たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

殴り倒されるように眠る 柳美里『JR上野駅公園口』

本当に翻訳するのがめちゃくちゃ難しそうでドキドキした。日本語話者でも理解できない台詞あった。

コンビニエンスストアも、店の裏にあるゴミ捨て場に、賞味期限切れの弁当やサンドイッチや菓子パンがまとめて置いてあって、回収車が取りにくるまでの間に行けば、欲しいだけもらうことができた。

毎週水曜と日曜の夜は、東京文化会館からカレーライスの支給があったし、金曜日は「地の果てエルサレム教会」、土曜日には「神の愛の宣教者会」の炊き出しがあった。
(中略)
讃美歌と説教が終わると、食事が配られる。キムチ炒めとハムとチーズとソーセージが入った丼飯、納豆ご飯に焼きそば、食パンとコーヒー......主をほめよ、主をほめよ、主の御名をほめよ、ハレルヤハレルヤ......

代わりに、当時15円だった松永牛乳のアイスまんじゅうを買ってやると、洋子はすぐに機嫌を直したが、浩一は父親に背を向けて泣き出し、しゃくりあげて肩で息を刻み、金持ちの家の男の子を乗せて飛び立つヘリコプターを見上げては、拳で涙を拭っていた。

朝と晩は、煮炊きできる同僚が飯と味噌汁と簡単なおかずを作ってくれた。重労働だったがから、丼2杯は食べないと体が持たなかった。
弁当は、弁当缶なんて気の利いたものはなかったし、あったとしても、そんなものを買う金はなかったから、朝飯の後に丼に飯を詰めて、皿で蓋をして、風呂敷でぎゅっと結えて、電車に乗って現場に向かった。おかずは、休憩が1時間あったから、現場近くの商店街でコロッケとかメンチカツを買って食べた。

コヤの中から即席ラーメンを鍋で煮ている匂いがしてくる。

お袋と節子は家族の腹を満たすために春先から秋口にかけて雨の日以外は毎日野良に出て、陸穂を植え、芋を植え、南瓜を植え、菜っ葉を植え、収穫して家に持ち帰った。

「お鍋で、ご飯に鳥の笹身やら牛肉の赤身やらを混ぜて、ことこと煮てあげるんだけど、野菜不足になると困るからお大根や人参なんかも入れて、サニーレタス? 青物なんかもたっぷり入れてあげるわよ」
「人間よりいいもの食べてるわね」
「そうよぉ、こっちなんてコッペパン1つ」
「コッペパンって、最近見る? 給食とかで出たヤツでしょ?」
「裏通りの家族経営みたいなパン屋さんで売ってるわよ」

甘じょっぱい煮物の匂いが漂いはじめた頃、勝縁寺の住職が縁側に現れ、「この度は大変でございましたね。臨終勤行を勤めさせていただきます」と縁側から直接仏間に上がった。

勝縁寺の住職の前に着席すると、きんぴらごぼう、お煮染め、白和え、山菜のてんぷら、漬物などの精進料理が運ばれてきて、弔問客の前に銘々皿とコップが用意され、喪主である自分は「奥の松」の一升瓶を両手に持って、弔問客たちに注いで回った。

「最近、彼女ムカゴにハマってて、サラダとか作っても、ムカゴが入ってないと騒ぐんですよ、ムカゴが入ってないって......」
「ムカゴ? また、古風なものが好きなんだねぇ。いや、ムカゴは塩茹でにしたら酒のつまみになるし、ムカゴの炊き込みご飯なんて、あれはかなり旨いもんだけどさ」
「鰻屋なんか連れてったらですねぇ」
「う、鰻はダメだよ、う、鰻いなくなっちゃうから、あんまり食っちゃダメ。あれは絶滅危惧種で、雑魚のシラスが年々少なくなってるから、卵を産む親鰻を1匹でも多く生かさないと、冗談じゃなく絶滅しちゃうからね」
「鰻重って、1人前で1枚のっかってるじゃないですか? 彼女、オレんとこに箸伸ばして、もらっていい?とか何も訊かずに、半分ちぎっていっちゃうんですよ。彼女、鰻重だったら1枚半食べないと気が済まないから、こっちはご飯ばっか余っちゃって、山椒振り掛けて食べなきゃいけないから大変なんですよ、鰻屋行くと」
「鰻重って、いま2千円くらいするんじゃないの?」
「彼女が指定するとこは、3千円しますよ」
「うへえ」
「だから、そんなとこ連れてけないですよ、いちばん安いヤツで3千円ですからね。だからガストとか行くじゃないですか?」
「ガスト」
「ガストとか行くと、ライスとか元々大盛りのをお代わりするんですよ」
「どぅはっ、彼女いくつ?」
「32です」
「じゃ、もう食べ盛りって歳ではないわけだ」
(中略)
「彼女の部屋に行くと、ハンバーガー食ってる率高いんですよ」
「ハンバーガー?」
「とにかく何かしら食ってるんですよ、チョコレートとか」
「チョコレートもあんまり食べ過ぎちゃいけないそうだよ」
「なんだってそうですよね。オレなんて、甘いもの食べるじゃないですか? いちごポッキーだったら6本くらいが限界ですよね。でも、あの明治の板チョコとか、ああいうのは別に食べたって構わないっていうか、ちょっとだったら、むしろ食べた方がいいって言いますよね、あんまり食べ過ぎなければ」
「チョコ食う時はさ、中にアーモンド入ってるヤツじゃないとダメみたいだよ」
(中略)
「甘いものは毎日食べた方がいいんだよ。角砂糖でいいんだ、角砂糖がいちばん安くていいんだよ」
「マシュマロですよ」
「え?」
「彼女はマシュマロ党なんですよ」
「マシュマロなんて、歯ごたえなくて食えないよ。最近アレだよ、ほんとジジ臭くなったよ。メザシの、よくさ、つまみでメザシとか出るじゃない? ああいうのばっか食うんだから」
「メザシ最高ですよ。ちっともジジ臭くなんてないじゃないですか。歯がお丈夫なんですね」
(中略)
「スーパーでメザシ売ってないと、あるとこまで探しに行くんだから」
「今メザシ売ってるとこ、なかなかなさそうですね」
「いや、何軒か回ればあるよ。求めよさらば与えられん、だ」
(中略)
「メザシの丸干しって、あんまりカロリー高くなさそうで、ヘルシーですよね」
「だけど、塩分がさ、割に高いのよ。オレ高血圧だからさ、医者には、加工食品に含まれる食塩も合わせて1日6グラム未満にしなさいって言われてるんだけど、やっぱり塩っ気がないと飯が進まないんだよね。酒のつまみにも、メザシって最高だしね」
「ししゃもししゃも」
「あ、ししゃもかぁ......」

「寒いから、熱燗でいきましょう」と、シゲちゃんはカセットコンロに鍋を載せ、ペットボトルに貯めてある調理用の水を鍋に注ぎ、ワンカップ大関を2つ湯煎した。
(中略)
シゲちゃんは、「こんなものしかありませんが」と、ピーナッツとスルメを皿に出し、ゴロゴロいいながら卓袱台の縁に額を擦り付けたエミールに、「猫にスルメをやると腰が抜けるというのはですね、迷信じゃありませんよ。イカや貝はビタミンB1分解酵素を含んでいるから、たくさん食べるとですね、ビタミンB1が欠乏して、足がふらついたりしてしまうのです。加熱をすれば、この酵素は働かなくなりますが、スルメは胃の中で水分を吸収するとですね、10倍に膨張するから、消化も良くないのです。吐いたり、急性胃拡張を起こしてお腹が痛くなったりするので、エミールにはもっとおいしいものをあげましょうね」と、天井から吊るした買物籠の中からドライフードの袋とツナの缶詰を取り出した。エミールは、シゲちゃんが餌を器に開けて匙で混ぜ合わせるそばから、はぐはぐと音を立てて食べはじめた。

「タケオさんから、レトルトカレーとかシチューのセットが送られてきたのよ、あれ、なんだと思う?」
「お中元にはまだちょっと早いし、だいたいまだ戸籍上は夫婦なんだから、お中元は変よね」
(中略)
「エスビーの、ちょっとレストラン風のヤツよ」
「おせちもいいけどカレーもねってヤツだ」
「それはハウスのククレカレーのCMよ。でも、南海トラフとか首都直下型とかいつ起こるかわからないし、非常食用にちょうどいいと思って」
「あれ、おにぎりと合うわよ」
「カレーとおにぎり?」
「あら、おいしいわよ」

お斎が始まり、お煮染めやきんぴらごぼうや漬物やポテトサラダや炊き込みご飯のお握りなどを食べながら、勝信くんと酒を酌み交わしているうちに足がふらつくほど酔いが回った。

節子はいつも早起きで、自分が目を覚ます7時頃には、洗濯や庭の掃き掃除などをひと通り済ませ、台所からは味噌汁と飯が炊ける匂いが漂ってきていた。

麻里はいい娘だった。毎朝トーストを焼いて、目玉焼きやハムエッグなどの卵料理を作ってくれた。

雨の匂いを嗅ぎながら、麻里が拵えてくれたスクランブルエッグとトーストを食べて、麻里と犬を玄関まで見送った。

「あそこのビーフシチュー屋さん、この前行ったら、やってなかったのよ」
「火曜定休なのよね」
「今度2人であそこの、へなちょこブレックファースト食べに行こうか?」
「今日は、どうする?」
「今日はごめんなさい、うちのひと外食がダメなのよ」

柳美里著『JR上野駅公園口』より

Kindle版には珍しく、天皇制から物語を照射した解説も収録されていてよかった。
共感した一文。
「肉体労働をしていると、いつも殴り倒されるように眠り、夢らしい夢をみた記憶がないのだが」