たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

想像以上にあてにならない人間の記憶『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

いま、『The Affair アフェア 情事の行方』をボツボツ見ていて、大して面白くもないのだが、人の記憶がいかにあてにならないか、また同じ場にいてもいかにナラティブが違ってくるのかが鮮やかに説明されているのがいい。『羅生門』やこの小説群で書かれているいろんな人のアカウントよりもはるかにリアルで「そうだろうなー、人はそれぞれ別のものを見ているという事実を頭に刻み込もう」と思わせる説得力がある。
不倫に走った男女がそれぞれに「相手のほうが積極的だった」と思っている、という描写はもちろん、衣装や小道具の記憶がちょっとずつ異なっているのにうならされる。
男は女が白くて素敵なドレスを着て玄関に迎えに出てくれた、と語るが、女のほうはその日は普段着で相手が来て困った、と記憶しているとか。

久しぶりに湊氏の著作を読んで知ったのだが、短期間にものすごく作品が増えていて多作ですね。素晴らしい。続けることが何より難しいので...。

夕飯も、質より量でもてなすことを重視した焼肉でした。
(中略)
お祝いをしなくちゃ、と食事の途中にもかかわらず、私に近所の酒屋でシャンパンを買ってくるよう言いました。
「ノンアルコールにしてくれなきゃ困るじゃない」
すでにビールを飲んでいたので、歩いて重いボトルを提げて帰ってきたというのに、有紗に文句を言われ、グレープ味のサイダーでもいいから、と母に頼まれてもう一度酒屋に行きました。

湯気を上げるご飯とお味噌汁。鮭の塩焼きと卵焼き。できたての卵焼きはこんなに甘い香りだったのか。たまには朝食をとってみるのもいいかもしれない。
そんなふうに、穏やかな気分で朝を迎えることができたのです。

しかし、プリンは家族の人数分買った。母はカラメルソースが苦手なので、母の分は生クリームがかかったものにした。

両親が遠方に住む親戚の法事に出席するため、私と妹は、私が作ったカレーで早めに夕飯を終わらせ、居間で2人、テレビを見ていた。冬のコンビニ新作スイーツが次々と紹介されていくうちに、妹が食べたいと言いだした。

1人祝杯をあげるために用意していたシャンパンの小瓶も冷蔵庫に入れたまま、木箱に入ったカマンベールチーズをカットする気にもなれなかった。

せっかく東京まで来てくれたのに、ししゃもなんて食べさせてごめんね。よかったら、好きなの注文してよ。バーニャカウダとか帰って自慢できるんじゃない?
バカにしきった質問に、大豆生田はマジメな顔をして、浅草に行って人形焼を買って帰ろうと思います、などと答えていた。

おまけに、ルビーのように輝く大粒のイチゴなんて、買ってもらったことなど一度もなかったので、それだけでも、いい人だな、と思えたものです。

一度会いたいというので、休日に2人をアパートに招待したことがあります。母は朝からちらし寿司を作り、ケーキまで買ってきてくれました。

そこにその子たちと同じクラスの男子3人組がやってきて、皆で屋台で買ったから揚げやポテトを食べながらおしゃべりをしていた。

幸い、菓子パンが一つありました。メロンパンです。それを持って出ると、正幸くんは同じ場所に同じ体勢で座っていました。
「これあげる。内緒で食べてね」
(中略)
正幸くんはどんな思いでメロンパンを食べただろう。一口かじるごとに甘さが口いっぱいに広がり、食べること、生きていることの喜びをかみしめながら、大切に飲み込んだのではないか。

私は片手に一つずつ持っていたラップで包んだおにぎりを正幸くんの前に差し出しました。正幸くんはパンのようにすぐには受け取ろうとしませんでした。昨夜のパンによってプライドも復活した証拠です。

その日は電子レンジで温めた肉まんをあげました。湯気の上がる熱々の肉まんのせいかもしれないけれど、彼の頰は熟す前のイチゴのようにほんのり赤みがさしていました。

その翌日は、お小遣いで日持ちのするクラッカーなどを買い込んで正幸くんの部屋を訪れました。母が年末年始の休みに入るため、通えなくなるからです。もっと自由に行き来することが許されるのなら、年越しそばやお雑煮を一緒に食べたかった。

白井くんと2人でスーパーのフードコートに行った日でした。始まったばかりのかき氷を一緒に食べる約束をしていたのです。

全部同じなら急いで取りに行く必要はないけれど、大概は同じ銘柄の数種類の味が用意されていたから、ほら、ポテトチップスの塩味とコンソメ味と海苔塩味といった具合に......、みんな我先にと駆け出すのに、あの子はいつも列の一番最後。本当は別の味が欲しかったんじゃないの? って訊いても、ニコニコ笑いながらこれが欲しかったんだって言うんですよ。

インターネットを通じて知り合ったっていう人から、鮒寿司を送ってもらったことがありました。臭い物を送り合うことにしたのだ、とかなんとか言って、あの子はクサヤの干物を送ったと笑っていました。

おまけに、幼稚園から帰ると、母はごほうびに私の大好きなシュークリームを買ってくれていた。

一学期の終わりの懇談会から帰ってきた母は上機嫌だった。シュークリームと一緒にイチゴのショートケーキを買ってくれたほどに。

その上、お菓子作りが好きな私はよく、自作のクッキーやマドレーヌを学校に持って行っていた。弁当の時間に周囲にいる子たちに配ると、皆、「おいしい」と言ってくれたが、唯香の「おいしい」が一番おいしそうな顔だったので、私は唯香のことが好きだった。

「クッキーが美味かったから」
淳哉はそう言った。そういえばと、勉強の合間にどうしてもクッキーを焼きたくなり、翌日、図書館のいつものメンバーに配ったことを思い出した。

ラーメン程度ならと、日が高い時間に一緒に行き、カウンター席で黙々と食べた後で感想を伝えると、自分が食べた金額はきっちりと渡し、店を出た。それでも翌日、助かったとお礼に高級チョコを差し出され、今度はフルーツタルトが有名な店に一緒に行ってほしいと頼まれた。

奥山がバーベキューコンロを不器用そうに組み立てている横で、私は野菜を切る。着火用のジェルを目安量の3倍使って火をおこし、奥山が持ってきた松坂牛のヒレやらカルビやらを並べる。飲み物は2人揃ってジンジャーエール。楽しい楽しいバーベキュー大会が始まった。

頭痛の原因も納得できたというふうに明るい口調でそう言うと、遅い昼食の支度にとりかかった。鼻歌を歌いながらチャーハンを作る、まっすぐ背筋の伸びた後ろ姿からでも、あの人の考えていることは手に取るように私には解った。

理穂の母親から夕飯をすすめられ、一度は断ったものの、理穂に、今夜はママお得意のシチューだから、と言われて、私は家に電話をかけた。あの人から、眉間にしわを寄せたのが解るような、えっ、という声が返ってきて背中が凍ったが、理穂の母親が横からさりげなく受話器を取り上げ、ぜひお願いします、と甘えたように頼むと、しぶしぶ納得したようだ。
(中略)
半日かけて煮込んだというホワイトシチューの、野菜は原形をとどめず、チキンはスプーンで簡単にほぐせるほどに柔らかい。手間のかかった深い味がした。
(中略)
食後にアイスクリームもごちそうになり、9時前に家の前まで車で送ってもらうと、あの人は玄関の前で私を待ち構えていた。

あの人が作ってくれた弁当は、中学生女子用というよりは、サラリーマン用といった、見た目よりも栄養重視のものだったが、それでも、マリアの弁当よりは華やかに思えた。
卵焼きとふりかけごはん、ちくわキュウリ。それしか入っていなかったのだから。から揚げと卵焼きを交換しよう、とつい言ってしまった。
「弓香ちゃんって、優しいよね」
マリアはそう言って、私の弁当箱の蓋に、卵焼きを一切れ入れてくれた。私もから揚げを一つ同じように蓋に載せ、その箸で卵焼きを口に放り込んだ。あっ、と声を出してしまいそうなほど美味しい卵焼きだった。不思議な歯ごたえのあるものが混ぜ込まれている。
「何これ!」
「切り干し大根を入れてみたんだ。台湾にそういう料理があるんだって」
マリアは照れたようにそう言って、から揚げを少しかじった。卵焼きのネタばらしにも感心したが、マリアが自分で弁当を作っていたことにも驚いた。
(中略)
昼休みも教室で一緒に弁当を食べた。卵焼きに入れたらおいしそうなものを2人でいろいろ考えては、翌日マリアが作ってきてくれ、私のおかずと交換しながら、感想を言い合った。青のりとソースを入れたお好み焼風、のりチーズ、ケチャップマヨネーズ、丸ごとちくわ......。

その日、2人で食べるはずだった明太子マヨネーズ卵焼きがどんな味だったのか、知ることは永遠になくなった。

「今日は遅番なので、子どもたちと私は向こうで給食のカレーを食べますから、お義母さんたちはご自由にお好きなものを作って食べてください」
(中略)
スタッフとその子どもたちの夕飯はカレーと決めていました。7時に食べることにしていたので、その時間に預かっている子どもたちにも、無償で振舞っていました。

ただ、幼い弓香ちゃんはある時、こんなことを言っていました。
「ママのカレーはおいしくないの。お野菜が大きくて硬いから」
それはきっと、忙しくて煮込む暇がないからだと思いました。しかし、子どもに言っても通じないだろうと、こんなふうに返しました。
「お野菜をしっかり味わえるように作ってくれているんじゃないかな」

湊かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』より