たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

オーガニック食、おうちの味『彼女は頭が悪いから』

もちろん、上野千鶴子先生の東大入学式式辞で知って読んだ。ありがたい。
でなければ著者名に対する偏見で手にとる機会はなかったと思うので...

その祝辞を読むたび、「東京大学へようこそ」で涙が出てきた。

自分がこれから学究生活に入るわけでもないのに。

やっぱり、エールだと思うよ、いろいろな意味で。

私立中学からもどった1年の神立美咲は、だれもいない家の台所で、鍋に残った鶏肉と野菜の煮物をコンロであたためなおした。炊飯器に残ったごはんは1人分をレンジであたためなおした。

DKのテーブルに向かうと、母親はロールサンドを出してきた。無農薬野菜専門店のニンジンとパセリがいやというほど入ったやつだ。
「期末最終日でしょう。たくさん作っといたから。ひーちゃんのぶんはちゃんととってあるから、ぜんぶつーちゃんの」
得意そうに言う。小学生のころは、つばさも兄ひかるも、くるくる巻かれた形状によろこんだものだが、兄弟がもう小学生の気持ちではなくなっていることに、母親は気づかないので困る。
なんとかが無添加のパンを使ったのだそうで、きっとものすごい量のロールサンドイッチを作ったのだろう。けれど高校から塾へ直行の兄が、家に帰ってきてこれを食べるころにはパサパサになっているだろう。
「食後にはヨーグルトも食べて。大豆のヨーグルトよ。大豆は集中力を高めるから。ブレインフードって言われてるのよ。ひーちゃんも中学時代は毎食後、これ食べたのよ」
冷蔵庫から母親は大豆ヨーグルトも出してくる。スプーンをつけて。
「ヘイヘイ」
テーブルに肘をついて、ヨーグルトのほうはふたくちで食べ終えた。
「どうだった?」
母親はノンカフェインの柚子茶をグラスに注いだ。

地下鉄浅草駅のそばにあるラーメン屋で、みんなでキムチラーメンを注文したところ、舌がヒリヒリするほど辛いにもかかわらず、甘さひかえめの梅ジュースと合わせると、「なんかこれ、クセになるようなおいしさがない?」とマユが言うとおりの味で、「ひー、ひー」と騒ぎながら食べたのがおいしかった。

遠藤歯科を通りすぎ、家に帰ってくると、母親が冷蔵庫に貼ったメモのとおり、夕飯の下ごしらえをした。
米を4合炊き、とぎ汁を大きなボウルにすこし残し、ほうれん草をさっと茹で、父方の祖母がくれた竹の子の皮を剥いてタテに半分に切り、さっき米のとぎ汁を入れたボウルに水を加えて、竹の子を浸した。

《冷蔵庫に明日葉のロールサンドがあります》
母親は南青山のジムにホットヨガをしにいったらしい。
(ごめんだ。明日葉のサンドイッチなんか。健康によいのかもしれないが、まずい)
頭が痛い。冷蔵庫から、母親がいつも作っておくルイボスティーのポットを出す。大きめのグラスに注いで一気に飲んだ。

大学1年生の美咲は、学食でヘルシーサラダランチを注文した。ほうれん草とゆで卵のサラダとライ麦パンと無脂肪ミルクののったトレーをテーブルに置いた。

6人が囲んだクリスマス・イブのテーブルに並んだものは、無農薬野菜のサラダ、サラダ、サラダ。大豆ハンバーグ。玄米。
オーナーは、セブンスデー・アドベンチストの教会に通う信者であった。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。

さっきの店にもホットワインがあった。「ホットワインってワインのお燗じゃないのよ。フランスやドイツでは薬草やシナモンやハチミツで味付けして寒いときに夜中に飲むのが主だけど、日本で最近、出してるのは、だいたいオレンジジュースやクランベリージュースで割ってアルコール度数を弱めた、女の子向きのやつよ」と部長は言って、だが、その女の子向きのやつも、彼女はたのまなかった。

いずみとつばさがはさんだテーブルには、サラダばかりが運ばれてくる。やっとサラダではないものが来たと思うと大豆ハンバーグと玄米だ。
クリスマス特別ケーキは、人参とオーツ麦をこねて、アーモンドオイルで焼き上げたもの。タンポポとどんぐりを炒ったコーヒーも出た。ノンカフェインとのこと。
「このケーキとコーヒーはいけるじゃん。うまいよ」
「お世辞はいいよ」
「お世辞じゃないって。べつにおれ、ここの店の人に義理ないし。大豆ハンバーグと玄米もなかなかいけたよ」
つばさの母親がいつも作るような料理と味つけなのだ。いわばおふくろの味だ。

肉を買って帰った。
5人家族なのでステーキではなく、すき焼きふうに煮て生卵を添えた。
「ほう、いいにおいだな」
朝の早い父親は、早めに食べ始めて早めに食べ終わるが、途中から茶の間に来た弟と妹も、
「わあ、今日はごちそうだ」
「おいしそう」
大喜びしている。食卓は久々に笑い声に満ち、美咲もうれしかった。

(お父さん、DVD見終わったら焼酎飲むのかな。そしたらいっしょに飲もうっと)
まだ鍋にすき焼きふう煮がちょっと残っている。
(『ひろた』で茗荷も安く買えたから、茗荷とまぜてアテにしてあげよう)

「ならよかった。お父さん、忘年会で遅いそうだから、夕飯は2人なんで、はるさめとエビと島豆腐の入ったサラダと、とりそぼろごはんと、百合根と真鱈と銀杏いれた茶碗蒸しでいい?」
「それ、これから作るの?」
「サラダはできてる」

「お祖母ちゃんの知り合いの人の家でミートパイを出してもらった」
だから、サッと専業主婦の話題を出す。
「アメリカ人の女の人で、結婚して日本に来て、お姑さんにパッチワークならってて、手作りだっていうミートパイを出してくれたよ。さすがにアメリカ人仕様っつうの? ボリュームがあってさ。なんで、腹がそんなに減ってないんだよ。サラダだけ食べて、残りはもどったら食べるから。そんなカンジで」
「そう、じゃ、残りは冷蔵庫に入れとくから、あんた、もどったらチンして食べなさい。茶碗蒸しはラップしとくから。食べたら食器だけシンクにおいといて。水つけといてくれたらいいから」

その点、渋谷のイタリアンは、トイレも男女別で清掃もいきとどいていたし、ホールはもちろんおしゃれなインテリアでゆったりできたし、食器もおしゃれだったし、食べ物もおいしかった。それにお茶大の2人は理系だったから、男子たちに関心のあることをしゃべってくれたのでラクだった。
(このジャガイモおいしいなあ、白いチーズがからまっているなあ、こっちのパスタもおいしいなあ、このソースがおいしい)
などと料理をじっくり堪能できて、なおかつ、そばにカレがいて、そのカレはたのしそうにしていたから、そんなカレをながめていられたのがよかった。

「今日の朝ごはんのパンね、『グリム』で買った胡桃の入ったパン」
今朝は家族5人でパンとインスタントコーヒーと、美咲の作ったレタスと胡瓜のサラダを食べた。パンは、カエちゃんの『グリム』で、昨日の夕方に母親が買ってきておいたものだった。

「うちでもチュロスを新発売したんだ。シナモンきかせぎみにしてみた。試食してみて」
自宅から店に出てきたカエちゃんが、小さく切ったチュロスの入った皿を、美咲の前に突き出した。

カウンターの後ろの、今焼きたてのパンを置く棚には、ハート型のチュロスがならんでいる。
「おまけするよ。カレとふたりぶん。バイト終わったら持って帰って」
トングでチュロスを2つとり、袋に入れてくれたカエちゃんは、背中に子供をおんぶしている。

「独・ベルギーのビールをそろえています。おつまみ豊富」と、作り物のソーセージを持った(ママ)皿を重石にして厚紙に書かれている。
「ソフトドリンクもありますよ。プリンやベルギーチョコソフトクリームもあります」
長いエプロンをつけた女店員が、ドアを開けてにこにこした。
「ベルギーチョコのソフト、食べたい」

母親と気があっている伯母ちゃんは、ときにそうするように店の甘いパンを持っておしゃべりに訪ねたのだった。昨夜のことは何も知らない。
「クリーニングのほう? なら帰ってくるころか、明日にでもするわ。そんでこのパンはね ---」
カエちゃんの伯母ちゃんは『グリム』の袋を美咲に渡す。
「お昼に美咲ちゃんが食べたらいいよ。ぜんぶ食べてもいいよ。また持ってくるから」

姫野カオルコ著『彼女は頭が悪いから』より