「おすそ分け」っていいよね。アメリカでも、キャセロールなんかを届けるのはよくある風景。
でも、感染症のために素人が自分で作った食べ物を届けるなんて、到底不可能になってしまった。
誕生日の子が学校にカップケーキを持って行くのも中止に。
ドネーションのためのバザーも難しくなった。
「さあ、今日からはいいよ!」とは誰もまず言えないわけで、習慣自体が廃れてしまうかもしれない。
ママがかばった。「ほら、若い衆。サービス」と唐揚げを供している。
青年団の面々は、ヤケ酒なのか、テーブル席で乱暴にビールのラッパ飲みを始めた。恭子が腰を上げ、台所へ行った。息子のために味噌汁を温め、煮物をレンジでチンする。
「おい、観光課長さんよ。車で来てる人もたくさんいるのに、甘酒しかねえのはどういうことだべ。ほんとオメは子供の頃から気が利かねえな。コーヒーぐらい出しとけ」
いかにも小馬鹿にした口調である。桜井はさっと顔色を変えると、「館内には自販機があるべ。コーヒーぐらい自分で買ってくれ。シュウちゃんは昔からケチだったもんなあ」と負けずに言い返した。「あの、キュウリが採れたから、おすそ分けにと思って。結構瑞々しいから、塩で揉んで食べるとうまいよ」
「そうか。ありがとう」恭子に話すと、稲荷寿司と野菜の煮物をこしらえ、お重に入れて持たせてくれた。ただし、張り切って作ったという感じではなかった。
「逮捕までは交代で見張るみてえだな。もう町民とは顔見知りよ。うちの婆さんも餡ころ餅を差し入れて、お礼に拳銃を撃たせてもらってたさ」
奥田英朗著『向田理髪店』より