大阪と軽井沢。
そうして私は、苺をつぶしてたっぷりミルクをかけて食べ、食べてるあいだじゅう、新聞をよむ。
そのあと、バスタブにぬるめの湯をなみなみと張って、ゆっくり浸かりながら本をよむ、という寸法である。
そんなことを思いつつ、ラーンランラン、と鼻唄になったり、それからふと、朝ごはん(トースト1枚と半熟卵と紅茶と、冷たいミルクをたっぷりかけた苺の朝食)のとき、新聞を読んでいて、ヘンだな、と思った個所が、いまわかってひとりで大笑いする、そういうこともできる。
私は原こずゑとスパゲティを食べている。
ヨーロッパ通りと「心斎橋パルコ」の通りの交叉したところにある「マルチェロ」という地下のイタリア料理店である。
以前は四つ橋の「ローマ」という店が好きで、私はそこのスパゲティの、エンゼル・ヘアという、糸よりほそいのをいためたのが好きだった。むろん離婚してから、ひとりでさがした店である。
小さいけど、美味しい店で、マスターも品よくて、私はいいトコをみつけたと思ってご機嫌だったんだけど、そこは、
(ちょいと具合わるくなっちゃった)
んだ。
そのBBで思い出したが、BBはなぜか、スパゲティが大好きで、「スパゲティこそ人間の活力の最大の源泉だわ」
といっている。
私もこずゑも、その意見に賛成。
それにどっちも、いくら食べても太らないという、神様に感謝すべき体質なので嬉しかった。あさりがふんだんに入って、塩と胡椒と白ワインで味つけされたスパゲティを、私たちは夢中になって食べた。昼間っから2人で白ワインを半分ずつあけ、スパゲティだけで足らないというので、ムール貝の前菜をまた追加したりして、ゆっくり昼食を摂る。
ハダカのまんま、トーストにグーズベリージャムなんか塗りつけて、舌を焼きそうな熱い紅茶とともに食べてるとき、ほんと、心の底から、
(グハハハハ……)
と笑えてくるので、まあ、こういう笑いが出るうちは、無理して男を手に入れなくてもいいのだ。
避暑地の避暑地で心ゆくまでおいしいものをむさぼり食うのも至上のたのしみである。私はボリュームのある肉の煮込みにした。空気のいい、乾燥したこの土地では、とろっとした重いしつこい美味が、なぜか軽くすずしくていくらでも食べられる。
食事がすんで、お酒でも飲もうと思ったら、
「ごめんなさい、あなた1人でも退屈しないわねえ? あたくし、ちょっと……」
と芽利は銀ラメでつくった巾着のような手提げを持って立ち、私は早速抛り出されてしまった。
「いまな、シチュー煮いててん、そんで長いことかかってん……」
兎夢は大きな体を2つに折りまげるくらい私におおいかぶさって、人なつこくいい、
「ほな、一緒にいきましょか、中谷さんもどうぞ。アメリカお惣菜料理いうのんか、ポークビーンズいうやつ。ニューヨークいってるとき、こればっかり食うてた。カレーにしょうかなあ、どっちにしょうかなあ、思て迷てんけど、僕、カレーつくるのも巧いねん、そやけどあれ、2日がかりでつくらんならんさかい、シチューにしましてん」
長いフランスパンとシチューを食べながらの小鳥の声を聞いた。トトトト、と啼いている。
「あれ、なに?」
「キツツキちゃいますか、ここの外壁もキツツキがつついた穴があって」
シチューは文句なく美味しくて、それに私の坐ってるところから、兎夢の絵がみえる。
2人で大笑いした、私はスプーンでひとくちシチューをすすり、
「ああ、楽しいな」
といい、パンをひとくちかじって、
「ああ、嬉しいな」
といった。ぐるりと木の壁や天井を見廻し、
「軽井沢の別荘にいるなんて夢みたいよ、このシチューも美味しい」
「喜ばせ甲斐のある人やな、ほな、ここへ泊りはったらええねん、そないせえへん?」私は冬でも苺が好きなので、粒の大きなのを買って来て、ミルクの海の中でつぶして食べる。
田辺聖子著『苺をつぶしながら』