たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

村上春樹『約束された場所で』

装丁がへちょすぎるのが気になる。というか村上作品、「なんでここで手を抜くんだろう」と思ってしまう装丁がいくつか。

食べ物はオウム食といいまして、かなり古めの古古米と野菜の煮込み、毎日毎日こればかりです。そういう生活を続けていると「これも食べたい。あれも食べたい」というのが頭に浮かんできます。でも「煩悩というのはこのような苦しみを内在しているものなのだ」と考えて、そういうものにとらわれることのない自己を作っていこうとします。こうした苦しみを昇華させていくことが、すなわち修行です。僕の場合はもともとベジタリアンに近い生活をしていたから、食べ物のことはそんなに苦痛ではありませんでしたが。

そしてそこで「お供物」づくりというワークにつきました。これは神々にお食事を供養するワークです。神々に供養したあと、サマナ(出家信者)が食べて供養するわけです。

―要するに食事ですね。だいたいどういったものを作るんですか?

そうですね、パンとか、クッキーみたいなもの、ある時期にはハンバーグみたいなものもありましたし、ご飯とか、昆布、唐揚げとか、そのときどきによってメニューは少しずつ違うんですが、ラーメンを出していた時期もありました。原則としては菜食です。肉類は使いません。ハンバーグなんかも大豆タンパクを使ったものです。

(中略)

メニューは上の人が決めます。いちおう基本的には、今の日本人に必要な栄養素を計算しまして、それで「これなら問題がない」というようなかたちで、メニューを構成されたのだと思います。味ですか? 味については、外部から見えた方にもときどきお出ししたんですが、やはり「質素だ」とみなさんおっしゃいます。あまり美味しいと煩悩が増える恐れがあるので、まあそのへんは適当にということもあります。要するに「味覚にとらわれない食事」ということですね。とくべつ美味しいものを作るのではなく、あくまで生きて活動していくために必要な栄養を与えるというのが、私たちのワークのそもそもの目的です。

パンとかクッキーとかも自分たちのところで焼くんです。工場も広くて、そこにはパンをこねるための機械とか、カットする機械、焼く機械、全部揃っていました。食品の仕入れは、それ専門の人がいて、別にやっていました。

村上春樹著『約束された場所で (underground2)』より