼はすぐに、一杯のワインと小さな籠に入ったパンを持って戻ってきた。イーストをほとんど使っていないシンプルな生地を、幾層にも重ねて焼いてあるようだ。香草の効いたバターをつけると芳しくて手が止まらない。
前菜のじゃがいものクレープは、一見すると春巻そのものだった。カラリと揚がった皮に、トロリと詰まったじゃがいものピュレ。添えられたソースは、仄かにインド的な香りがする。
そうこうしている間に、羊のシチューが運ばれてきた。身体の芯から温まる。でもこの匂い、この味、どこかで食べた気がする。舌から脳へと懸命に信号を送り、記憶を辿り……ようやく思い出したのは、モンゴルの草原で、山猫みたいな顔のアルタン・スフたちが作ってくれた羊のシチューと同じ味だということだった。

毎年、週末などに合わせ「今年はこの日」と決めて、母はひなまつりのごちそうを作った。それは決まって、蛤のお澄しと混ぜ寿司、お伴にはふんわりと柔らかな白和えや貝のぬた。母を手伝ってすし飯をぱたぱたと団扇で扇いでさましたり、帆立貝の殻のお皿をふきんできれいにぬぐったりするのも、お祭りの準備のように心が躍るのだった。

日本の何が恋しかったの?
東京で再会したとき、尋ねてみた。
「あのね」
彼女は、嬉しそうにふふふと笑った。
「鱸の味だったの、ニューヨークのお寿司屋さんで食べた。気がついたら涙が出ちゃって……。街で会う人々、友だち、土地、言葉、夏のお祭りや下町の気配、畳の香り。ああ、離れていたくないって思った。日本に<帰ろう>って」
そう言うとエリザは、熱々の緑茶をひとくち、ふうふう吹きながら啜った。

客人に供されるのは、脂のしたたる羊のもも肉でもなければ、クリームたっぷりのスープでもない。たいていは彼女が小屋のまわりから集めた葉っぱで作ったサラダ、あるいは同じく崖の上で採ってきた香草で風味づけした、野菜のシチュー。運がよければ、新鮮な卵が出ることもあった。
客は、スープ皿に盛られたそれらのご馳走を、フォークとスプーンを使って食べる。スーは食事用ナイフというものを持っていなかった。肉など手に入ることはなかったから、どのみち必要なかったのだ。
食後には、スーが作った特製のお茶が出る。
スーの才能というのは、貧しい食卓を、妖精の宴席さながらの魅力ある饗宴に変えてしまうことだった。一流料理店の豪奢なメニューであろうと、崖の上のぼろ小屋のつましい食事であろうと、そこに「気品」と「優雅さ」が加わると、食事は単なる「消費」から「文化的、哲学的営み」に変わるのである。
スーの話は、M・F・K・フィッシャー著『狼を料理する法』に収められている(初版1942年、日本語未訳)。

マンハッタン3番街の一角に「フィービーズ」という安食堂がある。薄くて焦げ臭いコーヒーと、オムレツやポークチョップなどを出す、何の変哲もないダイナーだ。けれど、70年代にはこの辺りのボヘミアン・アーティストたちの溜まり場だったらしい。
私は歳上の友人と、この店の隅に腰かけてチリ(豆とひき肉のシチュー)を食べていた。

急に冷え込んだと思ったら、あっという間に熱が出てきた。ゾクゾクする背中を丸めて、数日間冬眠するための買い出しに出かける。
ひとり暮らしなので、寝込んでいるあいだも自分でなんとか生き延びられるように準備しておかなければならない。レモンと生姜、紙パック入りのオーガニック・チキンスープ(缶詰のよりも新鮮な味でおいしい)を買って帰った。
「風邪をひいたらチキンスープ」はアメリカの民間療法のナンバーワン。こちらに移り住んですぐのころは、風邪をひいたときにチキンスープを勧められても「お粥のほうがいいなあ」と思っていたけれど、いつのまにか慣れてしまった。チキンスープに生姜をたっぷり搾ってフウフウいいながら飲むと、身体の中からカッカして、たくさん汗をかく。
もちろん仕事に響くし身体も辛いのだけれど、熱で寝込むのはどこか楽しい。
頭がぼうっとして、妙ちきりんな夢をいっぱい見て、大汗をかいて寝ると、熱がひきかけるころはたっぷり本が読める。
(中略)
熱が出ると買ってもらえるアイスクリーム(いつもバニラ)を大事に舐めながら、ものいうライオンと悪い魔女の戦いを読みふけり、熱にけだるい夢の中で、ときどき木の精や水の精と遭遇したりしたものだ。

このワイオピ谷ツアーには、アラバマから来たという白人の四人組もいた。
「この谷では何を食べていたのか」
という彼らの問いに、ハナレイさんが、
「もっぱらタロ芋と果物、そして魚だね」
と答えると、「肉を食べないで生きていられるなんて、信じられない」といったふうに首を振っていた。
「この谷にはもともと、数百人のハワイアンがいたのさ」と、ハナレイさんは続ける。
「けれどアメリカが入ってきたとき、その大部分が殺された。それは、歴史上はじめてのことじゃない。アメリカ合衆国そのものがそうやってできたんだし、南米にも同じような歴史があるからね」

私のお気に入りは、搾りたての林檎ジュースを練りこんで揚げたドーナツ。素朴だけれどしっとりして、いままで食べたドーナツの中でも上位3位に入るのは確実だ。これをひとつとコーヒーを買って、店内に作られたコブ細工の長椅子に腰掛けて、ひとりでゆっくりおやつを楽しむ。窓は廃品利用の瓶の底で作られていて、ぽこぽこと丸い泡のようなガラス窓から射し込む陽が目に優しい。(中略)

「人々の食べもの生協」から歩いて2分ほどのところに、村のもうひとつの中心「赤と黒のカフェ」がある。毎日焼きたてのマフィンやクッキーがカウンターに並び、野菜がたっぷりのスープ、サンドウィッチもおいしい。地元の有機野菜を使っているので、サンドウィッチに添えられてくる生の人参も、シャキシャキと歯ごたえがよくて、じんわりと甘い。

ビールの種類がよくわからなくて、メニューのいちばん下のふたつを指差し、「どっちか、軽い方をちょうだい」と頼んだ。
それと、サンドウィッチ。早朝、パリに着く前の機内で果物をつまんだだけだったから、お腹がぺこぺこだ。メニューをじっくり眺めて、バスク地方の生ハムとチーズをポワラーヌの田舎パンではさんでね、と注文した。
ポワラーヌは老舗ベーカリーで、ここの田舎風パンはパリ一との評判がある。10数年前に訪れたときに食べて感動した。カフェではふつうのバゲットか、少しだけ値段の高い「パン・ポワラーヌ」か、選べるようになっているところが多い。
でも、ギャルソンは怪訝な顔。
「本当にそれでいいの? この生ハムなら、バゲットのほうがおいしいよ」
生ハムの味と田舎パンの味は合わないのかしら? 値段はバゲットのほうが安いから、これは善意で言ってくれているのだろう。
彼の薦めどおりバゲットで作ってもらったサンドウィッチは、とびきりおいしかった。何が違うのだろう、皮はパリパリなのに乾いているわけではなく、とびきり軽い。バターと生ハム、それだけなのに噛みしめるごとに味わいがある。

ゼイバーズの隣のデリで、12年前から変わらないお気に入り、海老サラダを買った。小さなカップに入って、3ドルちょっと。小さなパンがついてくる。目をつぶって「えいっ」と思い切りひっぱらないと割れないほど歯ごたえのある、サワー種のパン。刻んだピクルスの混ざったマヨネーズをパンのかけらですくって、よーく噛む。
イタリア風のパニーニやさっぱり軽いソフトクリームなど、12年前にはなかったメニューもある。けれど、白いチーズが入ったポーランド風クレープの「プリンツ」や、ユダヤ風パイ「クニッシュ」などは昔のままだ。小さな店の真ん中に置かれたテーブルを、見知らぬ人々が囲み、ひとときのランチブレイクやコーヒーブレイクをすごす。
私の目の前に、青いシャツを着たおじいさんが座った。高齢のせいか、ゆっくりと慎重なしぐさで、コーヒーの入った紙コップをテーブルに置く。私がテーブルに置いたバッグを邪魔にならないようにずらすと、「いいんだよ」とでも言いたげに目で少し笑った。おじいさんは大事そうにチョコレートプリンの蓋を開け、熱く泡立ったコーヒーと交互に、小さなスプーンをゆっくり口に運んだ。
近所に住むらしい老人たちは、アップルソースを添えたパンケーキをつつきながら、口を尖らせておしゃべりに夢中だ。学校帰りの子どもたちが、ベビーシッターに連れられておやつのクッキーを買いにくる。

渡辺葉著『ニューヨークの天使たち。』より

この本なんて何度買いなおしたか。