たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

さらに脂がのる会食シーン 林真理子著『最高のオバハン 中島ハルコの恋愛相談室』

村上開新堂のクッキーと同じく、私には、Opus One(300ドルくらい。庶民に手の届くレベルの贅沢)とトレジョワイン(3ドル)との違いも全然分からない。どっちも同じくらいカリフォルニアーンだと思う。

ギャルソンが椅子を並べ始めたカフェを見つけ、2人はテーブルに座った。
「カフェ・オレとクロワッサンね」
いづみが男に注文すると、
「すごいわね! フランス語を喋ってるわ」
女が目を丸くした。
「フランス語なんか喋ってませんよ。カフェ・オレとクロワッサン、って言って、プリーズの替わりになるシイル・ヴ・プレをつけただけですよ」
「だけどすごいわよ。あ、私にも同じもの頂戴ね。そのカフェ・オレとクロワッサンね、お願いよ。バターだけじゃなくて、ジャムもつけて」
女はギャルソンの方を向いて、すべて日本語でまくしたてた。
(中略)
そこへギャルソンがクロワッサンを持ってきたが、ちゃんとガラスの小さな皿にジャムが盛られている。ハルコはがぶりとクロワッサンにかぶりついた。
「おいしいわねー。これ、いくらするもんなの」
「3ユーロですから、400円ぐらいですかね」

シドニーには自然の他にこれといった思い出もありませんけど、ベルギーは楽しい食の記憶がいっぱいあります。隣りのフランスの影響を受けておいしいものが多いんです。それにうちの母が料理時間で、さっとローストビーフを焼くような人でした。弟がいますけど、クリスマスには本格的にターキーを焼いて、ケーキも手づくりのパーティーをしましたっけ。

やっぱり赤福を買っていこうかな、と菊池いづみは思った。餅を餡でくるんだ赤福は、時々無性に食べたい時がある。

「おたくが4年前に売り出したチューインガムういろう。アイデアはよかったけど売り上げはイマイチじゃない。だいたいういろう食べる人はね、贈答用に使うかじいさん、ばあさんなのよね。だからチューインガムの形にしたって、そう喜びやしないわよ」
「そうは言っても……」
「他のお菓子もね、パッとしない。いつみさん、名古屋はお茶が盛んだから、お菓子のレベルがものすごく高いのよ。名店の生菓子なんて京都にも負けないくらいよ」
「はい、そのくらいは知ってます」
フードライターとして、名古屋のスイーツ特集をしたことがある。
「だからね、私はあっちゃんに言ってやったのよ。東京支店でういろう売るのやめて、ひつ鰻の専門店にしなさいって」
「ひつ鰻ですか……」
名古屋名物のひつ鰻は、ご飯の間にもう1枚鰻が入っている。そのままでもおいしいが、2杯めはお茶漬けにして、山葵やネギや海苔をたっぷり入れて食べると2度楽しむことが出来る。

なぜだかわからないが、ハルコは「お祝いだから」と、シャンパンを抜かせ、吉兆のいちばん高いコースを注文した。
「あなたもこういう時に、一流の味を食べなさいよ。今、取材費が出なくて大変なんでしょ」

「まあ、まあ。そんなこと言うと、おじけづいちゃうわよね。隆行ちゃん、ああ、お座りなさいよ。お酒がダメだったら何にする?」
「ジンジャーエールがいいっす」
「ダメよ」
ところがハルコはきっぱりと言った。
「甘いものを飲んだら、料理がまずくなるわよ。食べ物屋の息子なら、そのくらいのこと知っとかなきゃ」

「でしょう。冬にこの『桂』で鮟鱇鍋を食べるのはふつうの人はちょっと出来ないわよね。なにしろ、常連が来年の席を予約して帰るから、入り込む隙がないのよ」
(中略)
後ろに、炭火を持った2人の仲居が立っている。それぞれのテーブルに置かれた七輪に火を入れていく。やがて鮟鱇の身と野菜が運ばれてきた。女将と仲居がそれぞれの席に着いて、鍋の段取りをしてくれる仕組みだ。最初見事な伊勢海老が鍋に投入されたが、これはあくまでも出汁をとるためのものらしい。関東ではたいてい味噌味であるが、ここの鍋は醤油味で、アン肝をれんげで溶きながら口に入れていく。今摘んできたばかりのようなセリもみずみずしく、
「鮟鱇鍋がこんなにおいしいものだなんて、初めて知りましたよ」
いづみは大きなため息をついた。
「噂以上ね。この鮟鱇、いまさばいたばっかりの色をしてる。この身のぷりぷりしていることといったらすごいわ。出汁が素晴らしい!」
(中略)
ハルコはれんげをすする。それはさっき仲居に命じ、自分にだけたっぷりアン肝を入れたものであった。

「この近くにすごくおいしいうどん屋さんがありますけど。かき揚げも炊き込みご飯も食べられますよ」
「うどん、いいわね。だけど5億のうちにお招ばれして、どうして帰りにうどん食べなきゃいけないのかしら。全くケチな愛人くらい、腹が立つものはないわね」

2人はやがて運ばれてきた白身魚のカルパッチョを食べ始めた。

「だったらお茶の1杯も飲ましてくださいよ。私たちが喉がカラカラ」
「そうね。お茶ぐらい淹れるわよ」
ハルコは紅茶を淹れてくれたうえに、ヨックモックの菓子を皿に入れて出してくれた。茶碗はウェッジウッドの品のいいものだ。

水を吸わせた信楽焼の器に、ひと口大の鱧が3つ置かれていた。切り身が花弁のように開いている。
「まあ、綺麗ですね……」
(中略)
「まずは塩で食べて頂戴」
嫣然と微笑みながら言うのは、この「花田」の経営者、花田英子である。
(中略)
「私は鱧の皮が大嫌いなの。だから全部皮を取らせているのよ」
「だから、こんな風にやわらかいんですね。こんなに丁寧に仕上げた鱧は初めて食べました」
それは嘘ではなかった。その前に運ばれてきた、キャビア入りの冷たい茶碗蒸しも素晴らしいおいしさだった。
(中略)
「この鰹は握りにしてみたの」
次は見事な染付の皿に盛った鰹に握り鮨だ。
「今の季節鰹はそのまま食べたら、そんなに珍しくないでしょう。だからちょっとヅケにして握り鮨にしてみたのよ。どうかしら」
「なるほど。酢飯と合わせた方が、ずっと鰹のおいしさがわかりますね」
(中略)
見事な牛肉の小丼が出て食事のコースが終わった。デザートはメロンのシャーベットだ。
「やっぱり噂どおり『花田』はおいしかったですね。これだけのレベルのお店、東京にもちょっとないですよ」

「そうなのよ。今日は出かけるはずだったのに、私が出るとなると意地悪をするのよ。オレの昼飯はどうするんだって急に言い出して。大あわてでうどんをゆでてきたのよ」
(中略)
そこでひつ鰻が運ばれてきた。染付の丼にたっぷりと鰻がのっている。それだけではない。名古屋のひつ鰻は、ご飯の中にもう一層鰻がはさんであるのだ。
素早く撮影した後、3人の女は黙々と鰻を食べ始めた。意外なことに妙子は食べるのがとても早い。

「これ、おいしそうですね……いかにもお秋って感じ……」
運ばれてきたデザートを前に、いづみは感嘆の声をあげる。それはイチジクのコンポートに、練った栗を取り合わせたものだ。コンポートからは洋酒のかおりがする。
(中略)
いづみはいつも持ち歩いているデジタルカメラを取り出し、濃い藍色の皿に盛られたデザートを何カットか撮影した。そしてその後、いただきます、と陶器のスプーンですくう。
「思っていた以上のおいしさですよ。栗に甘みを加えていないのが、イチジクをひきたててますね」
「そうでしょう。このデザートは、今の季節しか食べられないのよ。だからこの日を楽しみにしていたのに……」

ところでユウコさん、そろそろランチにしない? 私、お腹が空いちゃったわ。それからさ、英ちゃん、シャンパンはやめてもうワインにして。カリフォルニアワインはピンキリだけど、もちろんピンにしてよね。スクリーミングイーグルなんてことは言わないけど、オーパスワンくらいは抜いてよね」

林真理子著『最高のオバハン 中島ハルコの恋愛相談室』より

ところで、「どんなに不景気になっても、女性の美容に遣うお金は減ることはありません」とハルコが主張する場面があるけれど、今年、資生堂でも売上は昨年比9割減(!)とか。ビデオ会議での化粧法をPRするなど必死な化粧品メーカー各社。
化粧品を全く買わない私でもちょっと理解しがたい。塗りたくるやつの使用量が減るのは分かるとして、基礎化粧品やヘアケア商品も売れていないのだろうか。
ハルコの商売もあがったりだ。