たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

いろいろな家メシのかたち 柳美里『人生にはやらなくていいことがある』

私の世代は小学校で全員で料理、裁縫などをするのに、中学・高校では男女別だった。私は意識が低かったので、それについて疑問を持ったことは一度もなかった。
田舎のことで、40人の教室内に特別変わった家庭もなかったように思う。
知る限り、ひとり親ゼロ、一人っ子は1人だけ、親が共働きの子は5人ほど(ほぼ学童保育に通っていてちょっと珍しい子扱い)。なんと社会は変わったことか。
ほんで、海外にも出て、そもそも家で食べることさえ必ずしも普通ではないことが分かった。
家で料理をする習慣がない家庭(一切キッチンを使ったことがないとか)、家で食べる習慣さえない家庭(共働き & 屋台で食べる)。すると、次の世代もそれが当たり前になる。
日本の「家庭」はその意味では圧が強すぎると思う。適当でいいのよ。

料理についても、そう。東由多加は、料理をするのが大好きな人でした。料理番組や雑誌のレシピをノートに書き写し、それが10冊はあったと思います。
わたしが夜遅く芝居の稽古から帰って、「今日はもう駅前のラーメン屋にしよう」と言うと、「よせよせ、ラーメンだったから、オレが作った方がうまいよ」と、すぐに作ってくれる人でした。
息子も料理好きです。東のように料理番組を観るのが好きで、休みの日はブイヤベースやビーフシチューなどを作ってくれます。
けれどもムラカミくんは———、うちに来た19歳の時は、お米も炊けなかった。味噌汁も、出汁を取ることすら知らなかった。これではイカンと思い、料理学校に通ってもらいました。料理の基礎を学ぶコースです。
それでも、彼は、いまだに料理には興味が湧かないようです。
「料理は家庭内の一番重要な文化だよ。料理は、レシピ通り作ればまずくなるはずがない。美味しくしようと思って手間暇かければ絶対美味しくなるから」と何度も話しているのですが———。
ああ、でも、昨夜の中華丼は美味しかった。うずらの卵が入っていなかったのが、惜しかったけど。

柳美里著『人生にはやらなくていいことがある』より