たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

村上春樹『雨天炎天』トルコ編

一応の記念撮影が終わると、中尉が兵士の1人にチャイを持ってこいと命令する。ちょうど日本のお茶みたいな感じでチャイが出てくる。もう1人の兵士が椅子を持ってくる。どうも話が長くなりそうな雰囲気である。
(中略)
でも国境警備隊でお茶を飲ませてもらうなんてことはあまりないし、なんとなく面白そうなので、ここはひとつ腰を据えてチャイを御馳走になることにする。僕と松村君と中尉が椅子に座って3人でチャイを飲む。

正直に言うと、トルコ料理が苦手だった。まずだいいちに肉料理が中心である。それもほとんどが羊である。僕は肉というものを日常的にあまり食べない上に、羊となるとこれはもうまったく駄目である。それから、油っぽいものも苦手である。野菜料理も豊富なのだが、レストランで出てくるトルコ料理は総じて調理過多で、味のトーンがきつい。だから野菜そのものの味よりは調理の味の方が勝っていることが多くて、食堂に入って匂いをかいだだけで食欲がなくなってしまうくらいである。トルコのレストランは朝鮮料理店と同じで、1歩中に入ると独特の匂いがぷんと鼻をつく。そういうのが好きな人にはこたえられないだろうし、そういうのに弱い人にはかなりきつい。
もちろん僕はトルコ料理の質を誹謗しているわけではない。トルコ人はトルコ料理が世界でいちばん美味しい料理だと真剣に主張しているし、またどのガイドブックを読んでもトルコ料理のバラエティーの広さと質の高さについては、かなりのページを割いて説明している。かつてナポレオン3世が皇后とともにトルコを訪れた時、オスマン・トルコの皇帝に晩餐の招待を受け、それを食べた皇后が感動して、連れてきていた宮廷料理長に「この料理のレシピをトルコの料理長のところに行って聞いて参れ」と命じたことがあるくらい立派な料理なのである(この話にはたしかオチがあったはずなのだが、どんなオチだったかすっかり忘れてしまった)。でも何はともあれ、僕とは味の相性が良くなかったというだけのことである。何度かレストランやロカンタやケバブ屋に入って試してみたのだが、駄目だった。僕だけでなくて、松村君も駄目だった。どうしてもあの匂いに慣れることができなかった。ふたりとも世間ではあまり評判のよろしくないギリシャ料理はとても美味しく食べていたのだから、不思議といえば不思議である。
でも最初はイスタンブールから黒海沿岸を回っていたので、魚を食べてしのぐことができた。毎日塩焼きの魚と、トマト・サラダを食べていた。魚の種類はだいたい日本と同じである。鯖みたいなのから、鰹みたいなのまで、いろいろとある。レストランに入ってグリルしてもらったり、魚屋で買ってきてプロパンのコンロで焼いたりして食べた。黒海沿岸にあるトラブゾンという町で入った焼き魚専門店は、なかなかユニークで面白かった。日本でいうといわゆる大衆食堂にあたるもので、その辺のおっさんがデコラ張りのテーブルに相席してみんなでモクモクと魚を食っている。魚を焼く例のぷんという香ばしい匂いもする。注文を受けると魚を開きにして焼いてくれる。開き魚専門店で、他には何も置いていない。美味しそうなので入ってみたら、やはりなかなか美味しかった。というか、特に余計な味つけしてないさっぱりとした味である。これとトマト・サラダとパンを食べる。僕らはいちばん高い鰹に味の似た魚を注文したのだが、むっちり身の詰まった全長30センチくらいのがひとり1匹ずつどかっと出てくるのでとても食べきれない。半分以上残した。飲み物を飲んで、2人で800円くらいだった。トルコとしてはこれはかなり高い値段である。ヨーロッパはどこでもそうだけれど、たとえ海岸沿いの町にあっても、魚料理は肉料理に比べれば割高なのだ。よく見るとまわりのおっさん庶民たちは(もちろんこういうところの客は全員男である。従業員も男)みんな150円くらいの鰺の開きみたいなのを食べていた。これも結構美味しそうだった。
とにかくそういうわけで、黒海をまわっている頃はまだ魚が食べられた。ところが黒海沿いにソ連国境まで行って、そこから内陸に向って南下すると、これがもう駄目である。完璧に羊しかいない。どこを見ても羊・羊・羊である。

チャイは小さなグラスに入って出てくる。グラスの下には皿が敷いてある。スプーンもついている。グラスは最初は手で持てないくらいに熱い。それを少し冷ましてから飲む。グラスに熱い紅茶を入れるなんて不合理なんじゃないかと初めは思った。でもグラスに入った熱い紅茶は見慣れるととても美しい色合いのものである。底の方に茶の葉が少し沈んでいる。僕は砂糖をいれずに飲むのが好きである。香ばしいきりっとした味がする。
アイスティーというのは見かけなかった。トルコでは相当に暑くて汗をかいたような時でも、やはりこのあつあつのチャイが不思議に美味いのだ。あまり冷たいものを飲みたいという気にはならない。日陰に入ってふっと息をついて、温かいチャイを飲む。

私も大人になって再渡米したとき、ひたすらコーラばかり飲みたくなって、実際コーラばかり飲んでいた。ハンバーガー、ピザなどのアメリカ食に結局一番合うだけでなく、「砂糖の飲み物はかえって喉が渇くのでは」という暑さの中でもとにかくコーラコーラコーラ。

下のレストランにも人影はなかった。2人でグリルした魚を1皿ずつ取って、白ワインを1本飲み、サラダを食べた。なかなか新鮮な魚だった。有名な黒海のイワシはないの、と尋ねると、あれは夏で終わっちゃうんだよとウェイターの少年が言った。勘定は1400円だった。

ここでひとやすみして昼食を取る。銀行の警備員のおじさんにこの辺にどこか美味いロカンタはないかと訊いたら例によって「ついてこい」と言ってそのまま歩きだした。しかたないから、その後をついていった。10分くらい歩いたと思う。おじさんはとある店の前にとまって「ここだ」と言った。「ありがとう」と言うと、「いやいや」と言って帰っていった。親切にはただ感謝するしかないが、いったいその間に銀行に泥棒が入ったらどうするんだろうと思う。もっともその店にはケバブか羊肉詰めのひらべったいパイしかなくて、羊肉に弱い僕らはいささか閉口した。パイは焼きたてでほかほかしていたが、肉が生っぽくて、香辛料がきつすぎた。でも地元の人のあいだでは人気のある店らしい。みんなで「美味いか?」「美味いだろう」と訊きに来るのでさすがに残せず、美味そうな顔をして全部食べた。ビールを頼んだら例によってビールはなくて、あまり冷えてないコーラを飲まされた。

道路に沿ってところどころに海水浴に適した海岸がある。そういうところに車を停めて何度か泳いだ。水道があると、そこで冷麦を茹でて食べたりもした。黒海の沿岸で冷麦を食べるというのも、なかなか趣のあるものである。僕は思うのだけれど、冷麦というのはどことなく奇妙な食べ物である。どこで食べても—日本以外のどこで食べてもということだが—はるばる遠くまできたんだなあという気がするのだ。黒海にはほとんど波がないので、とても泳ぎやすい。まるで朝のプールを1人で借りきって泳いでいるような気分である。水も綺麗だし気持ちがいい。水は見た目よりずっと温かい。
トラブゾンからホパまでのあいだの地域を「トルコのシャングリラ」と呼ぶ人もいる。

こういう雨の多い気候が生産に適しているせいで、このあたりは紅茶の産地として有名である。トルコにおける紅茶の生産は決して長い歴史をほこっているわけではない。紅茶の生産がトルコで開始されたのは19世紀のことである。でも今では紅茶はコーヒーに代わって、トルコ人の国民的飲み物となってしまった。コーヒーの値段が世界的に高くなったというのがその転換の大きな理由だ。とにかくトルコ人がチャイハネに座って、世間話や賭事をしながら朝から晩までうまそうに飲んでいるチャイの大半は、この地域で作られている。町には紅茶工場があって、大きな煙突からもくもくと黒い煙を上げている。

夕方、ここのロビーのベランダに座って外を見ていたら、フロントの青年がチャイを出してくれた。ロビーの隅にガス・コンロがあったので、それを使わせてもらって、また冷麦を作った。青年が珍しそうに見ているので、松村君が1本あげたら、食べてすごく複雑な顔をしていた。まあ当然である。日本人だって冷麦をだしつゆにつけずに食べて美味いわけがない。

朝、部屋でコーヒーをわかして、パンを食べた。それからとくに見るべきものもなければやるべきこともないので、釣り竿を持って突堤の先まで行った。

ちなみに猫の食事の内容は羊肉を煮たものと、ポテト・ライス(こんなものよく猫が食べるね)と、ピンク色のミルクである。どうしてミルクがピンク色なのかよくわからない。絨毯屋に訊くと「これはこういう色のものなんだ」と言う。

映画によると、ハッカリは雪が深く、冬になると山の村は外界とは完全に孤絶してしまう。5月になるまで雪は溶けない。つまり1年の半分以上をその村の中に閉じ込められて過ごすわけである。人々は貧しくて、無口である。教師がチャイを出されたので、砂糖を入れてかきまわして飲むと変な顔をされる。みんな角砂糖をぽりぽりと齧って、それからチャイを飲むのだ。村中がそういう風習なのだ。

僕はなるべく目立たない柱の陰のテーブルについて、チャイを注文する。チャイはないと言われる。じゃあジュースにしてくれと言う。それとチーズ・パイを頼む。しばらくすると、チャイとチーズ・パイが出てくる。わけがわからない。
チャイを飲み、チーズ・パイを食べ、日記をつけていると、若い男が僕の前に座る。

村上春樹著『雨天炎天』より