たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『アンネ・フランクの記憶』をめぐる旅で

10年以上ぶりに再読した。私もアムステルダムでアンネの足跡をたどったが、食べる楽しみに欠ける街だった...。

終点の1つ手前で市電を降り、昼食をとった。繁盛していそうな店を探すが、どこも空いている。1軒、テラスがほぼ満席になっているピザの店があったので、そこに入る。ところが混んでいたのはテラスだけで、中はしんとしていた。
トマト、チーズ、アンチョビーのピザと、サラダと、ミネストローネを頼み、3人で分け合って食べる。ついきのう着いたばかりなのに、もうずいぶん長い時間ここにいるような気がする。料理は期待以上に美味しい。

ご主人が席を立ち、ガラスの器に入ったチョコレートとクッキーを勧めてくれる。わたしは8の字型のチョコレートを、一ついただいた。

これでもう、今日やり残したのは、晩ご飯を食べることだけだ。すっかり安心して、お腹もすいてきた。
遠出する気力はないので、ホテルの近くの中華料理屋へ入った。チキンとマッシュルームのスープ、チンゲン菜のオイスター炒め、牛肉と高菜の炒めもの、チャーハンなどを食べる。食べながら3人で、繰り返しルートさんとジャクリーヌさんの話をする。わたしはあそこでこう思った、ここで感動した、と、次々いくらでも話が出てきた。このまま夜がふけるまで、3人であのご夫婦のことを思い出していたいなあ、という気分だった。

ノートの切れ端のような紙に、DINERと打ってアンダーラインが引いてある。1942年7月18日の日付が見える。1つ単語を間違えたところがあって、修正しないまま上から重ねて打ってある。献立はスープ、ローストビーフ、サラダ、米料理、デザート。それぞれに2人にちなんだ特別な名前が付けられている。ローストビーフに添えるソースには、配給切符におけるバターの割り当て量が減少しているため、ごく少量用いるべしと但し書きがしてある。

21時の飛行機の出発までまだ時間があるので、“フレンチレストラン”と書かれた2階の食堂へ入る。わたしたち以外お客は2組くらいしかおらず、音楽もなく、がらんとしている。ミネストローネを1口食べたとたん、Dさんが冷静な声で、
「今まで食べたミネストローネの中で、一番おいしくない」
と言う。確かにまずい。ぬるいのを通り越して冷たくなっている。底の方に熱い液体が沈んでいかもと思いぐるぐるかき回してみたが、余計冷めるばかりだ。(中略)
次に運ばれてきたミネストローネは、十分すぎるくらい熱くなっていた。温度さえ適切ならば、それほど悪くないスープだった。

きのう、アウシュヴィッツを離れるタクシーの中でわたしが一番にしたのは、チョコレートを食べることだった。昼食抜きで、というか食べるきっかけをなくして、1日中あの広い収容所を歩きどおし、とにかくお腹が減っていた。座席に腰掛けるなり、前の晩飛行機の中で配られたチョコレートバーを取り出し、一息に全部食べ、切刀さんのミネラルウォーターをもらってごくごく飲んだ。
おびただしい人々の死の記録を目のあたりにした直後だというのに、どうしてこんなにおいしく、チョコレートを食べることができるのだろうと、自分で自分を不思議に思った。けれどわたしはそうするのをとめることができなかった。このひとかけらでも、マルゴーとアンネに分けてあげることができたらなどという感傷的な思いにさいなまれながら、包装紙を破り、柔らかくなったチョコレートを飲み込み、指をなめた。

一緒に旅行を続けてきて、同じように疲れているはずなのに、切刀さんは夕食の用意をしてご馳走して下さる。ずっと野菜不足が続いていたので、オリーブオイルとレモンのグリーンサラダがとてもおいしい。おかわりをしてばりばりと食べた。
やはりウィーンでも夜はなかなか暮れず、8時を過ぎてもまだ薄明るい。中庭では大家さんが猫を遊ばせながら、朝顔の苗を植えていた。大通りのざわめきはここまでは届かず、会話が途切れるとさーっと静けさがしのび込んでくる。

夜7時を過ぎてお腹がすいてきたので、料理を注文した。カリカリのトーストを添えた生肉のミンチ、ウィンナー・シュニッツェル、それとサラダ。わたしたち女性3人は2人前を分けて食べることにした。ギヨルクさんは風邪で具合がよくないということで、スープだけにする。(中略)
だんだん店は混雑しはじめ、暑くなってきた。わたしたちの隣のテーブルでは、若い女性が2人、小型フライパンのような器に入ったジャガイモ料理を食べている。久しぶりに会った友人同士といった感じだ。後ろのテーブルでは、小学生くらいの男の子を2人連れたお母さんが、皿に山盛りのチキンサラダを食べている。息子2人は黙々とフォーク動かすだけで、母親が話し掛けてもあまり喋らない。

小川洋子著『アンネ・フランクの記憶』