たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その2:スイス、旧チェコスロバキア、ポーランド

日本人のティーンエイジャーってアジア人の少ないところに行くとものすごく幼く見えると思うのだが、若き日の佐藤氏は堂々とレストランに入っていき、同席の大人と会話し、大したものである。私は15の時、そもそも田舎で外食自体まれだった。ましてや一人で行ったことなど、ファストフードでもなかった。

ちなみに、在欧州の私の家族は30歳のときにポーランドに行ってむちゃくちゃジロジロ見られたそうだ。
実際の理由は不明だが「アジア人を見たのが初めてだったのかも?」と言っていた。

「君はカップを持っていないの」と背の高い少女が尋ねた。
「カップって何だい」
「こういうカップよ」
そう言って、背の高い少女は琺瑯のカップを見せた。
「残念ながら持っていない」
「それじゃ私のを貸してあげる。ミルクコーヒーをつくってあげるね」
そう言って、少女はカップに半分くらい水を入れて、直接火にかけた。
すぐに熱湯ができた。そこに少女はインスタントコーヒーを2匙入れた。
「もう少し濃くする」と尋ねられたが、僕は「これでいい」と答えた。
少女は水筒を取りだして、そこからカップに牛乳を注いだ。2~3分でカップの中が泡立ってきた。
「熱いから、ハンカチで柄をきちんと持ってね」
そう言って、少女はハンカチで柄をおさえた琺瑯のカップを僕に渡した。
やけどをするのではないかと恐る恐るカップをくちびるにつけたが、それほど熱くはなかった。コーヒーの苦さが、牛乳によって中和されている。それからインスタントコーヒーなのにとても薫りがいい。
「昼食を食べた」
「まだだ」
「それじゃ、私たちといっしょに食べましょう」
そう言って、少女はビニールシートを敷いて、袋から大きなパンを取りだした。
パンに続いて、ピーマン、トマト、チーズ、それから血のソーセージを取りだした。そして、ナイフでそれぞれを大雑把に切った。瓶に入ったジャムとバターが出てきた。少女たちは、パンにバターを塗って、その上にチーズをのせたオープンサンドイッチをつくった。少し酸っぱい薫りがするライ麦入りのパンとチーズがよくあう。旅行ガイドブックには、「スイスの食事にはあまり期待できない」と書かれていたが、そんなことはない。まず、チーズや牛乳がおいしい。それにチューリヒで食べたロスティも肉は硬かったがおいしかった。ライ麦入りのパンは、チューリヒのユースホステルで食べたときは変な味だと思ったが、それはマーマレードをつけたからだ。チーズとはとてもあうことがわかった。

夕食は、特にチョイスはなかった。日替わりで定食がでるということだった。この日の定食は、カツレツだった。ただし、日本のトンカツのように油で揚げていない。フライパンにバターをたっぷり入れて焼いたという感じだ。付け合わせはゆでたジャガイモだった。バターをつけて、塩を振るとおいしい。
夕食後、コーヒーを飲みながら、ペアレントを囲んで話をした。

チューリヒのユースホステルで、東ドイツに親戚がいるという西ドイツの青年から、「東ヨーロッパではチョコレートが欠乏している。スイスのチョコレートを持っていくと喜ばれる」と教えられたので、僕はシャフハウゼンの駅の売店でチョコレートを5枚買った。日本のチョコレートの倍以上ある大きな板チョコだ。イタリア人の子どもたちにこのチョコレートを1枚渡すと、あっというまに2人でたいらげてしまった。お腹が空いていたようだ。両親からはとても感謝された。
シュツットガルトが終点なので、僕もイタリア人家族も列車を降りた。

車の中でさっき子どもからもらった飴をなめてみた。堅い飴の中に木イチゴのジャムが入っている。おいしい飴だった。タクシーは5分くらいでホテルに着いた。「ドルなら2ドルだ」というので、コルナで払うのと比べ、圧倒的に安いので、ドルで支払った。

それから30分くらいして、イタリア人女性のところに大きなシュニッツェル(トンカツ)とゆでたジャガイモの付け合わせが運ばれてきた。それと籠に入ったパンが運ばれてきた。イタリア人は僕に「半分、食べないか」と言う。僕は「大丈夫。これからきちんと注文します」と言ったが、彼女は「これじゃあなたはきっと夕食からあぶれる」と言って笑って、ウエイターに「大至急、お皿を持ってきて」と言った。ウエイターがすぐに皿を持ってきた。イタリア人は、皿の上でシュニッツェルを半分に切り、ジャガイモを3つ移して、僕に渡した。肉にはすこしスモークがかかっているようだ。実においしい。イタリア人も「チェコ料理はおいしい。ただ、観光を受け入れる態勢ができていない。特に夏がひどい」と言っていた。僕が、「あなたは観光でプラハを訪れているのですか」と尋ねたら、「違う」という答えだった。夫といっしょにプラハで商談をしているという。夫は別の場所で会食をしているので、1人で食事をしているということだった。イタリア人はコーヒーとケーキを2つずつ頼んだ。コーヒーはエスプレッソで苦かったが、ケーキはリンゴの堅いタルトだった。横にホイップクリームが山のように添えられていた。
僕が食事代を支払おうとすると、イタリア人に「その必要はない」と言われた。ケーキを含め、すべてクーポンに含まれているという。結局、僕の夕食券は使わないまま余ってしまった。彼女は僕に「未使用の券は、チョコレートやタバコと交換することができるわよ」と言った。
社会主義国で、ホテルをとったり、レストランで食事をすることがこれほどたいへんとは思わなかった。

夕方になるとお腹が空いてきた。食堂を探したが、勝手がよくわからない。ホームの売店でソーセージとシュニッツェルを売っている。そこで、ソーセージ、シュニッツェルを買った。コーラを飲みたくなったが、売店で売っていない。そこで瓶に入ったオレンジジュースを買った。栓を開けてもらい、飲むとオレンジではなく薬品の味がした。舌がしびれるような感じがする。そこで、ジュースにはほとんど口をつけずに牛乳を買った。牛乳はおいしい。ソーセージはぶよぶよでほとんど味がない。ただし、シュニッツェルはとてもおいしかった。シュニッツェルと牛乳で生き返る思いがした。

チェコのシュニッツェルは実においしい。日本の肉屋で売っているトンカツよりは少し小さい。小学生の頃、団地のすぐそばにある商店街の木村精肉店で買ったハムカツを思い出した。シュニッツェルの場合も、肉をたたいて伸ばしてあるのでハムカツのようになる。もう一度、売店に並んでシュニッツェルを買った。
共産圏に入って2日目なのに、早く西側に出たくなった。

車掌は、僕に「チャイ、コーフェ?」と尋ねた。僕は「チャイ」と答えるとガラスのコップにキャスターのついた紅茶を持ってきた。僕は上段の寝台から降りて、椅子に座った。横にビスケットが1袋ついている。カネを払おうとしたら、「いらない」と言われた。

1階のセルフサービスの食堂に入った。ボルシチをとって、ホワイトソースで煮込んだハンバーグとシュニッツェルをとった。付け合わせはマッシュポテトにした。東ドイツの大学生が「マッシュポテトの上にバターを落とすとおいしい」と言うのでその通りにした。最後にブラウンブレッドとジャムとバター、それに紅茶をとった。テーブルに僕たち6人がまとめて座った。ナイフ、フォーク、スプーンは、アルミニウム製できゃしゃだ。ただし、皿は磁器でしっかりしている。コップは分厚く、耐熱ガラスでできているようだ。熱いコーヒーや紅茶をこのコップに注いでいる。これだけの食事をとって100円でお釣りがくる。ポーランドの物価は実に安い。日本から月に2万~3万も仕送りしてもらえば、ワルシャワで安楽な生活ができると思った。
味はどうだろうか。ブラウンブレッドは焼きたてでやわらかい。ほのかにライ麦の薫りがする。マッシュポテトもなめらかな舌触りだ。味も薄塩だ。ホワイトソースで煮込んだハンバーグは少しやわらかかったが、悪くない味だ。ところで、シュニッツェルと思ってとったのは、レバーのカツだった。レバーの苦い癖のある味が、胡椒でうまく調和されている。
「ポーランドの食事はおいしいね」と僕は言った。
「ありがとう。この食堂の味付けは悪くない。でも、家庭料理の方がずっとおいしいよ」と生徒の1人が言った。
「東京のロシアレストランで何度かボルシチを食べたことがあるが、ここの方がずっとおいしい」
「僕たちポーランド人は、ボルシチはロシア料理じゃなくてポーランド料理と考えている」

「いつもみんなでこの食堂に来るのか」と僕は尋ねた。クラコフから来たポーランドの生徒たちは「初めてだ」と言う。h東ドイツの大学生は、「朝はユースホステルの近くの食料品店で売っているパンと牛乳、それにチーズくらいで済ませるが、昼と夜はこの食堂で食べている」と言った。
「東ドイツにもこんな感じの食堂があるのか」と僕が尋ねた。
「あるよ。値段はここよりも少し高い。ただし、あまりおいしくないので、僕は寮で自炊している。だいたいドイツ人とポーランド人を比較すると、ポーランド人の方が食事を愉しむ。だからここに来ると何でもおいしく感じる」
「でも、東ドイツのソーセージやハムはおいしいと日本で読んだ旅行ガイドブックに書いてあった」
「確かにソーセージはおいしい。ビールと合う。もっともポーランドのソーセージやビールもおいしいけどね。さっきも言ったけど、DDRの国民に人気がある観光地は、ポーランドとハンガリーだ。自動車にキャンピングカーをつけて旅行するのがはやっている」

白い紙にタイプ打ちでメニューが書いてある。カーボン紙で複写したようで、字がつぶれている。それにすべてポーランド語で書かれているのでよくわからない。メニューを見て悩んでいると、向かいに座っている女性が英語で助け船を出してくれた。
僕が「何かポーランドらしい食べ物を試してみたい」と言うと、その女性は、「子牛肉の煮込みがおいしい」と言うので、それを頼んだ。あとスープとアイスクリームも頼んだ。食事中の飲み物は、コカ・コーラ、食後はコーヒーを頼んだ。
スープはボルシチではなかった。薄く白い色のついた、恐らく鶏でだしをとったスープだ。それに素麺を短くしたようなヌードルが入っている。なかなかおいしい。
(中略)
子牛肉の煮込みは、薄くスライスした肉に、野菜と胡椒をきかせ、トマトピューレを入れたソースで軽く煮込んである。肉の歯ごたえが残っている。これもおいしい。つけあわせで、蒸しパンのようなものがついてきた。同席の女性が、蒸しパンにソースをつけて食べているので、僕もそのまねをした。「おいしい」と聞かれたので、僕は「とてもおいしい」と答えた。
アイスクリームには、紫色をしたすっぱいジャムがのっていた。コーヒーは小さなカップに入っていてとても濃かった。

僕は東ドイツの学生といつもの食堂に夕食を食べに行った。ハンバーグにマッシュポテトをたくさん付け合わせてもらった。ポーランドのジャガイモはおいしい。パンは、ライ麦が入っているせいか少し酸っぱいので好きになれない。それから、デザートに桃の果肉が沈んでいるコンポートをとった。コーヒーを飲みながら、東ドイツの大学生とゆっくり話をした。

そこでいつもの食堂で昼食をとることにした。鶏のもも肉のグリルがあるので、それをメインにして、すっかり気に入ったマッシュポテトをつけあわせにした。それからチーズとサラミソーセージとケーキをとった。飲み物はコーヒーとコカ・コーラにした。食事 + ケーキ + コーヒーよりもコカ・コーラ1本の値段の方が高い。

男たちは食堂でミニハンバーグ、ポテトサラダ、サラミソーセージなどを大量に買った。それ以外にも袋に瓶が何本も入っている。

テーブルには、無色透明や琥珀色の液体が入った瓶とそれよりも背の低い瓶が何本も、そしてチーズ、ハム、サラミソーセージ、ミニハンバーグ、ポテトサラダなどが並べられている。
(中略)
僕は、リンゴの絵が描いてある背の低いボトルを示して、「これを飲みたい」と言った。男の一人がコップにこのリンゴジュースを注いでくれた。それとは別にショットグラスに無色透明の液体を注ぐ。注射のときの脱脂綿の消毒用アルコールのような臭いがする。これを飲むのだろうか。
(中略)
僕はリンゴジュースを飲み干した。男たちはその様子を見て、白いチーズのようなものをパンに載せて、手真似で僕に食べろという。食べてみた。何の味もしない。舌触りもチーズというよりも、昔、沖縄で食べた硬い島豆腐のような感じだ。確かにこの白チーズとパンを食べて、少し落ち着いた。
これがウオトカなのだろうか。僕は男たちに、
「ウオトカ? ラッシャン・ドリンク?」
と尋ねた。
男の一人が、紙とボールペンを持ってきて、
VODKA RUSSIA
WODKA POLAND
と書いた。そして、VODKA RUSSIAを二重線で消した。残りの男たちが笑った。
どうも、Wで始まるポーランドのウオトカ(WODKA)がほんもので、Vで始まるロシアのウオトカ(VODKA)はにせものであると言いたいようだ。
(中略)
白チーズ意外の食べ物はとてもおいしい。サラミも黄色いチーズもミニハンバーグも僕の口に合う。ポテトサラダも日本のサラダとはだいぶちがいグリンピースがたくさん入っている。おいしい。
僕はポーランドがすっかり気に入った。

佐藤優『十五の夏』より