たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

日本の富裕層の食事 母のカレーから白子まで『愉楽にて』

本書の京都パートを読んで、茶道がちょっとイヤになった。金かけてなんぼなのは分かってるし、こういう人たちがいないと文化が守られないのも確かなのだが。

2人の前にはやがて、細く切った野菜と海鮮の皿が出てくる。高く盛られたこれは魚生(ユーシェン)といって、旧正月の料理だ。シンガポールだけのものらしく、北京や香港で見たことがない。
やがて4人のウエイトレスとウエイターが皿のまわりを囲んで
「ローヘイ」
「ローヘイ」
と祝いの言葉を口にする。それを聞きながら箸ですくっていくのだ。終わると久坂は
「謝々」
と言って赤い小袋に入れた祝儀を渡した。
「いつも思うけど」
夏子は箸で長く切ったきゅうりをすくう。
「このタレがすっごく甘いの。どうしてもっとシンプルな酢醤油にしないのかしら」
「お祝いものだからだよ。祝いのものって、たいてい甘いだろう。餅料理がそうだし、日本のおせちも相当の甘さだ。ユーシェンは、ちょっと箸をつけるだけでいいよ。縁起ものだから頼んだだけだ」
さあ、何がいい、とメニューを開いた。
「ここの料理は広東料理だよ。アワビの料理がとてもおいしい。六本木の中國飯店に似た味だよ」
「私、何でもいい。お任せします」
夏子が少し無愛想なのは緊張しているせいだとすぐにわかる。
久坂はカリフォルニアの白を1本注文した。シンガポールのワインの品揃えは相当のものであるが、かなり割高である。

白ワインでも抜こうかという田口をおしとどめて、久坂は日本酒を頼んだ。別に田口が喪中だからというわけでなく、河豚の刺身を頼んだからだ。となると、やはり甘口の灘がいいだろう。
(中略)
久坂の友人の中には、1年先まで予約がとれない人気店を、常連の無理をいわせて休日に開けさせる者もいた。もっと無茶な例として、さる鰻屋の主人の自宅で食べたことがある。主人の家のリビングルームにワインを何本か持ち込んだ。そして庭のコンロで白焼きや筏を次々と焼かせたのである。金があるだけでは出来ることではない。何代か続けて上得意を続けてきた家の者だけに許される我儘だ。
久坂はそれほど熱心な美食家ではなかった。しかしこうどの店も席が取れないとなると、日本に帰ってくる楽しみが少し減るというものだ。
(中略)
「いやー、ITの連中っていうのはすごいからなぁ、特に和食と河豚はダメだ。あいつらは金にものを言わせて、店をどんどん貸し切りにしていく。もう東京中すごいことになっている」
そして田口はこんな話をしてくれた。昨年の秋、ハワイで某企業の社長の誕生日会が開かれ、多くの友人が集まった。その時、幹事役の社長が、自家用ジェットで運ばせたのは、銀座の鮨屋の主人と職人2人、その朝築地で競り落とされた最高のマグロ半頭、大量の高級ワインだったという。

到来ものの村上開新堂のクッキーがある。亡くなった妻の大好物だったので、それを知っている人たちから、供えて欲しいと、ふたつ、三つと届けられる。顧客の紹介者がいないと買うことの出来ない、麹町の菓子屋だ。ピンクの箱に入ったクッキーは、まるで工芸品のように美しい。いったいどうやって詰めたのかと思うほど、隙間なくぴっちりと並んでいるが、今は田口によって半分ほどに減っている。夜の甘いものがやめられない。酒を飲んで帰ってきた後も、アイスクリームをなめる田口に、妻は嫌な顔をしたものである。
(中略)
あれこれ考えながら、妻への供物である上等のクッキーを、箱のまま口に入れていく。妻がいたら到底許されることではなかった。妻は村上開新堂のクッキーを、必ずウェッジウッドの皿にのせた。それはアンティークで、水色の皿の縁を白いレリーフが飾っていた。少女時代から使っていたという気に入りの1枚だ。
あの皿はどうしたろうか。たぶん他の骨董品と一緒に業者に渡してしまったような気がする。が、全く惜しいとは思わなかった。妻を亡くした代わりに、箱から直に菓子を食べる自由を今手にしている。

「集中講義」の手はじめとして、田口は彼女を鮨屋に招待した。高貴寿しは、当時スタンド―ド界隈で、唯一まともな鮨が食べられる店であった。ちゃんと日本から来た職人が握っていたのである。予想どおりモニカは、鮨は初めてであった。生の魚が本当に食べられるかと質問された。
「今のところ、こっちの連中は、アボカドと一緒に巻いたりしてこわごわ食べてるけど、今に生の魚がやみつきになるよ。僕の予想はあたるんだから」
(中略)
一緒に暮らしても切りつめた生活を変えるつもりはない。食費もきっちり半分払った。2人でよく日本食の定食屋へ行った。ビーフヤキニクやスパイシーチキンを2人で分け合って食べた。夜は安いカリフォルニアワインを飲みながら、さまざまな議論をする。

夕食はホテルのレストランで軽く済ませた。いきつけの店がないこともなかったが、今から予約をするのは億劫だったからだ。ビールを1本頼み、サラダと小さなステーキを食べた。パンは頼まない。最近下腹の肉が気になっているからである。

「京都からあなたの好きなタケノコをいっぱいいただいたの。帰りに寄らないかしら」
「調理済みならいいよ」
「もちろん」
(中略)
その日も真佐子は、溺愛している三男のために、筍ごはんや煮物を用意して待っていた。といっても、すべてお手伝いがつくったものである。
(中略)
帰りに真佐子はタッパーを幾つか持たせてくれた。筍ごはん、鰆の西京漬けといったものの他に、冷凍したカレーもある。玉ねぎを気長に炒めたルーは、子どもの頃から田口の大好物だ。これはお手伝いではなく、母がつくるのだ。
「野菜と一緒にね、サラダも食べるのよ」
この言葉も毎回必ず添えられる。

そこへ白い上っぱり、三角巾の中年のウェイトレスが入ってきた。
どうやら女将とは顔なじみらしい。
「おかあさんはいつものでよろしいか」
「あかん、あかん。ダイエットせなならん、もう甘いものは当分禁止や。蜜なしのみつ豆でもよばれるわ」
「おかあさん、春になるといつも同じこと言いはるわ」
眼鏡をかけた女は笑った。その間、お品書きを見つめていた田口は、少々救われた思いになる。「ぜんざい」や「マロンあんみつ」「抹茶パフェ」という文字に困惑していたからである。
「甘いものは当分禁止や」
という女将の言葉と、コーヒーという文字を見つけたのは同時であった。
「それではコーヒーをお願いします」
ウエイトレスが去ると2人の前には湯呑みが残された。しかし女将は、一瞬たりとも気まずい思いをさせない。
「この部屋、私らよう使わせてもろてます。今日び、舞妓ちゃんらがお稽古帰りに、ちょっとあんみつ食べようと思っても、観光客の人らがすぐに、写真撮りますんや。おちおちおやつも食べられしまへん」
(中略)
「このおじゃこ、87歳のお爺さんが毎日決まった量しかつくらしまへん。そこらで売ってるものと、まるで味が違います。これをお渡ししようと思いまして」
「それはどうも……」
いったんもらって、テーブルの上に置いた。が、これが口実なのはあきらかすぎるほどあきらかであった。
やがてコーヒーとみつ豆が運ばれてきた。女将はゆっくりと口に運んだ後、ガーゼのハンカチで口元を拭った。
「ああ、おいし……」
と微笑む。
「ここの店、ずうっと昔からここでお商売してはりますのえ。息子はんの代になってから、マロンあんみつだの、パフェだのおいやすけど、昔はあんみつとみつ豆、ぜんざいにところてんしかあらしませんでした。ここの寒天は、下鴨のお店のを昔から使うてます。他のところと味が違います」
「そうですか……」
と言うしかない。どうしてわざわざ呼び出されて、みつ豆の講釈を聞かなくてはいけないのだろうか、という思いがこみあげてくる。
「ここの寒天は喉ごしがようて。そやさかい豆孝ちゃんも大好物どすえ」

「田口さんがいつも行かはるような上品なお店でなくてもよろしおすか」
「その方がいいよ。夕飯は簡単なところがいい」
そうだ。目的は別のところにあったのだから。
「四条烏丸にカウンターだけのお店があります。カキフライやら、おでんやら出してくれはりますけど、和久傳さんから出てはりますから味はしっかりしてはります」

「豆孝姐さん、どういたしまひょ」
店主らしき若い板前が声をかけてきた。
「ビールでよろしおすか」
「そうだね、ビールにしようか」
2人でまず乾杯した。隣の男がちらとこちらを見るがもう気にしないことにした。芸妓とつき合うというのはこういうことだ。男たちの羨望と嫉妬、そして好奇の入り混じった視線を浴びることなのだ。
「ここは何がおいしいの」
「何でもおいしいおすえ。鯖の棒鮨に、京野菜の煮いたん、今やったら赤甘鯛(ぐじ)もよろしおすなあ……」
豆孝は壁に貼られた品書きを眺める。その横顔をつい見てしまう。睫毛が長い。綺麗な形の鼻であるが、先端がやや丸くなっていることを発見した。不意にこちらを向いた。
「実はハンバーグもおいしいおすねん」
重要な秘密を打ち明けるような顔がなんとも愛らしかった。

 京都はこういうお店が一番おいしいと思う。京おどりの頃に行ったときは、まさにカウンターの隣に舞妓さんと旦那らしきが座っていた。

デザートのメロンのシャーベットを食べ終わった頃、
「階上に部屋をとってあるから……」
と久坂が告げると、
「わあ、嬉しい」
と顔をほころばせた。それはまるで、
「もうひと皿、デザートを食べないか」
と勧められたような屈託のない笑顔であった。

「新しい歌舞伎座になってから、この店、遠くなってイヤになってしまうわ。この後、また下に戻ってお手洗いに行くのは大変なのよ」
しかし漆の箱に美しくおさめられた料理を口にするうちに、機嫌は少しずつ直っていった。
別に運ばれてくる温かいご飯は、今日はえんどう豆の炊き込みで、間佐子の大好物だった。
(中略)
「まあ、もうこんな時間。急がなくっちゃ。私、これからお手洗いに行くのよ」
「私もそうなの」
真佐子は手をつけていないデザートを恨めしそうに見た。最後に出されるフルーツゼリーも真佐子が好むものだ。しぶしぶと立ち上がる。

グラスのシャンパンが置かれた。
「先日は本当にお世話になりました」
「退院おめでとうございます」
2人でグラスを合わせる。
野菜を使った冷たく美しい前菜が運ばれる頃には会話はなめらかに進んでいた。
(中略)
「まあ、最近はお世辞でもそんなことを言ってもらえないので嬉しいです。それにしてもこのワイン、なんておいしいんでしょう。私はお酒飲めませんのに、すいすいと入ってしまいます」
「すべての酒がそうですが、いいものはすいすいと入りますよね」
田口も自分のグラスにつぎ足してもらう。
ソムリエと相談して、田口はデキャンタしないことにした。
「僕はワインにかけては全くの素人ですが、詳しい友人から言われたんですよ。そもそもワインっていうのは、グラスの中でゆっくりと空気に触れて変化していくもんだろうって。そう計算されてつくっているんだから、古い赤ならなんでもデキャンタするっていうのは、どうも賛成しないって。そう言われてみると、デキャンタされたものって、何かが“済んだ”っていう感じがするんですよ……。いや、こんなご託をしてすみません」
「私も全くワインのことはわかりませんけども、グラスの中で、確かに味が変わっていくのがわかります。これ、本当においしい」
美和子は注がれたワインを半分ほど空にしている。
「私、ふだんはこんなにいただかないのに、おいしくておいしくて……」
「本当にこれはうまいなあ……。バランスがよくて完成されていて、気品がある……。ねえ、池田さん、そう思いませんか」
「これは飲み頃です。本当にいいですね」
グラスを片手に、初老のソムリエも大きく頷いた。持ち込みの高価なワインは、ソムリエにまず1杯飲んでもらうのがマナーである。彼らのために瓶に少し残しておくのだという者もいたが、最初に一緒に飲んだ方がずっといい。別の店で友人がロマネ・コンティを何度か開けたことがあるが、その時はソムリエが、注がれた1杯を大切そうに奥に持っていった。店の者たちと少しずつ飲むのだという。その正直な様子に田口は好感を抱いたものだ。
「このヴォーヌ・ロマネ、本当に素晴らしいですね。私もすごいお相伴させていただいて幸せ」
後藤が深いため息をつく。彼女はかなり酒が強い。こうした接待の席ではわきまえているが、仲間うちの飲み会ではハメをはずして飲むと聞いたことがある。
和牛の上に、黒トリュフをモザイクのように敷きつめたメイン料理が終わる頃には、2人の女の頬は桃色に染まっていた。

テーブルの他にソファセットがあり、久坂はそこに座った。三段のトレイに、クルミの砂糖がけやピーナッツ、干し杏が盛られている。それを齧りながら、窓から景色を眺めた。半円の窓から、光り輝くビルとゆっくりと通り過ぎていく観光船が見える。魔都の夜だ。
(中略)
そんなことを語りながら、ファリンは、銀色の箸で魚の身をすうっと抜いた。料理は平凡な四川料理である。そうたいしてうまくはなかった。
しかし夜景は素晴らしい。しきりに行きかう観光船も、やや下品な色彩のネオンも、この古風な半円の窓から見る限り、昔のままの上海であった。

食事は終盤にさしかかり、2人の目の前には里芋が唐津に盛られたものが置かれた。

幸いなことに店はあった。が、経営者が変わって、かつての高い酒を出すワインバーではなく、若者が来るような小皿料理と酒の安手のバーになっていた。
仕方なく久坂はスペイン料理だという、あまりうまくないタコのオリーブ煮や、冷たく固いオムレツなどを頼んだ。食事をしたにもかかわらず、ここでも洋子はよく食べ、よく飲んだ。
「これでは太るはずだろう」
と久坂はややげんなりした。

「みんなもう懐石には飽きているだろう」
という山崎の提案でイタリア料理店となった。なかなか予約がとれないことで有名である。和とうまく調和させてあった。
フォアグラを使った前菜は、まるで豆腐のような見立てになっている。九条ねぎを使った冷たいパスタはそう珍しくないが、丼いっぱいに粉状のカラスミが添えられている。好きなだけかけろということらしい。
「うまそうだなあ。だけど用心しながらかけないと」
宇野がおっかなびっくりといった様子で、金色の粉をふりかけ、その様子に皆が笑った。
「血圧は上がる時には上がる。下がる時には下がる。僕は毎朝、女房に青汁を飲まされるけど、あれはもうたまらんよ」

四条烏丸の裏通りの店だ。木造の一軒家はカウンターだけの店で、鯖鮨からメンチカツまでメニューにある。が、
「和久傳さんから出てはりますから、味はしっかりしてはります」
という豆孝の言葉どおり、何を食べてもうまかった。

そこへメインの鴨料理が運ばれてきたので、手を離した。同時に2人の前に、銀製のドームカバーが置かれる。合図をして同時に開けるのだ。しばらく客は銀の蓋に映る自分の顔を見ることになる。ゆがんで滑稽な顔がそこにあった。これから心を込めて女を口説く顔である。
ドームカバーが開けられた。温野菜が添えられた三切れの鴨が現われる。そこに男がうやうやしくソースをかける。
しばらくあたりさわりのない会話を続けるしかない。

通りすがりの者には、ありふれたカウンター割烹の店に見えるだろう。しかしここでは最高級の天然のとら河豚を出す。厚くひいた刺身は、鮟鱇の肝を溶かしたタレで食べる。値段もおそらく東京一だ。
約束どおり美和子とここで食事をすることになった。カウンターには持ち込んだシャンパンも置いてある。クーラーの中のそれはクリスタル・ゼロだ。甘やかな香りときりりとした味が田口の好みで、家にも何本か置いてある。

「このシャンパン、とてもおいしいです」
「もっと飲んでください」
田口は彼女のグラスに注いだ。細かい泡がいっせいに喋り出す。
「さあ、刺身が出ましたよ」
「ああ、なんて綺麗なんでしょう」
花びらのように盛られる白い透明の魚は、たいていの女の好物である。美和子が遠慮すると思い、それぞれの皿に盛ってもらっていた。それでもなかなか箸をつけない。
「あまりにも綺麗で、箸でくずすのが申しわけないわ」
「そんなこと言わないで召し上がってください。ここの河豚は日本一ですからね」
(中略)
やがて白子が運ばれてきた。店から言われたとおり、それはまだ小ぶりであった。こんがりと焼かれた表面を箸で破ると、真っ白な中身がどろりと流れてくる。それをたっぷりと別皿に盛られた、鴨頭ネギにからめて食べるのが田口の好みであった。
(中略)
白子の中身は、注意されたとおり大層熱い。オスの河豚の精液が凝縮されている。最初にひとつかみ箸ですくった田口は、舌を出したりひっ込めたりする。
(中略)
白子をネギごと頬張る。
「こんな風に河豚をいただくことなんか出来なかったはずです」

メインテーブルで、サンドウィッチを頬ばる滝沢の痩せた姿が見える。古希をいくつか過ぎたぐらいのはずであるが、背がすっかり丸まり完全な老人である。
その傍らでカクテルドレスを着た彼の妻が、菓子を口に運んでいた。おぼつかない手つきの夫を完全に無視して、プチシュークリームを食べ続ける様子は、異様といってもいい。

前菜は河豚を柑橘で締めたものにキャビアをのせている。キャビアは九州の宮崎で養殖されたものだと、シェフは説明してくれた。ファリンに訳してやる。
「中国の人たちも、この頃キャビアが大好き。そうそう、あなたが泊まったホテル、覚えているでしょう」
(中略)
やがて2人の前に、少量のすっぽんのスープが運ばれてきた。これには珍しいスイスの白ワインを合わせる。2人は静かにスープをすすった。先にスプーンを置いたのはファリンだ。
(中略)
やがてあたりには、バターを砂糖のにおいが漂ってきた。この店では最後に、鉄板の型に入ったままの焼きたての小さなマドレーヌが出される。食べられなかったから、土産にしましょうかとシェフが尋ねた。
「私はいらないわ」
「じゃあ、包んでくれるかな……」
妻がおそらく食べるであろう。小さな包みを持って久坂は店を出た。

そうする間にも、スペインの発泡酒やワインが次々と抜かれた。
「今夜は貸し切りにしていますので」
先ほどの男が言った。髪を後ろにちょんまげにし、今にもフラメンコを踊り出しそうである。魚介類を使った小皿料理が運ばれてくる。
若い男2人は、どちらも大層酒が強かった。またたく間に3本の瓶が並んだ。どれもスペインの手に入りにくいワインだと店の男が説明した。

母が元気だったころは、孫たちも集まったので、なじみの料理屋から五段重ねのおせちが届いた。今はほんの箸休め程度に、からすみや数の子、田づくり、黒豆といったものが並んでいる。

「文革をかいくぐったファリンさんのような中国女性、やすやすと不幸にはなりませんよ」


林真理子『愉楽にて』より

 上記の「四条烏丸の和久傳から出ている小さな店」の説明のように、合間合間に繰り返しがあるのと、最後が駆け足になるのは新聞連載小説あるあるだ。『細雪』でさえ例外ではなかった。日経新聞連載というと、やはり故渡辺先生の与太小説を思い出すが、彼の描写よりはるかに上品。そして女性に厳しい。渡辺先生なら、せいぜい、「パンツスタイルはダメだ」という程度なのに、主人公が世話することになった豆孝ちゃんが頭洗ってないとかかわいそうすぎる。