たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その5:ハンガリー、ルーマニア、旧ソ連、日本

パンや肉など食べ物を「かたい」というとき、マサル少年は固い、堅い、硬い、と記述しているのだが、意図して書き分けているのだろうか。もしそうならすごい。私にニュアンスはわからないけれど。

鉄道で飲む、グラスに注がれたジャム入りの紅茶は憧れ。

神戸には、アメリカ人、イギリス人以外にも、ソ連から亡命したいわゆる白系ロシア人も住んでいた。母は白系ロシア人のパン屋で買う黒パン、ロシアケーキ(クッキー)がとても気に入った。このロシア人のパン屋だけでなく、神戸のパンやコーヒーは水準が高い。沖縄で慣れたアメリカ流のインスタントコーヒーとは違う豆をひいたコーヒーに母は魅了された。朝食は喫茶店でコーヒーとトースト、日曜日も喫茶店で半日くらい本を読んで気分転換するようになった。

「お腹がいっぱいになったか」とフィフィが尋ねた。
「もう少し食べたい。このバターライスが気に入った。もう一皿、注文できないか」
フィフィはウエイターを呼んで、ハンガリー語で相談した。少しやりとりがあった後、ウエイターは「オーケー」と言って、キッチンの方に行った。
「これから米を蒸して炒めるので、時間がかかると言っていた。問題ないよね」
「もちろん、問題ない」
「肉か魚を一緒に注文するかと尋ねられたけど、バターライスだけでいいと答えた。これも問題ないよね」
「もちろん問題ない。バターライスだけ注文すると変か?」
「変ではないけれどハンガリー人はそういう注文はしない」
どうもフィフィに恥をかかせてしまったようだ。
「日本ではフライドライスに野菜や肉を入れて調理する。それ一品で、十分昼食になる」と、僕は炒飯について説明した。フィフィが、目を輝かせて僕の話を聞く。何を考えているのだろうか。
「マサルはそのフライドライスを作ることができるか」
「それくらいだったらできるよ」
「その料理ならばここでも材料が手に入る。どうだろう。明日の夜、フライドライスを作ってうちの家族に御馳走してくれないか」
「腕にはあまり自信がないよ」
「大丈夫だ。誰も日本で本物を食べたことがない」
「日本の伝統料理じゃなくて、中国から入ってきたものだよ」
「構わない。ブダペシュトに中華レストランはないので、珍しい。材料に何を揃えたらいいのか」
僕はアタッシェケースからメモ帳を取り出して、米、豚肉、卵、タマネギ、グリーンのパプリカ、人参、塩、胡椒、植物油あるいはバターと書いた。
「これならば簡単に手に入る。明日の夕食が楽しみだ」とフィフィは言った。
ウエイターが、山盛りのバターライスを持ってきた。僕一人では食べきれないので、フィフィと分けた。バターライスは、ところどころ焦げている。そこが煎餅を思い出させた。
「これに肉、野菜、卵が加われば立派なフライドライスになる」と僕は言った。
追加のバターライスが多かったので、デザートは取らずに家に戻った。
(中略)
「マサル、だいぶ疲れがたまっているんじゃないか」
「そうでもないよ。昨晩はちょっと食べ過ぎた。バターライスの追加は余計だった」
「でもおいしかったんだろう」
「おいしかった。ただ、まだお腹がいっぱいだ。朝食は抜くことにする」
「コーヒーかチョコレート牛乳を飲むか」
「コーヒーにする」
「ホイップクリームと砂糖は?」
「入れてくれ」
フィフィは台所に行って、コーヒーを準備した。

カフェは、かなり混雑していた。2人でサラミソーセージとチーズを丸いパンにはさんだサンドイッチを4つ買って、コーヒーとコーラを2つずつ買った。ヴェヌス・モーテルでサラミとチーズのサンドイッチを初めて食べたときのことを思い出した。何度食べてもハンガリーのサラミはおいしい。
「ほんとうにこのサラミはおいしいね」
「ハンガリー人はサラミにはうるさいからね。サラミを注文して外れることはまずないよ(中略)」

映画が終わった後は、南銀座の焼き肉屋か、大宮ステーションビルのうなぎ屋で、食事をおごってくれた。映画だけでなく、外食もあるので、僕は父と映画を見に行くのを楽しみにしていた。
僕が父に『モスクワわが愛』を見たいと言うと、父はすぐに「いいよ」と答えた。僕がソ連やロシア語に関心を持っていることを父は歓迎していたし、それに父は栗原小巻のファンだった。

「今晩、マサルが作ってくれる日本食だけれど、ここではなく、友だちの家のキッチンで作ることになった。構わないか」
「別に何の問題もないけれど、何でそうするの」
「友だちも日本食を食べたいと言っている。それにキッチンも居間も友だちの家の方が大きい」
(中略)
以前、同級生が5人、大宮の団地に遊びに来て、僕が6人分の炒飯を作ったことがある。8人分でも大丈夫だろう。米を少し多く、2キログラム炊くことにした。
「準備にどれくらい時間がかかるか」とフィフィが尋ねた。
「材料を切り刻むのに5分、米を炊く準備に1時間くらいかかる。それに炒めるのに5分くらいかかる」
「米を炊く準備になんでそんなに時間がかかるんだ」
「水に30分つけてから炊いて、その後、蒸らす。フライドライスなので水を少し減らして固めの御飯にする」
「付け合わせに何を準備する?」
「日本では中華風のスープをつけるが、ここでは材料がない。コンソメスープとサラダを準備してくれ」
「わかった。肉料理を用意する必要はあるか」
「ない。フライドライスに肉が入っている」
フィフィに連れられて同じ建物の中にある友だちの家に行った。キッチンには、昨日、僕がフィフィに指示した米、豚肉、卵、タマネギ、グリーンのパプリカ、人参、塩、胡椒、植物油とバターが置いてある。
僕は、学校の帰りに北浦和駅前の「娘々」でときどき食べる炒飯を思い出した。まず、卵を溶いて中華鍋で薄く焼き、横の皿に取り分けておく。具を炒めて、その後、御飯を入れ、その上に焼いた卵を載せ、しゃもじで炒めながらまぜていく。
「それじゃ、1時間後にフライドライスができるので、フィフィは家に帰っていていいよ」
「僕も手伝いたいのだけれども、邪魔になるか」
「じゃあ、豚肉の塊をできるだけ薄くスライスしてくれ」
「わかった」と言ってフィフィはナイフで肉塊を切り始めた。上手な手さばきだ。キャンプをよくするので、慣れているのだろう。
僕は米を研いだ。ワラや小石が混入していると思ったが、きれいな米だ。日本でよく見るショートグレイン(短粒米)だ。
「フィフィ。これはどこでとれた米か」
フィフィは袋の表示を見た。
「東ドイツからの輸入品」
「東ドイツで米がとれるのか」
「多分、とれるんだと思う。あるいはベトナム米が東ドイツで包装されているのかもしれない。質はどうだ」
「いい米だ」
米を研いで、水につけた。
その後、野菜をみじん切りにした。母の作る炒飯は、野菜を大振りに切るが、「娘々」ではみじん切りにする。みじん切りの方がフィフィたちに違和感が少ないと思った。それから、薄焼き卵を作った。
客間にみんながやってきたところで、フライパンに油をひいて、米を炒め始めた。しゃもじはないが、木製のスプーンがあったので代用した。フライパンが小さいので、3回に分けて全員分の炒飯を作った。
食卓には白ワインとビールが準備されている。僕は炭酸入りの水にした。
「おいしい」とフィフィのお母さんが言った。フィフィの友人が、「これによく似た料理がハンガリーにもある」と言った。
「フライドライスをよく食べるの」とフィフィの姉が尋ねた。
「週に1回くらいです。正確に言うと、フライドライスは日本食ではなく、中国食と受け止められています」
「典型的な日本食は何ですか」とフィフィの友だちが尋ねた。
「いろいろあるので、何が典型的か述べるのは難しいですが、御飯と味噌汁は必ずつきます。それに魚料理、肉料理、野菜料理などがつきます」
「生の魚を食べるというけれどほんとうですか」
「ほんとうです」
「骨はどうするんですか」
「もちろん、食べません。肉の部分だけをスライスにして、醤油をつけて食べます。あるいは、ライスボールを作ってその上に刺身を乗せて食べる鮨という料理もあります」
「臭いませんか」
「新鮮な魚なので臭いません」
全員が顔を見合わせている。
和気藹々とした雰囲気で夕食を終えた。キッチンで皿を洗おうとすると、この家の人たちから「後はわたしたちがします」と言われたので、僕はフィフィの家族と家に帰ることにした。家に着くとフィフィのお姉さんがホイップクリームを山盛りにしたコーヒーを持ってきてくれた。
コーヒーを飲みながら、フィフィのお母さんが「パードン」と言ってタバコを吸い始めた。
「タバコを吸うんですか」
「ときどき。楽しいことがあると吸います。マサルが家事をよく手伝っていることがわかり、何となく嬉しくなりました」

昼食は、サラミソーセージとチーズのサンドイッチで簡単に済ませた。

最後の晩は、フィフィ家が勢揃いして、お別れの会をしてくれた。グラーシュとチョコレートケーキがおいしかった。

僕たちは空港2階のカフェに行った。フィフィはビールを、僕はレモネードを注文した。ヴェヌス・モーテルで毎日のように飲んでいた懐かしいレモネードだ。

安定飛行に入るとスチュワーデスがガス入りのミネラルウォーターとチョコレートバーを配った。

清涼飲料水の自動販売機がある。日本で見たことがあるソ連製のソーダ水自動販売機だ。そばに近づいて、行列についた。ガラスのコップが備え付けてある。洗浄装置がついているが、きれいには洗えない。もっとも、回し飲みをしても誰も気にしないようだ。コインを入れるとレモネードが出てきた。薄い黄色をしている。あまり甘くなくておいしい。

「ルーマニア料理を食べたいのですが」と尋ねた。
「残念ながら、ルーマニア料理はありません」
「それでは、何がお勧めですか」
「ニューヨーク風のステーキです」
「それではそれをお願いします」
「前菜とスープはどちらにしますか」
「スープにしてください」
「デザートは、アイスクリームしかありません」
「結構です」
「ジャムをかけますか、チョコレートソースにしますか」
「ワインはどうしますか。ステーキなので赤をお勧めします」
「アルコールは飲みません。コーラを持ってきてください」
「わかりました」
注文から10分も経たないうちにウエイターはロールパンとコンソメスープを持ってきた。サーブは早いようだ。コンソメスープは薄味だが、牛肉のだしがよく出ていておいしい。ロールパンはひどく堅い。
ステーキは、500グラムくらいある。ウエルダンで中まで火がよく通っている。かなり硬い肉だが、味はいい。他のテーブルを見てみたが、半分くらいの人がこのステーキを取っている。このレストランのお勧め料理なのだろう。客の3分の2くらいはルーマニア人で、ワインを何本も空けて、楽しそうに食事をしている。インターコンチネンタル・ホテル自体がルーマニア人にとっては観光地になっているようだ。
アイスクリームと一緒にコーヒーを注文した。コーヒーは小さなカップに入ったトルコ風でとても濃かった。

部下の女性が、紅茶とクッキーを持ってきた。紅茶はロシア式で、ガラスのコップに金属のホルダーがつけられている。
「ロシア式ですね」と僕が言った。
「ルーマニアでもこういう飲み方をする人はたくさんいます」と次長は言った。
(中略)
次長と話しているうちに、悪かったルーマニアの印象がだいぶ変化してきた。部下が淹れてくれた紅茶もおいしい。
「おいしい紅茶ですね。それにクッキーもおいしいです」
「臨時列車なので食堂車がついていません。夕食は食べていないでしょう」
「ええ。列車に乗れるかどうかわからないので、食欲が湧きませんでした」
「もうすぐお腹が空きます。クッキーとキャンディーしかありませんけれど、食べておいた方がいいです」
「英語が上手ですけれど、何カ国語を話すのですか」
「英語以外には、ロシア語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を話します。ブルガリア語も話しますが、仕事で使うことはほとんどありません」
「どこで外国語を勉強したのですか」
「ブカレスト大学です。ルーマニアだけでなく、ソ連やブルガリアでも、外国語教育は資本主義国と比較して充実していると思います。どうしてかわかりますか」
僕は次長の質問の意味がよくわからなかった。
「比較したことがないので、わかりません」
「社会主義国の場合、外国に留学して実地で英語やフランス語やドイツ語を勉強する可能性はないという前提で、会話を含めて外国語教育をするからです」

お祖父さんは、袋から缶詰を取り出した。金色のブリキの缶詰で、何が入っているのか表示されていない。お祖父さんはポケットから小さなナイフを取り出して缶詰とともに孫に渡した。孫が缶詰の蓋に近い横腹にナイフを入れると「プシュッ」という音がした。まだ幼いのに孫は見事な手さばきで缶詰を開けた。レバーペーストの缶詰だ。孫は開けた缶をお祖父さんに渡した。お祖父さんは足元の布袋から大きなパンを取り出した。ライ麦の入ったブラウンブレッドだ。お祖父さんは、パンを大きく切って、それにナイフでレバーペーストをたっぷり塗って、僕に渡す。ルーマニア語で何か言った。ジェスチャーで「食べろ」と伝える。
パンは今朝焼いたのだろうか。まだ軟らかい。レバーペーストも塩味がそれほどきつくなくおいしい。僕は親指を上にあげて「おいしい」と身振りで示した。孫もお祖父さんもレバーペーストをたっぷり塗ったパンを食べる。お祖父さんは、布袋から瓶を取り出した。中に赤ワインが入っているようだ。「ナイン」と言って断った。するともう1本、別の瓶を取り出して、孫に与えた。水が入った瓶のようだ。孫が喉を鳴らしておいしそうに水を飲んでいる。僕も喉が渇いてきたので、身振りで「水が飲みたい」と示した。孫が瓶を僕に渡してくれた。水をラッパ飲みした。とてもおいしい。
(中略)
僕の肩を叩いたのは、さっきのお祖父さんだった。ルーマニア語で何か言っているが、意味がさっぱりわからない。僕に大きなブラウンブレッドを半分切って、それからレバーペーストの缶詰を渡す。缶詰を渡しながら僕に何か尋ねるが、わからないので黙っていた。するとお祖父さんは、ポケットからナイフを取り出して、缶の蓋を半分くらい開けて僕に渡した。きっと「缶切りかナイフを持っているか」と尋ねたのだろう。家族5人は下車の準備をしている。「キエフまではまだ長いので、途中でこのパンとレバーペーストを食べろ」ということなのだろう。お祖父さんの気遣いに胸が熱くなった。
(中略)ポケットにブカレスト駅の事務室でもらったキャンディーが入っていることを思い出した。ポケットからキャンディーを全部取り出して孫に渡した。孫は喜んで、早速、包み紙を開いて食べ始めた。

上司が去った後、国境管理官は、「お腹が空いていませんか。ルーマニアの列車に食堂車はついていなかったでしょう」と言った。
「列車の中でルーマニア人にパンを分けてもらったので、それほどお腹は空いていません」
「しかし、何か少しとった方がいいです。紅茶とサンドイッチを用意するので、少し待ってください」
どうも上司は、「こいつは腹を空かしているようなので、何か食べさせてやれ」と指示したようだ。すぐに女性が紅茶とオープンサンドイッチを持ってきた。白パンの上にバターがたっぷり塗られて、サラミソーセージ、チーズが載っている。付け合わせにピクルスがついている。
「どうぞ遠慮せずに食べてください」
そう言って、国境管理官も紅茶を飲んで、サンドイッチを食べ始めた。

3人はスーツケースからウオトカ、ワイン、チーズとサラミソーセージを取り出して、宴会を始めた。僕も誘われたが、乗り気がしないので、食堂車に行くことにした。
(中略)
食堂車には、制服を着たウエイターがいる。客はあまりいないので、すぐに案内してくれた。4人掛けのテーブルだ。日本の食堂車だあとテーブルも椅子も小さいが、ここでは車両自体が大きいので、大宮ステーションビルのレストラン・ニユートーキヨーのテーブルより少し大きいくらいだ。メニューはロシア語と英語で書かれている。
メニューはたくさん書かれているが、鉛筆でHETという印がついている。ロシア語で「無い」という意味だ。前菜、スープ、肉料理、魚料理、鶏料理、デザート、コーヒー/紅茶の順番でメニューが並んでいる。
前菜にトマトとキュウリのサラダを頼んだ。スープは、ボルシチとサリャンカと書いてある。ボルシチは、日本で飲んだことがあるので、サリャンカを注文した。メインはキエフ風カツレツを注文したが、品切れということだ。そこでフィレステーキを頼んだ。デザートはアイスクリームにして、紅茶を頼んだ。ウエイターが「ワインかウオトカを飲まないか」と尋ねるので、僕は「酒は飲まない。コーラはないのか」と尋ねた。ウエイターは、「ペプシはないが、ガス入りのミネラルウォーターならばある」と答えたので、それを注文した。
ウエイターは、すぐにミネラルウォーターを持ってきて、栓を抜いてコップに注いだ。冷やしていないので生温かい。勢いよく泡が立つ。サイダーのようだ。一口飲んで、思わず吐き出しそうになった。塩辛いからだ。薬品のような臭いがする。ブダペシュトで飲んだすっきりしたミネラルウォーターとは、まったく違う味だ。温泉水を炭酸水で割ったような感じだ。「郷に入りては、郷に従え」ということなので、ウエイターに文句をつけるのはやめて、この水を飲むことにした。
前菜に出てきたサラダにも驚いた。ざく切りにしたトマトとキュウリだけが出てきた。ドレッシングもかかっていなければ、味付けもまったくされていない。テーブルの真ん中に、塩を持った皿がある。どうもこの塩をつけて食べるようだ。岩塩を削ったもののようで、結晶が大きい。キュウリに少しだけ塩をつけて食べてみたが、これが実に美味しい。新鮮なキュウリだ。トマトも日本産と比べると小振りだが、味はいい。食堂車は、種類は少ないが美味しい食材を揃えているようだ。
次にスープが出てきた。薄いオレンジ色をしている。トマトの色かと思ったら、そうではないようだ。恐らくパプリカの入ったソーセージが使われているので、その色が出ているのだと思う。牛肉、ソーセージ、ザワークラウト、ピクルス、それに黒色のオリーブが大量に入っている。オリーブを食べてみたが、ひどく苦い。オリーブは除けて、残りは全部たいらげた。スープと一緒に黒パンが山盛りになって出てきた。今までポーランド、ハンガリー、ルーマニアで食べたライ麦パンとは全く別の種類のパンだ。ライ麦の割合が高く、生地が密に詰まっていて、酸っぱい。大きさは日本の食パンの半分くらいだが、食べ応えがある。この黒パンがサリャンカとよく合う。これでかなりお腹が膨れてきた。まともな食事をしたのは2日振りなので、ほっとした。サリャンカを飲み終わっても、なかなかメインが出てこない。ソ連の食堂では、食事に2時間かかると書いてあったが、食堂車でも事情は同じようだ。30分くらい待って、メインのフィレステーキが運ばれてきた。ひどく硬かった。それに肉の真ん中まで、これでもかとういくらい火を通している。ナイフを入れると肉の線維が崩れてくる。付け合わせは、何とも形容できない調理をしたジャガイモだ。フライドポテトとはちょっと違う。皮付きのジャガイモを細切りにして、油をたっぷり引いたフライパンで炒めたようだ。べたべたしている。それに一部が焦げていて、油から奇妙な臭いがする。シベリアに11年間拘留されていた「日ソ友の会」(モスクワ放送のリスナーズクラブ)の篠原利明会長が、「佐藤君、ロシア人はひまわり油をよく使う。最初は臭いが鼻について抵抗があるが、慣れてくるとひまわり油なしの食事だと物足りなくなる」と言っていたことを思いだした。これがきっとひまわり油なのだろう。しかし、いつになってもこの臭いと味に慣れることはないと思った。
肉は350グラムくらいある。硬くてパサパサしているが、味自体はいい。ソ連旅行記で、「レストランで出る肉は、不味くて食べられない」という話を読んだが、そんなことはない。この食堂車で出た食事のレベルはトータルでかなり高い。デザートにアイスクリームが出てきた。乳脂肪分がかなり高い濃厚なアイスクリームだ。スグリのジャムがかかっている。このジャムが酸っぱい。甘いアイスクリームが酸っぱいジャムとよく調和している。アイスクリームに少し遅れて紅茶が出てきた。金属のホルダーにきゃしゃなガラスのコップが入っている。熱湯を注いだようで、熱くてすぐに飲むことはできない。レンガのような長方形の角砂糖がついている。角砂糖を紅茶に入れるが、なかなか溶けない。社会主義国の砂糖は、なぜか溶けにくい。西側と製法が異なるのだろうか。
すっかりお腹が一杯になったので、ウエイターに伝票を頼んだ。6ルーブルちょっとだ。日本円にすると1620円強だが、この内容からするとかなり安い。もっとも毎食、こんな調子で食べていると、日本に帰る頃には、体重が10キログラムくらい増えてしまう。こういう食事は、1日に1回とればいい。あとはサンドイッチやスープで、空腹を紛らわせばいい。いろいろ考え事をしながら、紅茶を2杯飲んだ。

佐藤優『十五の夏』より