たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

フライドポテトは野菜 内田親子の『街場の親子論』

私は対談本が好きだ(9割ハズレだが)。考えてみればアメリカでは、インタビュー本はあっても対談はあまり聞いたことないな。村上・オザワの音楽対談本の英訳も稀有に思えた。そもそも企画モノっぽい本があまりない気がする。やたら多作な論客も思いつかない。日本には一定数いるよね、やたらと出版社の企画が殺到してどんどん筆が荒れていく「知識人」。

1週間ほど滞在したけれど、朝から合気道の講習、夜は参加者の方々と食事、とパリでも忙しいお父さんとは、同じホテルにいても一度も顔も合わせない日おあったけど、最後の夜だけは講習会最終日の打ち上げを断って私とカルチエ・ラタンに中華を食べに行こうと誘ってくれて、二人だけで晩御飯を食べられたのは(機内食を除けば)この日だけだったので、そういう時間を頑張って作ってくれて嬉しかったです。
お父さんは「その店ね、チャーシュー麺が食べられるらしいんだよ!」と、いそいそとお店に向っていて、昔、お父さんがハマっていた「神戸の中華そば もっこす」のチャーシュー麺を思い出しました。よく「ねえ、今日、晩御飯、ラーメンにしてもいい?」と懇願するお父さんに「いいよ」と答えると、スーパーに向かってるはずだった車をUターンさせて、一目散に「もっこす」へ走らすお父さんを。
お父さんの念願のパリのチャーシュー麺は、麺は米麺で、味付けもチャーシューもタイ風で(というか、そこは「中華料理も出すタイ料理屋さん」だった)、おそらく全然「チャーシュー麺」じゃないんだけど、お父さんは「おいしいおいしい」と言って喜んで食べていて、私の中のお父さんの思い出に、新たな「#チャーシュー麺」のタグ付けされた思い出ができました。食べ物から思い出す他愛ない記憶って、人生で色々ありますよね。

だから、ヴァルラスからパリに戻って最初に、僕たちはオペラの「ひぐま」で味噌ラーメン食べて、その近くの東京堂という書店で『コロコロコミック』を買ったのでした。るんちゃんはその後二日ほどものも言わずにその600頁の『コロコロコミック』を文字通りむさぼるように読んでいました(翌日オルセー美術館に行ったときも、るんちゃんは絵画にも彫刻にも何の興味も示さず、ヘラクレスの彫刻の前のベンチに座って、ひたすら『コロコロコミック』を耽読していたのでした)。あれほど熱心に本を読む人を僕はあとにも先にも見たことがありません。
(中略)
スペインへのドライブの最初の日がカルカッソンヌ泊まりで、けっこういいホテルで、プールも深くて冷たくて気持ちよかったんだけれど、そのホテルで出たなんかクリームのべたべたした夕食がどうにもまずかったこと。
(中略)
3日目にバルセロナに遅くに着いて、カフェでるんちゃんがパフェを頼んだら、それがすごく高くて、僕がちょっと不機嫌になったら、るんちゃんがパフェを頼んだことをはげしく後悔して、涙目になって謝ったので、パフェごときで子どもを泣かせた自分に対して今度は僕が自己嫌悪に陥って、二人ともしょんぼりしたこと。

あと、お父さんが「生姜焼きが食べたい!」と、フランスのお肉屋さんで豚の塊肉を買ってきて自力で薄切りにし、飯盒で炊いたご飯とインスタント味噌汁で「生姜焼き定食」を作って食べたのも覚えています。すごく美味しかったですね。

強く印象に残っているのは、やはり現地で食べた美味しいものです。見たことない洋梨や真っ赤なプラム。日本じゃ考えられないくらい熟した状態で売られていたのを覚えてます。それと、買った瞬間から香ばしい良い匂いで、思わず齧り付きながら持って帰った、長いバゲット。あれを是非また食べたいと思っていたのに、こないだのパリ旅行では探しても結局買えずじまいで食べられなかったので、あれはフランスでならどこでも食べられるというものではなく、あの土地ならではの美食だったのだなーと、30年越しに認識を改めました。

お父さんが「もっこすのラーメン」というフレーズで色々思い出したように、こういうのが、「マドレーヌによるプルースト効果」というのでしょうか。直接なにか味や匂いに触れたわけでもないですが、やはり「食べ物の記憶のタグ」は、脳の奥の引き出しを刺激するものがある気がします。エッセイ本の多くも、美食や食べた物にまつわる記述が細かいものほど、そのときの心理描写も細かく生々しい文章になっている気がします。

話は戻りますが、バルセロナのカフェでパフェを頼んでお父さんを不機嫌にさせたことはすっかり忘れていました。ただ、多分同じカフェですが、オープンテラスの席に座って二人でお昼にフライドポテトとステーキを食べて、「毎日、お野菜がフライドポテトだけで、便秘になっちゃったね……」と、顔をしかめていたのは覚えています。

引っ越しで「山手山荘」を去るまでずっと、時々お邪魔しては庭先でお喋りしたり、イチジクを貰ったりしていました。おばあちゃんは「るんちゃんが食べるなら」と、それまで鳥たちに食べさせていたイチジクの実のいくつかを、青いうちに紙に包んで熟させてくれていました。

お父さんも腸内細菌のバランスを大事に、発酵食品を毎日食べてくださいね。私はお父さんのお陰で納豆とキムチが大好きです。

でも、そのあと彼は朝日新聞の熊本支局に最初に赴任したのですが、熊本に遊びに行ったときに美味しい鰻をおごってもらいました。

真冬で、お金がなくて、ある日、晩ごはんの時間になったけれど、食べるものを買うお金がない。流しの下の棚を漁ったら、素麺と醤油がみつかったので、素麺を茹でて、醤油をすこし伸ばして「にゅうめん」のようなものを作って二人でずるずる食べたことを思い出します(もちろん葱も七味もないのです)。

二人でこたつに足を入れて、他に暖房のない寒い部屋で、ときどき即席ラーメンを啜りながら、1日10時間くらい勉強したんじゃないかな。

海苔作りの人が海苔を、お芋を作っている人はお芋を、お茶を栽培している人はお茶を、お米を作っている人はそれでチキンカレーを作って……あとはいろいろな手作りグッズを売ってました。
道場の真ん中に座卓を置いて、お客さんたちはそこでカレーを食べながら、お茶飲んで、おしゃべりしたり、子どもたちは畳の上を転げまわって遊んでいました。

内田樹・内田るん著『街場の親子論 父と娘の困難なものがたり』