この本は文庫2回、電書1回買ってしまった「特定のエピソードのために読み返したくなる」エッセイ。
今読むと、院試の英語試験を「これでもかの意訳」で乗り切った、と繰り返してあるのが気になる。
どうも「意訳」を原文に不誠実なネガティブな仕事だと思っている人が多いようだが、実は逆で本来は翻訳の真髄であって、それができるならむしろいいんですよ。
内館氏の著作は『想い出にかわるまで』(!)から、『ひらり』などのドラマまでかなり楽しませていただいたが、最近のエッセイを試し読みしたらすっかり頭のかたい人になっていて残念だった。
米大統領選についてかなり的を外したことが得々と説かれていたのだが、米国の政治のしくみをおさえず、現在の日本のメディアしか見てない人が有料媒体に米国政治についてコメントしないでほしいと思う。
私も最初はびっくりしたのだ。と言うのも、ケヤキが色づき始めた頃、突然、どのコンビニでもどのスーパーでも、店の前に薪が並んだのである。突然である。何ごとかと院生に訊いたら、
「ああ、芋煮会用だよ」
と言われ、また驚いた。仙台の人たちが、広瀬川の川原で芋を煮て食べる「芋煮会」をやると聞いてはいたが、こんなに大々的に薪を売り出すほど盛んとは思ってもいなかったのである。
聞けば、花見よりも気合いが入るとかで、その季節になると広瀬川のほとりは朝から「場所取り」で大変だという。あっちでもこっちでも薪の煙があがり、大鍋で芋を煮て、サンマやイカを焼いて酒盛りだという。
やがて何と、宗教学研究室の掲示板にも「芋煮会のお知らせ」が貼り出された。ああ、これぞ東北の大学の醍醐味! きっと午後からの授業は休講で酒盛りだわと手を叩いたら、「午後の授業は午前中に行う」と隣に貼り紙があった。
(中略)
当日はくっきりと晴れた秋空にやや冷たい風が吹いて、川原で焚き火をするには最高の日和。学生たちは鍋や薪を自転車の荷台にくくり、手に手に芋や食材や酒を抱え、みんなで大学から広瀬川まで歩く。
川原は聞きしにまさる賑わいで、あっちでもこっちでも芋を煮る煙とサンマを焼く匂いの饗宴である。私たちは大鍋に2種類の味を作った。私はこれも初めて知ったのだが、ひとつは芋煮の本家「山形風」で「里芋、牛肉、醤油味」である。もうひとつは「仙台風」で「里芋、豚肉、みそ味」だ。両方ともコンニャクや野菜やキノコなども加わって、熱い芋煮と冷たいビールのおいしいことと言ったらない。色づいた木々を眺めながら、川原に吹く風を受けることの何という気持ちよさ。内館牧子著『養老院より大学院』より
パンデミックの中でも屋外の秋風の中での芋煮会ならギリギリできるかな...。
私は豚汁の「仙台風」のほうが好きだな。