たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

家で食べるたのしみ(スナックから一流フレンチまで)『騎士団長殺し』

騎士団長を殺してからの4次元の旅は退屈で斜め読みしてしまったのだが、最後のページが聖書的で感動した。

でも私が免色のようになることはない。彼は、秋川まりえが自分の子供であるかもしれない、あるいはそうではないかもしれない、という可能性のバランスの上に自分の人生を成り立たせている。その2つの可能性を天秤にかけ、その終ることのない微妙な振幅の中に自己の存在意味を見いだそうとしている。しかし私にはそんな面倒な(少なくとも自然とは言い難い)企みに挑戦する必要はない。なぜなら私には信じる力が具わっているからだ。どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができるからだ。それがあの小田原近郊、山頂の一軒家に住んでいる間に、いくつかの普通ではない体験を通して私が学び取ったものごとだった。

原文では「信じる力」に傍点あり。
信仰とは信じると決めること。「証拠見せてくれたら信じてやるよ」ではなく。
それだけで救われてしまうのだ。

ところで、田舎って、車の有無で「誰それがあの家に来てる」って分かってイヤね~。
それがこの本を読んで私が思ったこと。

店内はすいていた。ウェイトレスがやってきたので、私は熱いコーヒーと、ハムとチーズのサンドイッチを注文した。そしてコーヒーを飲みながら、目を閉じて気持ちを落ち着けた。
(中略)
結論を出せないまま私は席に戻った。コーヒーを飲み終えると、ウェイトレスがやってきて、おかわりを注いでくれた。私は彼女に頼んで紙袋をもらい、手をつけていないサンドイッチをそこに入れた。もっとあとになれば腹も減るだろう。でも今は何も食べたくない。

まともな食事をとる気にもなれなかった。冷蔵庫を開けて目についた野菜にマヨネーズをつけて齧るか、あるいは買い置きの罐詰を開けて鍋で温めるか、せいぜいそんなところだ。

そのうちに小腹が減ってきたので、台所に行って、トマトケチャップと皿に盛ったリッツ・クラッカーを持って戻ってきた。そしてクラッカーにケチャップをつけて食べ、また絵を眺めた。そんなものはもちろん美味くもなんともない。どちらかといえばひどい味がする。しかし美味くても美味くなくても、そのときの私にとっては些細なことだった。空腹が少しでも満たされればそれでかまわない。

免色が帰ったあと、その午後ずっと私は台所に立って料理をしていた。私は週に一度、まとめて料理の下ごしらえをする。作ったものを冷蔵したり冷凍したりして、あとの1週間はただそれを食べて暮らす。その日は料理の日だった。夕食にはソーセージとキャベツを茹でたものに、マカロニを入れて食べた。トマトとアボカドと玉葱のサラダも食べた。夜がやってくると、私はいつものようにソファに横になり、音楽を聴きながら本を読んだ。

私は台所でコーヒーを温め、クッキーを少し食べた。

私と免色は家に戻り、軽い昼食をとった。私は台所でハムとレタスとピックルスで簡単なサンドイッチを作り、2人でテラスに出て雨を眺めながらそれを食べた。

私はその音楽を少し離れたところで聴きながら、トマトソースを作った。まとめて買ったトマトが余っていたので、悪くならないうちにソースにしておきたかった。
大きな鍋に湯を沸かし、トマトを湯煎して皮を剥き、包丁で切って種を取り、それを潰して、大きな鉄のフライパンで、ニンニクを入れて炒めたオリーブオイルを使って、時間をかけて煮込む。こまめにアクを取る。結婚していたときも、よくそうやってソースを作ったものだった。

10時半に車に乗ってスーパーマーケットに食品の買い物に行った。戻ってきて食品を整理し、簡単な昼食をつくって食べた。豆腐とトマトのサラダと握り飯がひとつ。食後に濃い緑茶を飲んだ。そしてソファに横になってシューベルトの弦楽四重奏曲を聴いた。

町外れの国道沿いにファミリー・レストランがあり、そこで私は1人で夕食をとっていた。午後の8時半頃のことだ。海老カレーとハウスサラダ。(中略)
私の顔をまっすぐ見ながら「コーヒーとチーズケーキ」と言っただけだった。(中略)
さっきと同じウェイトレスがチーズケーキとコーヒーを持ってやってきた。女はウェイトレスがいなくなるまでそのまま口を閉ざしていた。それからフォークでチーズケーキを一口分切り取り、皿の上で何度か左右に動かした。アイスホッケーの選手が氷上で試合前の練習をしているみたいに。やがてそのかけらを口に入れ、ゆっくり無表情に咀嚼した。食べ終えると、コーヒーに少しだけクリームを入れて飲んだ。そしてチーズケーキの皿を脇に押しやった。

コーヒーが運ばれてきて、私はそれを飲んだ。コーヒーらしい味はしたが、それほどうまいものではなかった。でも少なくともそれはコーヒーだったし、しっかり温かかった。そのあと客は誰も入ってこなかった。革ジャンパーを着た白髪混じりの男は、よく通る声でハンバーグステーキとライスを注文した。

彼の前にはトーストとスクランブル・エッグのセットがあった。少し前に運ばれてきたものらしく、コーヒーがまだ湯気を立てていた。

さっきの若い男が銀色のトレイにカクテルを2つ載せて運んできた。カクテル・グラスはとても精妙にカットされたクリスタルだった。たぶんバカラだ。それがフロア・スタンドの明かりを受けてきらりと光った。それからカットされた何種類かのチーズとカシューナッツを盛った古伊万里の皿がその隣に置かれた。頭文字のついた小さなリネンのナプキンと、銀のナイフとフォークのセットも用意されていた。ずいぶん念が入っている。
免色と私はカクテル・グラスを手に取り、乾杯した。彼は肖像画の完成を祝し、私は礼を言った。そしてグラスの縁にそっと口をつけた。ウォッカとコアントローとレモン・ジュースを3分の1ずつ使って人はバラライカを作る。成り立ちはシンプルだが、極北のごとくきりっと冷えていないとうまくないカクテルだ。腕の良くない人が作ると、ゆるく水っぽくなる。しかしそのバラライカは驚くばかりに上手につくられていた。その鋭利さはほとんど完璧に近かった。
「おいしいカクテルだ」と私は感心して言った。
「彼は腕がいいんです」と免色はあっさりと言った。(中略)
我々はカクテルを飲み、ナッツを齧りながらあれこれ話をした。

それから料理が運ばれてきた。台所と食堂のあいだには配膳用の取り出し口がついていて、ボウタイをしめたポニーテイルの青年が、そこに出された皿をひとつひとつ我々のテーブルに運んだ。オードブルは有機野菜と新鮮なイサキをあしらった美しい料理だった。それに合わせて白ワインが開けられた。ポニーテイルの青年が、まるで特殊な地雷を扱う専門家のような注意深い手つきでワインのコルクを開けた。どこのどんなワインか説明はなかったが、もちろん完璧な味わいの白ワインだった。言うまでもない。免色が完璧でない白ワインを用意するわけがないのだ。
それからレンコンとイカと白いんげんをあしらったサラダが出てきた。ウミガメのスープが出てきた。魚料理はアンコウだった。
「少し季節は早いのですが、珍しく漁港に立派なアンコウがあがったのだそうです」と免色は言った。たしかに素晴らしく新鮮なアンコウだった。しっかりとした食感で、上品な甘みがあり、それでいて後味はさっぱりしていた。さっと蒸したあとに、タラゴンのソース(だと思う)がかけられていた。
そのあとに厚い鹿肉のステーキが出された。特殊なソースについての言及があったが、専門用語が多すぎて覚えきれなかった。いずれにせよ素晴らしく香ばしいソースだった。
ポニーテイルの青年が、私たちのグラスに赤ワインを注いでくれた。1時間ほど前にボトルを開け、デキャンターに移しておいたのだと免色は言った。
「空気がうまく入って、ちょうど飲み頃になっているはずです」
空気のことはよく分からないが、ずいぶん味わいの深いワインだった。最初に舌に触れたときと、口の中にしっかり含んだときと、それを飲み下したときの味がすべてそれぞれに違う。まるで角度や光線によって美しさの傾向が微妙に違って見えるミステリアスな女性のように。そして後味が心地よく残る。
「ボルドーです」と免色は言った。「能書きは省きます。ただのボルドーです」
(中略)
1時間半ほどをかけて、免色と私はようやくデザート(スフレ)とエスプレッソにまでたどり着いた。長い、しかし充実した道のりだった。そこでシェフが初めて調理場から出てきて、食卓に顔を見せた。
(中略)
「素晴らしい料理でした」と私は言った。「こんなにおいしい料理を口にしたのは、ほとんど初めてです」
それは私の正直な感想だった。これほどの凝った料理をつくる料理人が、小田原の漁港近くで人知れず小さなフレンチ・レストランを経営しているというのが、まだうまく信じられなかった。

そして台所に行ってお湯を沸かし、紅茶を淹れた。そしてカップとティーポットを盆に載せて居間に運んだ。秋川笙子が土産に持ってきてくれたクッキーも、それに添えて出した。

<下>
「もしよかったら、食事でもしていきませんか?」と私は2人に尋ねた。「サラダとパスタくらいなら簡単につくれます」
秋川笙子はもちろん遠慮したが、まりえは3人で昼食をとることに深く興味を持ったようだった。
「いいでしょ? どうせうちに帰っても、お父さんはいないんだから」
「ほんとに簡単な食事です。ソースはたくさんこしらえてありますから、1人分つくるのも3人分つくるのも、手間として変わりはありません」と私は言った。
「本当によろしいんですか?」と秋川笙子は疑わしげに言った。
「もちろん。気にしないでください。ぼくはいつもここで1人で食事をしています。1日3食、1人で食べています。たまには誰かと食事を共にしたい」
まりえは叔母の顔を見た。
「それでは、お言葉に甘えて遠慮なく」と秋川笙子は言った。「でも本当にご迷惑じゃないんですか?」
「ちっとも」と私は言った。「どうか気楽にしてください」
そして我々は3人で食堂に移った。2人はテーブルの前に腰掛け、私は台所で湯を沸かし、アスパラガスとベーコンでつくったソースをソースパンであたため、レタスとトマトとタマネギとピーマンのサラダをつくった。湯が沸くとパスタを茹でて、そのあいだにパセリをみじん切りにした。冷蔵庫からアイスティーを出して、グラスに注いだ。2人の女性は私が台所できびきびと働く姿を珍しそうに眺めていた。
(中略)
まりえの方はほとんど口をきかず、おしゃべりは叔母に任せて、食べることに意識を集中していた。秋川笙子はあとでソースのレシピを教えてほしいと言った。

あたりが暗くなってくると私は台所に行って、缶ビールを飲みながら夕食の支度をした。ブリの粕漬けをオーヴンで焼き、漬け物を切り、キュウリとわかめの酢の物を作り、大根と油揚げの味噌汁をつくった。そしてそれを1人で黙って食べた。

私がブリの粕漬けを食べ、味噌汁を飲み、米飯を食べるのを、秋川まりえはテーブルに肘をついて、珍しいものでも見るように見ていた。

彼は私を近所のイタリアン・レストランに連れて行った。小さなビルの地下にある店だった。いつも使っている店らしく、ウェイターは彼の顔を見ると、何も言わずに我々を奥の小さな個室に通した。
(中略)
雨田は白ワインのグラスを注文し、私はペリエを頼んだ。
(中略)
メニューが運ばれてきて、我々はランチのコースを注文した。生ハムの前菜と、アスパラガスのサラダと、アカザエビのスパゲティー。
(中略)
サラダの皿が下げられ、アカザエビの入ったスパゲティーが運ばれてきた。
(中略)
スパゲティーの皿が下げられ、コーヒーが運ばれてくると(政彦はコーヒーを断って、白ワインのおかわりを注文したが)、政彦は話題を元に戻した。

「もしお嫌でなかったら、私が台所に行ってお茶をいれてもかまいませんか? 実はもうお湯は沸かしてあります。紅茶の葉がどこにあるかもわかります」
私は少し驚いて秋川笙子の顔を見た。彼女の顔には上品な微笑みが浮かんでいた。
「厚かましいようですが、そうしていただけるととてもありがたいです」と私は言った。実のところ、私は温かい紅茶がとても飲みたかったが、腰を上げて台所に行って湯を沸かす気にはどうしてもなれずにいたのだ。
(中略)
10分ほどで秋川秋川は、3つのカップとポットを載せたトレイを持って居間に戻ってきた。我々はそれぞれ静かに紅茶を飲んだ。

「シングル・モルトがお好きなのですか?」と免色が尋ねた。
「いや、これはもらいものです。友だちが手土産に持ってきてくれたんです。なかなかおいしいと思うけど」
「スコットランドにいる知人がこのあいだ送ってくれた、ちょっと珍しいアイラ島のシングル・モルトがうちにあります。プリンス・オブ・ウェールズがその醸造所を訪れたとき、自ら槌をふるって栓を打ち込んだ樽からとったものです。もしよかったら今度お持ちします」
どうかそんなに気を遣わないでもらいたいと私は言った。
「アイラ島といえば、その近くにジュラという小さな島があります。ご存じですか?」
知らないと私は言った。
「人口も少ない、ほとんど何もない島です。人の数よりは鹿の数の方がずっと多い。ウサギや雉やあざらしもたくさんいます。そして古い醸造所がひとつあります。その近くにとてもおいしいわき水があって、それがウィスキーをつくるのに適しているんです。ジュラのシングル・モルトを、汲んだばかりのジュラの冷たい水で割って飲むと、それは素晴らしい味がします。まさにその島でしか味わえない味です」
とてもおいしそうだ、と私は言った。

私は待っている時間をつぶすために、台所に行って料理の下ごしらえをした。出汁をつくり野菜を茹で、冷凍できるものを冷凍した。

私は台所から瓶詰めのオリーブを持ってきて、それをつまみにした。我々はしばらく何も言わずにウィスキーを飲み、塩味のついたオリーブの実を食べた。

目が覚めたのは10時過ぎだった。早起きの私にとってそれはずいぶん珍しいことだった。私は顔を洗ってからコーヒーを作り、食事をとった。なぜかひどく空腹だった。私はいつもの朝食の倍近くを食べた。3枚のトーストと、2個のゆで卵と、トマトのサラダを食べた。コーヒーを大きなマグにたっぷり2杯飲んだ。

彼はその日、わざわざ自分の出刃包丁を持参してやってきた。よく手入れされた鋭利な刃物だった。そしてそれを使って伊東の魚屋で買ってきたばかりの大きくて新鮮な鯛を、台所でさばいた。もともと手元の器用な多才な男だ。彼はきれいに丹念に骨を取り、無駄なたくさんの刺身をおろし、あらで出汁をとり、吸い物をつくった。皮は火で炙って酒のつまみにした。私はそのような一連の作業をただ感心してそばで見ていた。プロの料理人になってもそれなりの成功をおさめたかもしれない。
「こういう白身魚の刺身は、ほんとうは1日おいて明日食べた方が、身が柔らかくなり、味もこなれてうまいんだが、まあしょうがない。我慢してくれ」と雨田は包丁を手際よく使いながら言った。
「贅沢は言わないよ」と私は言った。
「食べきれなかったら、明日1人で残ったぶんを食べればいい」
「そうするよ」
(中略)
雨田は紙袋からシーヴァス・リーガルの瓶を取り出し、封を切って蓋を開けた。私はグラスを2つ持ってきて、冷蔵庫から氷を出した。瓶からグラスにウィスキーを注ぐときに、とても気持ちの良い音がした。親しい人が心を開くときのような音だ。そして我々は2人でウィスキーを飲みながら食事の支度をした。
(中略)
私は酔いつぶれるほど酒を飲むことはない。酔いつぶれる前に眠くなって寝てしまうからだ。しかし雨田はそうではない。いったん腰を据えて飲み出すと、とことん腰を据えて飲むタイプだ。
我々は食堂のテーブルをはさんで刺身を食べ、ウィスキーを飲んだ。最初に彼が鯛と一緒に買ってきた新鮮な生牡蠣を4つずつ食べ、それから鯛の刺身を食べた。おろしたての刺身は、とびきり新鮮でうまかった。確かにまだ身は固かったが、酒を飲みながらゆっくり時間をかけて食べた。結局2人で刺身を残らず平らげてしまった。それだけでかなり腹が一杯になった。牡蠣と刺身の他には、ぱりぱりに炙った魚の皮と、わさび漬けと豆腐を食べただけだった。最後に吸い物を飲んだ。
「ひさしぶりに豪勢な食事だった」と私は言った。
「東京じゃなかなかこういう食事はできないよ」と雨田は言った。「このあたりに住むのも悪くなさそうだ。うまい魚が食えるものな」

トーストを2枚焼いて、卵2つの目玉焼きをつくり、それを食べながらラジオのニュースと天気予報を聴いた。

教室を出てから1人で近所の蕎麦屋に入って、温かい天ぷら蕎麦を食べた。これもいつもの習慣だ。いつも同じ店で、いつも天ぷら蕎麦を食べる。それが私のささやかな楽しみになっている。

「いいえ。普段の朝と変わりありません。いつもとまったく同じです。温かいミルクを飲んで、トーストを1枚だけ食べて、家を出ていきます...

「もしお腹が減ったら、台所の冷蔵庫の中のものを自由に召し上がってください。大したものはありませんが、チーズとクラッカーくらいはあります」

私は彼をそのまま寝かせておいて、台所に行ってコーヒーをつくった。トーストも焼いた。そして食堂の椅子に座り、バターを塗ったトーストをかじり、コーヒーを飲みながら読みかけの本を読んだ。

道路沿いにあるファミリー・レストランに車を停めた。我々は窓際のテーブルに案内され、コーヒーを注文した。ちょうど昼時だったので、私はローストビーフのサンドイッチもあわせて頼んだ。

私はチーズ・トーストを思い浮かべた。どうしてチーズ・トーストなのかは、自分でもよくわからなかった。しかし何はともあれ、チーズ・トーストの姿がそのときの私の頭にふと浮かんだのだ。白い無地の皿の上に載せられた四角いチーズ・トースト。きれいに焦げて、上に載せたチーズも心地よくとろけている。それは今まさに私の手にとられようとしている。そしてその隣には、湯気の立つ熱いブラック・コーヒーがある。
(中略)
それから歌劇『薔薇の騎士』のことも思い出した。コーヒーを飲み、焼きたてのチーズ・トーストを齧りながら、私はその音楽を聴こうとしている。

そのあと彼は私を食堂に連れて行って、食卓の椅子に座らせ、まずゆっくり少しずつ水を飲ませた。私は時間をかけてミネラル・ウォーターの大きなボトルを1本空にした。私が水を飲んでいるあいだに、彼は冷蔵庫の中にリンゴをいくつか見つけ、皮を剝いてくれた。彼の包丁さばきはとても素早く、上手だった。私は感心しながら、その作業をぼんやりと眺めていた。皮を剝かれ、皿に盛られたリンゴはどこまでも上品で、美しく見えた。
私はそのリンゴを3個か4個食べた。リンゴとはこんなにうまいものだったのだと感動するほどうまいリンゴだった。リンゴという果物をそもそも思いついてくれた創造主に、私は心から感謝した。リンゴを食べ終えると、彼はクラッカーの箱をどこかから見つけ出してくれた。私はそれを食べた。少し湿気ていたものの、それも世界でいちばんうまいクラッカーだった。そのあいだに彼は湯を沸かし、紅茶を淹れて、そこに蜂蜜も加えてくれた。私はそれを何杯も飲んだ。紅茶と蜂蜜は私の身体を内側から温めてくれた。
冷蔵庫の中にはそれほど多くの食材はなかった。それでも卵のストックだけはたくさんあった。
「オムレツは食べたいですか?」と免色は尋ねた。
「できれば」と私は言った。私は胃の中をとにかく何かで満たしたかった。
免色は冷蔵庫から卵を4つ取り出し、ボウルの中に割り、箸で素早くかき混ぜ、そこにミルクと塩と胡椒を加えた。そしてまた箸でよくかき回した。馴れた手つきだった。それからガスの火をつけ、小型のフライパンを熱し、そこにバターを薄く引いた。抽斗の中からフライ返しをみつけ、手際よくオムレツをつくった。
予想したとおり、免色のオムレツの作り方は完璧だった。そのままテレビの料理番組に出してもいいくらいだ。そのオムレツの作り方を目にしたら、全国の主婦たちはきっとため息をつくことだろう。彼はオムレツ作りに関しては、あるいは関してもというべきか、見事にスマートであり、手抜かりなく、また効率よく繊細だった。私はただ感心してそれを眺めていた。やがてオムレツは皿に移され、ケチャップと共に私の前に出された。
思わず写生したくなるくらい美しいオムレツだった。しかし私は迷うことなくそれにナイフを入れ、素早く口に運んだ。それは美しいばかりではなく、とても美味なオムレツだった。
「完璧なオムレツだ」
免色は笑った。「そうでもありません。もっとよくできたオムレツを前に作ったこともあります」
それはいったいどんなものだろう? 立派な翼をそなえて、東京から大阪まで2時間あれば空を飛んでいけるオムレツかもしれない。
私がオムレツを食べてしまうと、彼はその皿を片付けた。それで私の空腹はようやく落ち着きをみせたようだった。免色はテーブルを挟んで私の向かい側に腰を下ろした。

私はミルクを鍋で温めて飲み、ビスケットをかじりながら、ガラス窓の外を眺めていた。

しかしほどなく朝はやってきた。私はコーヒーを新しくつくり、トーストを焼いてバターを塗って食べた。冷蔵庫にはもうほとんど食品は入っていなかった。卵が2個と、古くなった牛乳と、野菜がいくらか残っているだけだった。今日のうちに買い物に行かなくてはな、と私は思った。

肉と魚と野菜、牛乳と豆腐、目についたものを片端からカートに放り込んで、レジに並んで勘定を払った。トートバッグを持参し、レジ袋はいらないと告げることによって5円を節約した。それから安売りの酒屋に寄って、サッポロ缶ビール24本入りのケースを買った。家に帰って、買ってきたものを整理して、冷蔵庫にしまった。冷凍すべきものはラップをかけて冷凍した。ビールを6本だけ冷やした。それから大きな鍋に湯を沸かし、アスパラガスとブロッコリをサラダ用に茹でた。ゆで卵もいくつか作った。とにかくそのようにして、なんとかうまく時間をつぶすことはできた。少し時間が余ったので、免色にならって車を洗うことも考えてみたが、どうせすぐに埃だらけになるのだと思うと、その気もすぐに失せた。まだ台所に立って野菜を茹でている方が有益だ。

そこから少し離れたところに小さなオイスター・バーがあって、新鮮な牡蠣を比較的安く食べさせてくれた。よく冷えたシャブリを飲みながら、ホース・ラディッシュをたくさんかけて、小ぶりな生牡蠣を食べるのが彼女は好きだった。あのオイスター・バーはまだ同じ場所にあるのだろうか?

まりえは土曜日いちにちをそのメイド用の居室の中で静かに送った。朝食代わりにクラッカーを齧り、チョコレートをいくつか食べ、ミネラル・ウォーターを飲んだ。

彼女はクラッカーとチョコレートとミネラル・ウォーターで生き延びた。ナッツの入ったエナージーバーも食べた。ツナの缶詰も少し食べてみた。

村上春樹著『騎士団長殺し』

今回は写経により、「たまねぎ」の表記のゆれを発見した。