たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『コンビニ人間』を逆輸入した

ロサンゼルス郊外の書店の「店員おすすめコーナー」にこの本の英訳版が並んでいたのを見て、「そういえば、佐藤優氏も現代人の反逆が現れてるとか言及してたなー」と思い出し、原書のKindle版を読む(しつこいけど、ほんとに電子書籍最高よ。ほんの10年前なら、これで海外の原書を手に入れる努力はしないまま忘れ去ってたと思う)。

「ところで、僕は朝から何も食べていないんですが」
「ああ、はい、冷凍庫にご飯と、冷蔵庫に茹でた食材があるので、適当に食べてください」
私は皿を出してテーブルに並べた。茹でた野菜に醤油をかけたものと、炊いた米だ。
白羽さんは顔をしかめた。
「これは何ですか?」
「大根と、もやしと、じゃがいもと、お米です」
「いつもこんなものを食べているんですか?」
「こんなもの?」
「料理じゃないじゃないですか」
「私は食材に火を通して食べます。特に味は必要ないのですが、塩分が欲しくなると醤油をかけます」

顔を合わせた流れで、なんとなく、一緒に食事をする運びとなった。白羽さんが解凍したおかずは、シュウマイとチキンナゲットだった。皿に盛ったそれを無言で口に運ぶ。
自分が何のために栄養をとっているのかもわからなかった。咀嚼してドロドロになったご飯とシュウマイを私はいつまでも飲み込むことができなかった。

村田 沙耶香著『コンビニ人間』より

主人公にとって食事がコンビニ人間としての熱源でしかないのが、よく分かる記述である。

彼女は、冒頭によその子をシャベルで殴る、大人になってからは泣いてる甥をあやす妹とナイフを横目で見ながら「泣き止ませるのは簡単なのに大変なこった」と思うなど、サイコパスみがあるのが怖かった。

本書では、彼女を恐れるのを、「こちら側の人間には理解できない」と言うが、やっぱりこの人があちら側をさらに超えてるだけでは...と思った。

でもね、この文章で、彼女も十分「こちら側」の人間だわ、共感できる、と思った。それがいいのか悪いのかは別として。
人間は祈る生き物だから。

8人目の店長は、私が「コンビニ」へ向かっていつでも祈り続けていることを、その場にいないときもちゃんと見てくれている。

書店に店員さんのノート付きで並べられていた表紙はこちら。あんまりよくない。ストックフォトを使った自費出版のようで。
日本人作家の名前に気づかなければ手に取らなかったと思う。

Convenience Store Woman: A Novel

Convenience Store Woman: A Novel

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アメリカ人に伝わるのか?とは思うけど、こちらの装丁のほうがまだいいですね。

一番いいのは原書ですが。