たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

みそ汁と魚 吉本ばなな『TUGUMI』

えーと、この本、私が懐かしのセンター試験を受けたとき、現代文で出題されてえらい話題になりました。 「既読の人が多く不公平では」というヘンな意見が噴出したのです。私は受験当日に初めて読んだひとりです。ばななさんが流行っていることは新聞の書籍広告でよーく知っていましたが。 まあ、「マークシートで答える現代文」というそもそもヘンな出題で、既読未読はあまり関係ないと思いました。 ストーリーを知ってたらサマライズの設問でちょっと時間的にトクというくらい? (ちなみに私は漢文セクションを全部誤答しました。幸い足切りされず大学合格できましたが) 今更異国の地で読み返す気になったのは他でもない、密林でセールしてたからです。

「帰ったら、みんなでケーキ食べましょうね」
と丸いメガネをかけたやさしい横顔で陽子ちゃんは笑った。
「あ、私ね、つぐみに取られるより前にどうしても、どうしてもアップルパイを自分のものにしたい。あいつ、アップルパイが好きだから」
情ないが、その時はかなり必死に私は言ったと思う。
「じゃあ、こっちの箱にはアップルパイしか入ってないから、こっちはつぐみに見せないようにしましょう」
と陽子ちゃんはもう一度笑った。

「みそ汁と魚しかないけど、ごはん食べる?」
「そりゃいいね」
と言って父はいすをガタガタ出してすわり、上着をぬいだ。私はなべを火にかけ、皿をレンジに入れた。夜中の台所に活気が灯る。TVが静かに響く。ふいに父が、
「まりあ、せんべい食うか」
と言った。
「なに?」
と私が振り向くと、彼はカバンからごそごそと大切そうに紙に包んだ2枚のせんべいを出してテーブルの上に置いた。
「1枚はお母さんの分だからな」
「どうしたの、それ、それっぽっち」
びっくりして私はたずねた。
「いや、今日の昼、お客が持って来たんだよ。食ったらあんまりうまいんでさあ、君たちの分、もらってきたんだよ。本当に、それ、うまいんだ」
父は照れもせず説明した。
「家でこっそり犬を飼ってる男の子みたいって言われなかった?」
と私は笑った。
大の男がたった2枚のせんべいをカバンにこっそり忍ばせて家に帰ってきたのだ。
「東京というところは野菜はだめ、魚もまずいでしょうがないが、実はせんべいだけはよそに誇れるおいしさなんだぞ」
父は私のよそったごはんとみそ汁をもくもくと食べながら言った。
レンジから魚を取り出して父の前に置くと、「どれ」と言って私はテーブルにつき、せんべいを手に取った。初めてせんべいを手にする外人のような気分だった。食べてみると、しょう油のこげた濃い味がしてとてもおいしかった。そう告げると父は満足そうにうなずいた。

奥でやはりおにぎりを食べかけていた陽子ちゃんが、ちゃぶ台の上に私が前使っていた湯のみを出してお茶を注ぎ、
「お茶だよ」と差し出し明るいまなざしでにっこり笑った。
「まりあちゃんもおにぎり食べる?」
「バカめ、すぐに立派な晩めしなんだぜ。めしが入んなくなるだろ」
と部屋のすみっこの壁にもたれ、足を投げ出して雑誌をめくっていたつぐみが顔も上げずに言った。
「それもそうね、まりあちゃん、夜、ケーキ持ってくるから待っててね」
陽子ちゃんが言った。
「ずっとあそこでバイトしてるんだね」
「そうなの。あ、ケーキの種類も少し増えたよ。新しいの持ってきてあげるね」
「うれしい」

政子おばさんが作る朝ごはんのかもし出す全体の雰囲気、朝、市場で買った新しい海のものが必ず入っているテーブルの丸ごとを心に焼きつけるような切なさで、にぎやかに食べた。

吉本ばなな『TUGUMI』