たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

キノコの宴 山本文緒『落花流水』

認知症疑いのおじいさんの世話をしているうちにむしろ自分の症候に気づくくだりなど白眉。
メモによるとこの本を随分昔に読んだようなのだが、全編再読して全く記憶を喚起するところがなかった。面白い小説が2度楽しめたのだからお得だ。

ひとつ、訪ねた姉の家で勝手にパソコンをのぞいたら、最新ソフトなのに動作が遅かった、とあり、妙に引っかかったのだが、特に回収はなし。
終始うさんくさく描かれているマーティルやコリンが怪しいサイトをいろいろ閲覧していてなんか感染してるんじゃ、ということの示唆? そこまで言ってないよな。

「ジョンのお母さんはコーラ好き?」
「好きだよ。だからいっぱい買ってあるんだ」
「でも痩せてるね」
「野菜も沢山食べてるからだよ」
「マリ、お野菜だいっきらい。マリのお母さんはお野菜大好きなの。で、コーラは嫌いなんだって。まずいから。変なの。でもお姉ちゃんは好きみたい。来る時いつも買って来てくれるもん」

「ジョン、うなぎ好きって言ってたよね」
僕の問いには答えず、マリはそう聞いてきた。
「え? あ、うん」
「今日のご飯、うな丼だから。じゃあ、あとでね」

「マー君。うなぎ好きなんだって?」
大きな盆に丼を載せて持ってきたお母さんが僕に聞いた。
「はい。この前初めて食べたんです」
「そう。外人さんは気持ち悪がるって聞いたけど、やっぱりお父さんが日本人だからかしらね。日本のものが口にあうのね」
どう返事をしたらいいか分からずにいると、お姉さんが笑顔で付け加えた。
「マリがどうしても、マー君にうなぎを食べさせるんだって言ったんだって」
(中略)
うな丼と野菜の煮物とデザートに出してもらったスイカでおなかがいっぱいだった。

マリは答えずそれに口をつけて飲んだ。透明な緑色で変な形にくびれた瓶。中には同じ色のビー玉が入っていた。傾けて飲んでみるとやっぱりソーダだった。ビー玉がかすかに音をたてる。面白いなと思って僕は少し笑った。
「お姉ちゃんがお小遣いくれたから、買ってきてあげたの。おいしい?」

「ポップコーンとコーラ、持って来たよ。一緒に食べない?」
僕は埃っぽい床に座り込んでコーラの瓶を2本置き、ポップコーンの袋を開けた。先にコーラを飲んで様子を見ていると、マリがぬいぐるみを放し、警戒心の強い小動物のようにじりじりとこちらに寄って来た。
僕とマリは黙ったままコーラを飲んでポップコーンを食べた。

ぎりぎり4時半に間に合って、店の一番奥まった席でマスターが作ってくれたナポリタンを食べていると、もう1人のバイトの子がそう言った。母がよく着ている、すとんとしたニットのワンピースだ。

そこで夫が「ごちそうさま」と箸を置いた。おいしくなかったのか冷凍のエビチリが半分残っていたが、彼は何も言わなかった。

「ごめん。シュウマイとサラダ買ってきたから」
「夕飯の心配なんかしないで、ゆっくりしてくればよかったのに」
何やら野菜を切りながら彼は言った。正弘は料理が得意で、頼まなくても時々こうして食事の用意をしてくれるのだ。
「何作ってるの?」
「チャーハン。エビと卵のやつ、ヒメが食べたいって」

淹れて来た魔法瓶を取り出し、カップになっている蓋をマーティルに渡した。
「ピクニックだね。嬉しいなあ」
彼は無邪気に声を上げる。私は戸惑い気味に笑って家で淹れてきたコーヒーを注いだ。
(中略)
自分用に持ってきた紙コップにもコーヒーを注ぐ。雨で冷えた指先があたたまって少しほっとした。

その晩は必然的に僕の歓迎会で、姉が今日近所の農家に収穫の手伝いをしに行ってもらってきた野菜が並んだ。小松菜、茄子、人参、生姜、ラディッシュ、あとは名前も知らない野菜が炒められたり、煮含められたりして並んでいる。
畳の間でテーブルを囲み、正次郎だけがぐいぐい酒を飲んでいた。

そういう話はニュースで聞き飽きていたので、僕は露骨に目をそらして出汁巻き卵を口に運んだ。野菜もおいしいが、卵はびっくりするほどおいしかった。
「うまいね、これ」

僕はキッチンのテーブルの上に、大量の握り飯がラップをかけて置いてあるのを見つけた。朝の残りなのか、皆の昼食なのか。鍋のふたを開けてみると、具がたくさん入った味噌汁もあった。食べても構わないだろうと判断して、僕は味噌汁を温めなおし椀によそった。いただきます、と呟いて、握り飯にかぶりついたその時だった。

マーティルが何か揚げ物を持ってやって来た。僕の正面に座り「ゲストから」と言って皿を僕に差し出した。暗くてよく分からないが、シイタケでないこをは確かだった。
(中略)
指でつまんで口に入れてみる。奥歯で押しつぶすとキノコのエキスが口の中に広がった。皿はコリンから正次郎に回され、そしてマーティルが食べた。あまりのおいしさにもうひとつもらおうと手を伸ばした。
「ひとつにしとけ」
あっさり断られた僕は、仕方なくグラスに残ったウィスキーを飲んだ。マーティルは煙草をとりだし、囲炉裏の火でそれを点ける。一口吸ってコリンに渡した。いくら僕が世間知らずでもそれが何かくらいは分かる。コリンがこちらを見たので僕は首を振った。どうせ今食べたキノコだって法に触れるものなんだろうと思った。

「チェリー樽の古いモルトですし……どうします?」
バーで飲んだらワンショット1万円くらい取られそうだなと思った。
「カード使えますか?」
「はい。贈り物ですか?」
「いえ」
忘れたいはずのその酒を僕はボーナス払いで買い、近所の定食屋でサービス定食を食った。悪い油で炒められたしなびた野菜を僕は文句ひとつ言わずに平らげた。

「お茶淹れましょうね。おなかはすいてらっしゃる?」
「甘いもの、何かあったかしら」
「お歳暮で頂いたヨックモックがまだありますよ」
コートを脱ぎながら彼女はやっと弱々しく笑みを浮かべた。笑うと急に顔が幼くなって、彼女の娘とそっくりになる。紅茶を淹れてクッキーと一緒に持っていくと、奥さんは顔だけ洗ってすっぴんになり、リビングのソファにもたれていた。
(中略)さくさくとクッキーをかじる音がする。彼女の視線はテレビに向かっていたが、その横顔は何事か思い悩んでいる表情だった。

鮎奈は私の方を見ようともせず即答した。私はソファの端に座りみかんをむいて食べた。欲しそうな顔をするかと思ったらしなかった。

私が学校の友達を連れて帰ると、生のフルーツジュースやポップコーンを手早く作ってくれた。

テーブルの上にはおにぎりやサンドイッチがラップをかけて残されていて、そこでやっと彼らが私達に食事を持って来てくれていたのだと分かった。

起きだしていくと、祖母はもう服に着替えて化粧もすませ、昨日差し入れてもらったサンドイッチを食べていた。コーヒーのいい匂いが部屋の中に漂っている。
「おはようございます」
ぐずぐずになったままの浴衣が恥ずかしくて私は小声で言った。
「おはよう。あんたもコーヒー飲んだら?」
さすが年寄りは朝には強いらしく、ずいぶん晴れ晴れとした顔をしている。
「コーヒーあったんですか?」
「それがさ、お隣の人が朝っぱらからポットに入れて持って来てくれるのよ」

山本文緒著『落花流水』から