たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その3:ポーランド、ハンガリー

「1時間ちょっとの短時間飛行」でエコノミーでも機内食が出てウソでしょと思ったことがある。フランクフルトからアムステルダム。夜遅い時間の便で各地から乗り継いできてやっと最終目的地だ、という人が多く(私も含めて乗り込みのカウンターに走ってくる人が多かった。またフランクフルト空港が広いのなんの)、短時間ながら寛いだムードが漂っていた。そこにサンドイッチやクラッカーが配られたので嬉しかった。

男たちは冷蔵庫から薄茶色のオレンジジュースとピーチのネクターを持ってきた。オレンジジュースは少し苦みがあるので、おいしくなかったが、ネクターはこくがあっておいしかった。ただし、不二家のネクターのようにさらさらしていない。ネクターを飲むとかえって喉が渇く。僕は水を頼んだ。瓶に入っている水は炭酸入りだ。僕はコップを持って台所に行き水道の水を飲んだ。

教会を出ると、空腹感を覚えた。朝はコーヒー、昼もコーヒーとケーキを1つ食べただけだ。財布の中には強制両替させられたズロティ札がいっぱいある。明日はブダペストに移動しなくてはならない。今日中にズロティを使い切ってしまわなくてはならない。
昨日の夜、心の中で決めたとおり、今晩は高級レストランに行って、中華料理を食べることにした。ワルシャワには、上海飯店という中華レストランが1軒だけあるので、そこに行ってみることにした。
(中略)
「飲み物は何にされますか。ワインですか。ビールもありますよ」と聞かれたが、「コカ・コーラにします」と答えたら、怪訝そうな顔をされた。
まず、海老と白身魚のフリッターが出た。何となく中華味だ。それにトマトとキュウリのサラダがついてきた。丸くて堅いパンとバターがついてきた。パンにバターをたっぷりつけて、コーラで喉に流し込む。これが何ともいえずおいしい。
メインは八宝菜だった。きくらげが山ほど入っている。真っ黒い八宝菜という感じだ。豚肉と海老もふんだんに入っている。味付けも悪くない。ただし、付けあわせのご飯に芯があって、しかも焦げだらけだ。どういう炊き方をしているのだろうか。それでも、久しぶりの米だったので、おいしく思った。上尾の早計慶学院の隣にあるラーメン屋でときどき食べた麻婆豆腐定食をまた食べたいと思った。
最後にデザートでアイスクリームが出てきた。横にライチーのシロップ漬けがついていた。お茶もジャスミンティーだった。
ガイドブックには、「味の方はいまひとつなので、あまり期待しないように」と書かれていたが、ご飯を除いては、どれもおいしかった。
高級レストランでかなり値が張ると思ったが日本円にして1000円くらいだった。これでは明日までにズロティを使い尽くすことは不可能だ。

係員がパスポートと税関申告書を預かり、手続きを代行してくれる。待合室には、バーがあるが、飲み物も軽食も無料だ。僕は、コーヒーとチーズがのったオープンサンドイッチを頼んだ。

スチュワーデスが、飲み物とチョコレートバーを配り始めた。瓶に入った炭酸飲料水をこげ茶色のプラスチックのコップに入れる。1時間ちょっとの短時間飛行なので、機内食は出ないようだ。雲があまりない。雪の間から地上が見える。ずっと平原が続く。20分くらい経つと山が目立つようになった。「チェコスロバキアの上空だ」とスチュワーデスが言った。

奥さんが、コーヒーとクッキーを出してきた。クッキーはチョコレートがコーティングしてある。食べてみると、麦芽入りのクッキーと苦みのあるチョコレートの味がマッチしてとてもおいしい。コーヒーには、ホイップクリームが山のようにのっている。ウィンナーコーヒーだ。ワルシャワで飲んだコーヒーよりもずっとおいしい。奥さんはドイツ語で話しかけているようであるが、さっぱりわからない。

レストランはそれほど混んでいない。ウエイターに案内されて、席についた。飲み物は、レモネードを注文した。前菜にサラミソーセージとサラダをとって、メインを中華風ステーキにした。
レモネードは、クリーム色をした炭酸の効いた飲み物だった。サラミソーセージは固いが、おいしい。細長いパンがついてきた。パンには、塩の粒がたくさんついている。ひどく塩辛いので、一口だけ食べて、あとは手をつけなかった。
メインの中華風ステーキは、フィレステーキにキノコと野菜の甘酢ソースがかかっていた。日本の酢豚のような感じだ。付け合わせがゆでたジャガイモと人参だった。おいしい。値段も500円くらいだった。ポーランドほどではないが、ハンガリーもかなり物価が安いようだ。

「何か食べたいのですけど」と僕は支配人に尋ねた。
「このホテルのレストランは、朝と夜しかやっていません。朝食は宿泊代に含まれています。もっともシェフは、いまもいるので、サンドイッチくらいなら、つくることができます。それでもいいですか」
「もちろんです」
支配人は、僕をレストランに案内した。100人くらいが入ることができる大きなレストランだ。レストランの外は芝生になっていて、そこに木製のテーブルと椅子がある。
支配人がシェフを呼び出して、ハンガリー語で何か尋ねた後で、僕の方を振り返った。
「チーズとサラミソーセージのサンドイッチだったらできますが、それでもいいですか」
「よろこんでいただきます」
「飲み物は、コーヒーと紅茶のどちらがよいですか」
「僕はコーラを飲みたいです。コーラはありますか」
「コカ・コーラがあります。それでいいですか」
「もちろんです」
(中略)
直径10センチメートルくらいの丸いパンを2つ取りだし、包丁で上下に2つに分ける。片方のパンにはサラミソーセージを、もう一つにはチーズをはさむ。それを皿に載せた。その横に小さくて太いキュウリのピクルスとオリーブの実をいくつか置いた。冷蔵庫からコカ・コーラの瓶を取りだして、コップといっしょに持ってきた。
さっそくパンをほおばってみた。パンが堅い。大宮の銀座通りの「木村屋」で売っているプチパン(小さなフランスパン)を思い出した。それよりも堅い。ただし、古いパンではない。粘りがあって、堅いパンなのだ。ポーランドで食べたライ麦が入ったパンよりもおいしい。それにサラミソーセージが、言葉が見つからないほどおいしい。肉の風味と胡椒が独特のハーモニーをもたらしている。こんなにおいしいサンドイッチを食べたのは、生まれて初めてだ。
皿に載っている黒いオリーブを食べてみた。これは苦いので、半分だけ食べて、皿に戻した。
今度は、チーズの入ったパンを食べた。ほとんど塩味がしない。どうも無塩バターを使っているようだ。チーズにもほとんど味がついていない。サラミソーセージのサンドイッチの方が各段においしい。
パンが喉につまりそうになったので、コーラで流し込んだ。少学6年生の夏休みに、返還前の沖縄に行って、米軍基地のそばにある屋台で、ハンバーガーを食べたときにもパンを喉に詰まらせそうになって、コカ・コーラで流し込んだことを思い出した。コーラの味が沖縄でもブダペシュトでも同じなのが、何とも言えず不思議な感じがした。

支配人は、ホテルとプールの間にある建物に印をつけ、「ここがとてもおいしいレストランです。うちのレストランは肉料理や鶏料理はおいしいですけれど、魚を扱っていない。ここの鯉の料理は最高です。是非、試してみるといいでしょう」と言った。
昔、父親に連れられて秩父に行ったときに鯉のあらいを酢みそで食べたことがある。それほどおいしいとは思わなかった。
「鯉をどうやって食べるんですか。焼くのですか」と僕は尋ねた。
「焼いて食べることもありますが、だいたいは煮て食べます。揚げて食べることもあります」
いったい鯉をどのように煮るのだろうか。泥臭くないのだろうか。この料理に興味が出てきた。
「必ず試してみます」

広い道路を渡って3~4分歩いたところに食料品店があった。籠を持って商品を買うスーパーマーケット方式だ。コカ・コーラを3本、イチゴの入ったヨーグルトを3個、ナッツ入りの大きな板チョコを1枚、それからオレンジを5個買った。瓶とオレンジがかさばるので、袋を抱えるようにして持って、川岸に戻った。
アタッシュケースの中に入っている組みナイフを取りだした。それには栓抜きもついている。僕はコーラの栓を開けて、2人に勧めた。
「コソノム(ありがとう)」と言って、2人はコーラを受け取った。袋から、ヨーグルト、チョコレート、オレンジを取り出した。マルガリータは、「ヨーグルトは嫌いなの」と言って、手をつけなかった。
「オレンジもコーラも高かったでしょう。お金を使わせて申し訳ない」とマルガリータが言った。支払いは日本円で500円くらいだった。決して高いわけではない。2人の話によると、コーラは、ハンガリー製のレモネードやジュースと比較すると倍くらいするという。僕は、チェコスロバキアで、化学物質でつくったとしか思えないひどくまずいオレンジジュースを飲んだので、「ハンガリー製のレモネードやジュースはおいしいのか」と尋ねた。2人は「おいしいわよ。一度試してみるといいわ」と答えた。

ウエイトレスは英語を話す。僕は、オレンジジュースを注文した。ウエイトレスは、僕がビールやワインを頼まないので、ちょっと怪訝そうな顔をしたが、「アルコールは飲まないんです」と言ったら、納得した。
オレンジジュースといっしょにウエイトレスは分厚いメニューを持ってきた。ハンガリー語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語で書いてあるからメニューが厚くなるのだ。英語のところを見てみたが、何が何だかよくわからない。そこで、「何でもいいから、ハンガリー料理でおいしいものを持ってきてください。魚料理を食べたいです」と頼んだ。
最初にフォアグラを使ったテリーヌが出てきた。フォアグラが入ったテリーヌは、いちど父親に連れられて、どこかのレストランで食べたことがある。ウエイトレスが持ってきたパンは、今日の昼、サンドイッチで食べたのと同じ丸くて堅いパンだ。
その後に、真っ赤な色をしたスープが出てきた。ハラースレーというパプリカのソースで煮込んだ鯉料理だ。少し辛いが、キムチほどではない。スープの中にニンニクも入っているようだ。周りを見ると、お客の半分くらいがハラースレーをとっている。このレストランの名物料理なのだろう。大きなスープ皿に入っているが、骨が多いので、それほど量は多くない。
これで終わりかと思ったら、カツレツが出てきた。肉を叩いて薄くのばし、それにパン粉をつけて、フライパンで揚げたものだ。少し、焦げ目がついていておいしい。横にマッシュポテトが山盛りに添えられている。
ウエイトレスが、デザートの注文を取りに来た。「何があるか」と尋ねると、ケーキとアイスクリームがそれぞれ数種類ずつあるという。僕は、チョコレートソースのかかったアイスクリームを注文した。チョコレートソースのかかったバニラアイスの横に、まっしろいホイップクリームが山のように添えられている。
飲み物にはウエイトレスから「緑茶があるがどうか」と勧められた。好奇心から試してみることにした。日本のものよりは少し黄色いが、確かに緑茶が出てきた。「中国製の緑茶か」と尋ねると、「ソ連製だ」という答えだった。中央アジアから緑茶が入ってくるのであろうか。ハンガリー人が、食べることを楽しんでいるのがよくわかった。

「レモネードもありますか」
「あります」
「それではください」
「10フォリントです。部屋づけにしておきますか」
「いや、現金で払います」
「申し訳ございませんが、夜間は、値段が倍になります」
「構いません」
日本円に換算すると140円だ。日本のホテルと比べれば、各段に安い。レモンをふんだんに使ったおいしいレモネードだ。チェコはいうまでもなく、ポートランドと比べても、ハンガリーのジュース類はおいしい。もっとも食にかけるエネルギーは、ポーランド人とハンガリー人は同じくらいだ。

佐藤優『十五の夏』より