たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

田辺聖子『女の日時計』から

「…まあ、その話は止そう。肉が美味い……。空気がいいからよけい美味いのかな」
彼はよく食べた。沙美子にも炭火で焼いた肉や野菜がおいしかった。そのことが、気持ちを楽にした。運転するからと、彼は酒を飲まなかったが、それもよかった。
「沙美子さんて、ふしぎな名前ですね」
メロンが最後に出たのを彼は銀のスプーンで一気に食べて、とぎれめもなく話している。

黒いセーターに、チェックのスカートをはき、エプロンをつけて、えつ子はぜんざいを煮ていた。
「そんなこと、えつ子さんにできるの?」
「これでも女のハシクレよ。ブルジョワの奥さまとはちがいますよ。何さ、ぜんざいぐらい……」
(中略)
その話がうちあけたかったのかと、沙美子は驚いて箸をおいたが、えつ子は笑いをうすく浮かべながら、熱いまったりした味のぜんざいを、美味しそうに吹いている。

「器の見料ともいうて……ええ器を使うさかい、高うなります。けど、そこが京の味でええとこもありますの」
車の運転を控えているので、酒もほんの唇を湿す程度に、食事をはじめた。うどに胡瓜、とうふ、湯葉、それに鯉のあらい……。若い毬子には淡泊すぎて物足らぬらしく、早々と食べ終わる後、庭下駄を穿いて出てしまう。
(中略)
夫人はそこで食べものの調理について話を更えた。突き出しに工夫がこらしてあったが気がついたか、ここの湯葉と豆腐ほど美味なものがほかにあるか、だしのかげん、火の通り工合。本当の茶懐石の味をもっている店はここのほかにどこどこがあるか……。
食い道楽らしい夫人の饒舌を聞きながら、沙美子は心もここになく、相沢のあとばかり追っている。

バスの停留所のよろず屋でアイスクリームを買い、食べながら歩いた。

沙美子はお君さんと一緒にせつの食事を運んでいった。黒塗りの角膳の上に、清水焼の茶碗があり、雪のように白い粥がつややかに光っている。
「ほんのひとくちでお気の毒やね。でもまだ今はたくさん召し上がったら、あかんのやそうですよ」

田辺聖子著『女の日時計』