たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

クレイマー、クレイマー 林真理子『小説8050』

先日、内館牧子、桐野夏生の最近の小説を手に取ったのだが、家族同士のダイアローグが耐えられず、冒頭だけで読むのをやめた。
彼女たちも長く書き続けている人たちだから、筆力はあるはずなのだ。
でも、それ以上にいらんもんがそぎ落とされている林真理子の文章は段違いにタフなのだなと改めて思った。
微妙に古い家族観、人物像にもかかわらず、とりあえず読ませてしまうのだから。

「その間に、お夕飯をチンしてあげるわ。ええと、今日は鍋だったから火にかけるわね」
「もう、いらないよー」
「いらないって、あなた、夕ご飯食べに来たんでしょう」
翔太は黙って、両親のいるソファの方ではなく、ダイニングテーブルの前に腰をおろす。節子がいそいそと夕飯を並べる。今夜は鶏のつくね鍋であったが、テーブルにコンロを持ち込むことはなく、キッチンの火で温めた。
その他に菜の花にカツオ節をかけたもの、里芋の煮物を翔太は咀嚼している。
それを眺めながら、正樹はかすかに安堵した。息子の食事のマナーがさほど悪くなかったからだ。

午前中のコーヒーハウスは空いていた。
「出来るだけ隅のテーブルにしてくれないかしら」
てきぱきと店員に言う様子は、すっかり商家の女だった。
コーヒーが運ばれてきた。
「ついでにケーキも頼まない。ここのはおいしいから」
「私はいいわ......」

たいていは翔太の部屋でゲームをしていたが、おやつの時間になると、このテーブルに集ったものだ。
節子はそういうことに手をかける女で、手づくりのドーナツやクッキーを並べた。
「うちでつくるなんてすげえー」
共稼ぎの家の子どもたちは、それこそ目を丸くして頬ばった。それを見る翔太の顔は無邪気に得意気だった。

「でも、おいしい野菜を食べられていいじゃないですか」
「そうですね、夏にもぎたてのトマトや茄子を食べると、本当にうまいなあと思いますが、自分ひとりでやって欲しいですよ。僕は親父を頼りにしないで」

「啓一郎の母でございます。いえ、いえ、ここで失礼します。今日は、白菜と小松菜が大収穫でどうしてもお届けしたくって」
「僕はご迷惑だって止めたんですけど」
「でも、新鮮なものを食べていただきたくって」
母親はおそろしく早口で、そしてよくとおる大きな声であった。人生に何の屈託も持たない人独特の、澄んだ明るい声である。
「ごめんなさいね、突然押しかけて。はい、これ、召し上って。これ、トマトも入れておきましたわ。じゃ、これで。お騒がせしました。本当にごめんなさいね」

ジノリのコーヒー茶碗やクッキーが、いったん空中に浮かび、四方にころがっていく。

「それから、このあいだ話した冷凍のコロッケ送っといたから、食べてみて。近所の行列が出来る店の」
「ありがとう」
昔からそうだった。奈津子はよく気がつく女で、旅行の土産も欠かさなかった。

その週の木曜日、さすがに夕食をつくらないというわけにもいかず、節子は筍ご飯とアジのフライをつくった。いつものように、翔太の分をラップでおおい、食後の皿を洗っていた。

そこに前菜の皿が運ばれてきた。貧相なサーモンやタコが、マリネされてプチトマトと並べられている。
(中略)
パスタが運ばれてきたが、白いクリームをからめたそれに手をつけようとはしない。節子のパスタは赤だ。節子も全く食欲をなくしていた。

初夏を思わせる暑い日で、昼食はそうめんだった。無言ですする正樹に、節子が問いかける。
「先生のお茶請け、焼き菓子でいいわよね。いつ頃お出しすればいいのかしら」
(中略)
節子が紅茶を出す。添えられたマドレーヌを、高井はうまそうに口に入れた。

駅前のスターバックスの2階に入った。ひどく喉が渇いていて、正樹はアイスコーヒーをひと息に飲んだ。

ウインドウを見ると、アンパンやクリームパンが80円という値段だ。その中に珍しく「シベリア」があった。正樹はそれを3つとクリームパン3つを包んでもらう。
「懐かしいなあ......」
羊かんをカステラではさんだシベリアのことを言ったつもりであったが、女性は別の風にとったようだ。
「卒業生の方ですか」
「はい、そうです」
とっさに嘘をついた。
「卒業生の方は、近くにくるとよく寄ってくださいますよ」
女性はにっこりと笑いながら、パンの袋を渡してくれた。
(中略)
包みを持ったまま隣りの中華料理屋に入る。暖簾がかかっているものの、客はいなかった。隅のテーブルで主人が新聞を読んでいた。
「えー、らっしゃい」
立ち上がるので、やはり正樹は注文せずにはいられない。カウンターに座った。
「ワンタンメンをお願いします」
好物であるが、もう何年も食べる機会がなかった。
「お待ちイ!」
やや油っこいつゆをすすりながら、正樹はこう切り出した。

「翔ちゃん、麦茶飲む? 水羊かんもあるわよ」
いつものように、節子が騒がしく甘やかし始めた。テーブルには、やがて麦茶のコップや菓子、おしぼりまで並べられた。

一口カツはよほどぞんざいに揚げたのか、衣が油っぽいうえにところどころ剝がれていた。

その後、甲州街道沿いのファミリーレストランを見つけた。正樹たち3人はコーヒーだけ注文したが、高井はナポリタンを食べ始めた。

目の前には3段重ねのお重があった。市販のものもあるが、きんとんや煮しめは節子の手づくりである。高血圧気味の夫を気づかって、塩分をおさえてある。

その由依が日曜日、前触れもなく突然やってきた。しかも不気味なほど機嫌がよい。手には洋菓子の箱さえあった。
「ここね、うちの近所の有名なとこ。いつも行列がすごいんだけど、今日は短かかったから買ってきちゃった」
「まあ、まあ、おいしそうね」
節子は嬉しそうに紅茶を淹れる。

夕飯は節子がつくっていったカレーを温めた。翔太は皿を並べ、コップにミネラルウォーターを注ぐ。こうした連係がなめらかに出来るようになっている。
(中略)
正樹はまた匙を動かし始める。翔太好みの、甘いバーモントカレーだ。

林真理子著『小説8050』より

最後の食事シーンは『クレイマー、クレイマー』のラストで朝食を準備する父子のようですね。

クレイマー、クレイマー

クレイマー、クレイマー

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