たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その1:ボンベイ、カイロ、チューリヒ

雨宮処凛氏との対談本『この社会の歪みと希望』によると、佐藤氏は全く旅日記をつけていなかったそうだ。それでこの細かい描写。異世界にふれた少年の新鮮な驚きが感じられる。

船津さんは、もう一度、店の奥に入っていった。そして、お盆にアイスコーヒーを2つ載せてもどってきた。
「のどが渇いたわ。アイスコーヒーでも飲みましょう」
「どうもありがとうございます」
インスタントコーヒーではなく、豆からひいたコーヒーだ。氷は入っていないが、よく冷えている。
「ロシア人もアイスコーヒーを飲むんですか」
「考えたことないけれど、見たことないわ。それにロシアのコーヒーは、とても濃いわ」
「苦いんですか」
「苦いというよりも、濃いわね。あなたはトルココーヒーを飲んだことがある」
「ありません」
「カップの中にひいたコーヒー豆の粉が少し残っているけれど、ああいう感じのコーヒーよ」

授業が終わり、高校の食堂で油揚げと揚げ玉の載った腰が全然ない120円のうどんを食べた後、僕は浦和の須原屋に行った。須原屋は埼玉県最大の本屋だ。

僕は恵比寿駅から電車に乗り、五反田で降りた。高校の文芸部の先輩から、五反田駅の日本食堂にロシア風「ボルシチ」があるという話を聞いたからだ。五反田駅の日本食堂は改札を出た2階にある。ショーウインドーに、ビーフシチューのようなロウでつくったボルシチの見本が並んでいる。僕は階段をあがって、レストランに入った。ボルシチ定食を注文すると、すぐに出てきた。近くのテーブルでも同じメニューを食べている人がいる。ビーフシチューのようなとろみがない。トマトを使っているのかと思ったら、そうではない。むしろ汁はピンク色で、少し甘い。ビーツだけを使っているようだ。大きく切った人参、ジャガイモと牛のすね肉が入っている。肉は相当長時間煮込んだのであろうか、とろとろになっている。ウエイトレスから「パンにしますか、ライスにしますか」と尋ねられたので、僕は「パンにします」と答えた。黒パンがくるかと期待したが、普通のバターロールだった。これならばご飯を頼めばよかったと思った。
食後には、桃のジャムがついたロシア紅茶が出てきた。僕は紅茶を飲みながら、ソ連旅行は予約がきちんと入るので何とかなるが、東ヨーロッパでは路頭に迷うのではないかと心配になってきた。

「喉が渇いてきました。アイスコーヒーを飲みたいです」と僕は舟津さんに言った。舟津さんは席を立って、アイスコーヒーを2つ持ってきた。

父が、「外国に行くとしばらく日本食を食べることができないので、今晩は、刺身とすき焼きにしよう」と言った。夏休みの間だけのことなので、大げさだと思ったが、黙って父の言うとおりにした。
(中略)
父は、マグロの刺身が好きだ。母はあまり刺身に関心がない。沖縄の久米島では、海に囲まれた生活をしていたので、魚は日常的に食べたが、煮るか、焼くか、揚げるか、かならず火を通して食べていたという。男たちは、蛸をとってきて、活き作りにして食べることがときどきある。母は小学校低学年の頃、ねだって蛸の刺身を食べたら、食あたりを起こし、2~3日間、七転八倒の苦しみを体験した。それから、刺身をあまり食べたいと思わなくなったということだ。
その年のお中元に、誰かがサッポロビールの缶ビールの詰め合わせを大量に贈ってきた。父は「缶ビールは鉄の臭いがする」といって、瓶ビールの方を好んだが、この年の夏は、贈られた缶ビールを飲んでいた。父は、ビールの缶を開けてこう言った。
「戦前、ビールは高級酒だったんだ。ウイスキーは普通の人の手に届かない。沖縄に行くときは、酒のことなど考えなかったが、ビールやウイスキーが、PX(米軍の売店)でただ同然で手に入る。タバコもラッキーストライクがとてもおいしい。お父さんが子どもの頃は、肉なんかなかなか食べることができなかった。カレーライスとコロッケに入っている肉が御馳走だった。沖縄では、島の人たちは豚肉をよく食べる。米軍の軍用食(レーション)では、ポーク(ランチョンミート)やソーセージがある。それからビフテキもよく食べた。ただ、一つだけ淋しいことがあった」
「なにが淋しかったの」
「日本ソバがないことだ」
「乾物屋で乾麺を売っていないの」
「売っていない。沖縄の人たちは日本ソバを食べない。那覇に1軒だけ日本ソバを出す食堂があるので、お母さんを連れていったことがある。ただ、お母さんは全然食べない」
母は笑いながら、「何か黒い色をした麺で、しかも醤油につけて食べるというので、気味が悪くて食べることができなかった」と言った。

早速、機内食が出てきた。東京積み込みなので、寿司と魚の照り焼き、それから鶏の唐揚げが入っている。社長さんによると、「エジプトの飛行機なので、豚肉は出てきません。機内食のトンカツはおいしいんですけど、残念ですね。もっともエジプト航空は酒の規制はそれほど厳しくないので、ビールを買うことができます。缶ビールが1本25セントなので、タダみたいなものです」
(中略)
スチュワードは、大きなガラスのコップいっぱいにミルクを入れてきた。日本の牛乳とはちがう。とても濃い。カイロから積み込んだのだろうか。
社長さんが、「飲み物が充実していないのがエジプト航空の難点です。それでもアエロフロート(ソ連航空)よりはいいですよ。私はビールとコーヒーを飲むことにしています。それから、機内食は、各空港を飛び立つたびに出てきます。量を適当に調節しておいた方がいいです。各地のおいしいものが何か入っていますよ」と言った。
(中略)
禁煙とシートベルト着用のランプが消え、飛行機が水平飛行に入ると、また機内食が出てきた。お腹がいっぱいなので、蒸し餃子と春巻きだけを食べた。以前、父に連れられて行ったことのある横浜中華街の食堂で食べた味がした。

中学校の英語の先生になりたい。そして、どこか離島の中学校で英語を教えたい。中学生時代、伊豆の大島のユースホステルに何回か泊まったことがある。椿の花がきれいで、それから樹からもぎとって食べた夏みかんがとてもおいしかった。

ボンベイ空港に着いた。乗客全員が貴重品を持って、一度、飛行機から降りるようにというアナウンスがあった。機内にはすでに10時間くらい閉じこめられていたので、外に出られるということで、僕はほっとした。
(中略)
5分くらい走って空港ビルのトランジット・ルームに案内された。赤い色の札を渡され、この札と交換に飲み物と菓子がもらえるという。僕は紅茶とクッキーを頼んだ。クッキーはひどく甘いので、一口だけ食べて、残した。紅茶はとても香りが良かった。
(中略)
社長さん夫妻はコーヒーを頼んで、息子はジュースを飲みながら、話をしている。僕もその輪に加わった。

今度はスチュワードが「鶏にしますか、魚にしますか」と尋ねる。僕は鶏を頼んだ。機内食のふたを開けると黄色いカレーのルーに浸かった鶏肉が出てきた。付け合わせは、ロンググレインの米だ。思いっきり辛いカレーだがおいしかった。食後にコーヒーを飲むと舌が焼けそうになる。お腹が一杯になったので眠くなった。

トランジット・ルームで僕はコカ・コーラをとった。降りる前にエジプト航空のスチュワードから、飲み物券を何枚かもらった。

ロビー階のカフェはセルフサービス方式になっている。これならば言葉が通じなくても食事をとることができる。僕はこの青年と同じものをとることにした。冷たいチョコレートドリンクとトマトとキュウリのサラダをとった。それに細かく切ったジャガイモを炒めて固めた「お好み焼き」のようなものの上に牛肉をサワークリームで煮込んだシチューをかけた料理をとった。そして、最後にパン2枚とバターとマーマレード、コーヒーをとった。
(中略)
この「お好み焼き」は、ロスティといいスイスの名物料理ということだ。ハーブと胡椒をふりかけてジャガイモを炒めたのであろう。日本では食べたことのない味がした。サワークリームで煮ている肉は腿の筋なのだろうか、歯ごたえがあった。パンは灰色で、少し臭いがあるし、堅い。おいしくない。バターとマーマレードをつけて食べたが、1枚の半分くらいしか食べることができなかった。青年は、チューリヒからジュネーブまで歩いていき、そこから列車に乗ってドイツに帰ると言っていた。

昼食は中央広場のベンチで2人でとることにしているという。
そういえば僕もお腹が空いてきた。
「この辺に安くておいしいカフェテリアはないか」と尋ねた。
「どのカフェテリアも高いし、おいしくないわよ。店でパンとチーズやハムを買って、自分でサンドイッチをつくるのがいいわ。私たちもそうしている。そう、私のサンドイッチを半分あげる」
そう言って、マルガレッタは、サンドイッチと青リンゴを僕に渡そうとした。僕が遠慮していると、「チューリヒの思い出になるわよ」と言うので、僕はありがたくもらうことにした。チーズとハムとキュウリをはさんだおいしいサンドイッチだった。リンゴは野球の硬球を一回り小さくしたくらいの大きさだ。堅くて酸っぱい。しかし、水分が十分あるので、これならば飲み物がなくても、サンドイッチを食べることができる。

カフェテリアは朝6時から開いている。カフェテリアに降りるとおいしそうな焼きたてパンの薫りがする。クロワッサンが山積みにされている。早速2つとって、熱いカフェオーレを頼んだ。おいしい。

佐藤優『十五の夏』より