たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『十五の夏』その6:旧ソ連

レストランの「品切れ」についてあれこれ思い出してしまった。
田舎の新興住宅街に引っ越し、チョイスがなくて2日連続同じ中華料理屋へ行き、1日目のカレーがまあ無難だったので2日目も頼んだら「ライスがない」と言われたこと。
ファミレスでバイトしてたときも、ご飯が間に合わない事態はほんとにやばかった。

欧州某国の駅のカフェでバイトしていた家族は、永久に直らないホットチョコレートマシンがあったと言っていた。だったら、メニューから下げりゃいいのに、寒くなるとワクワクした表情で「ホットチョコレート」と言ってくるお客さんに断るのがつらかったと。
最近はマックのマックフルーリーマシンの故障頻度の高さが商取引違反ではないか、と調査が入っておりましたな。

車掌が4つ紅茶を用意してきた。それに紙で包装したビスケットだ。朝食の代わりに配っているようだ。紅茶には、食堂車で出たのと同じレンガ形の角砂糖がついている。紅茶に入れてみたが、なかなか溶けない。ビスケットを口に入れてみた。そこそこ甘いが、バターやミルクがほとんど入っていない。素朴な味がする。ソ連の菓子類も悪くないと思った。
車掌は、「あと4時間でキエフに着く」と言った。いよいよ本格的なソ連旅行が始まる。
(中略)
キエフに着く30分くらい前に、初老の男性がトランクからウオトカの瓶とショットグラスを4つ取り出した。僕の道中無事を祈って乾杯しようと提案しているらしい。この提案は断ってはいけないと思い、4人で乾杯してウオトカを飲み乾した。

「飲み物は何にしますか」とウエイターが尋ねた。
「コーラにしてください」
「ペプシは切らしています」
「何がありますか」
「ガス入りのミネラルウォーターがあります。それからモルスもあります」
「モルス? クワスではないのですか」
「クワスではありません。モルスはクランベリーのジュースです」
正確に言うと、モルスはジュースではなく、クランベリーやコケモモを発酵させた液体にシロップと水を加えて作るロシア独特の飲料だ。
「モルスとミネラルウォーターを持ってきてください」
「冷たい前菜は何にしますか」
「どういうメニューがあるかよくわかりません。何か勧めてください」
「蟹のマヨネーズがけ、肉類の盛り合わせはいかがでしょうか。おいしいですよ」
「それでお願いします」
「温かい前菜は何にしますか」
「温かい前菜?」
「まず冷たい前菜、それから温かい前菜が出てきます。マッシュルームのジュリアンと、蟹のジュリアンがあります。冷たい前菜で蟹をとっているので、マッシュルームのジュリアンをお勧めします」
「ジュリアンとは何ですか」
「マッシュルームにサワークリームとチーズをかけてオーブンで焼いたものです。おいしいです」
「それをお願いします。ボルシチを注文したいのですが」
「残念ですが、夕食でスープは出ません。明日の昼、来てください。おいしいボルシチを用意します。メインは何にしますか」
「キエフ風カツレツをお願いします」
「残念ながら、今日は鶏肉が切れています。チョウザメのムニエル、フィレステーキ、レニングラード風カツレツがお勧めです」
「レニングラード風カツレツとはどんな料理ですか」
「見た目はキエフ風カツレツに似ています。中身は鶏肉、牛肉のミンチにキノコが入っています」
「それでは、レニングラード風カツレツにしてください」
「コーヒーとアイスクリームはいかがですか」
「紅茶とアイスクリームにしてください」
「わかりました」と言って、ウエイターはキッチンの方に行った。
相変わらず音楽はうるさく鳴っている。これでは落ち着いて話をすることができない。もっともロシア人は、耳元で囁きながら会話をしている。ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」が何度か流れた。ソ連では人気がある歌のようだ。
ウエイターはすぐにミネラルウォーターとモルスを持ってきた。ミネラルウォーターは少し塩からいが、モルスは甘さが控え目でおいしい。
15分くらいしてウエイターが冷たい前菜を持ってきた。蟹は、缶詰を開けただけのシンプルなものだ。脇にマヨネーズがついている。肉の盛り合わせの皿には、牛タン、サラミソーセージ、ハム、それに白い得体の知れない脂肪のようなものがのっている。
「これは何ですか」と脂肪のようなものを指して尋ねた。
「サーロです。豚の脂身のハムです。ウクライナの名物です」とウエイターが言った。小皿にからしとホースラディッシュが山盛りになっている。
「サーロにはからし、牛タンにはホースラディッシュが合います」とウエイターが言った。まず、何もつけずに蟹を食べてみた。日本の蟹缶と同じ味がする。タラバガニだ。歯ごたえのあるおいしい蟹肉だ。恐らくオホーツク海で獲っているのであろう。マヨネーズは、日本製のものよりも、色が薄い。恐らく卵の黄身の色が薄いのでこうなるのだろう。味も少し癖がある。ひまわり油を使っているせいだと思う。
肉の皿から、恐る恐るサーロをとってみる。からしを少し付けて食べてみる。マグロのトロのような味がする。豚肉の脂身とは思えないおいしいハムだ。肉料理は、サラミソーセージだけは、ハンガリーで食べたものの方がおいしかったが、それ以外はここで食べたものが今回の旅行でいちばんおいしかった。ソ連は思ったよりも食事がおいしい。パン皿には黒パンと白パンが山盛りにされている。球状になったバターが小皿の上にのっている。バターは無塩だ。黒パンにバターを塗ってハムをのせてオープンサンドイッチにしてみた。なかなかおいしい。
次にマッシュルームのジュリアンが出てきた。底の深い小型フライパンが2つ出てきた。そばに小さなスプーンがついている。チーズの少し焦げた芳しい香りがする。見た目はグラタンのようだ。食べてみると、薄味のマッシュルームグラタンといった感じだ。
前菜が出てから30分ほどしてメインが出てきた。レニングラード風カツレツだ。見た目はサツマイモのような形をしているが、キノコ入りのメンチカツだ。付け合わせは、油で炒めたジャガイモだ。炒めるというよりは、低温で揚げたという感じで、べたべたしている。レニングラード風カツレツは特に珍しい味ではないが、不味くはない。ただし、前菜の量がかなりあったので、半分残した。ジャガイモンにはほとんど手をつけなかった。
続いてアイスクリームと紅茶が出てきた。アイスクリームにはスグリのジャムがたくさんかかっている。紅茶には、角砂糖がついてきたが、なかなか溶けない。
ずいぶん食べたので追加料金がかかるかと思ったが、ウエイターは「食券で十分賄える額です」という。この調子では、ソ連滞在中にルーブルを使うことはほとんどないようだ。

昨晩、たっぷり食べたので、お腹はまったく空いていない。当直に頼んで、コーヒーをいれてもらった。インスタントコーヒーだがなかなかおいしい。ソ連のインスタントコーヒーは、日本やアメリカのものよりもずっと濃い。ソ連のコーヒーが、トルココーヒーに近いので、人々が濃いコーヒーを好むのだろう。

「飲み物は何にしますか」とワロージャが尋ねた。
「昨日飲んだモルスがおいしかったです」
「それじゃ、モルスを頼みます。ミネラルウォーターはいりますか」
「お願いします。ただし、炭酸の入っていない水はありますか」
ワロージャはロシア語でウエイターと話していた。
「残念ながらありません。炭酸が入っていないと、水道水しかありませんが、お勧めしません」
「わかりました。モルスだけでいいです」
「昼ですから、メニューも少ないです」
「何がお勧めですか」
「首都風のサラダ(サラダ・スタリチュナヤ)とボルシチをお勧めします」
「ボルシチがあるのですね」
「昼間はレストランでも出ます。ボルシチの起源はウクライナです。このレストランのボルシチはおいしいので、是非試してください」
「お願いします」
「メインは何にしますか」
「何がありますか」
再びワロージャは、ウエイターとロシア語でやりとりした。ウエイターが「ニェット」と何回か繰り返し、首を横に振る。どうしたのだろうか。
「メニューにはいろいろ書いてあるけれど、フィレステーキ以外、メインはないということです」
「それじゃ、ステーキにしてください」
「その後は、コーヒーとアイスクリームでいいですか」
「そうしてください。こんなに注文して食券で払えますか」
「十分です」とワロージャは答えた。
ウエイターはすぐにモルスとポテトサラダと白パン、黒パンを持ってきた。ポテトサラダは人参、グリーンピース、キュウリ、鶏のささみ肉、ゆで卵が入って、マヨネーズであえてある。そして、細く刻んだ青草がかかっている。食べてみると、マヨネーズにひまわり油が使われているせいか、日本のポテトサラダとはだいぶ雰囲気が異なる。
「これがどうして首都風なのですか」
「ささみ肉や卵など、いろいろなものが入って、豪華だからです」
「このきつい臭いのする青い草は何ですか」
「英語で何と言うかわかりませんが、ロシア語ではウクロプと言います」
どうしてもこの草の名前を知りたいので、アタッシェケースから露和辞典を取り出して、ワロージャに渡した。<укроп(植)ういきょう>と書かれた部分を示した。
「日本語でも何のことかよくわかりません」
「日本人はウクロプを食べないのですか」
「少なくとも僕は食べたことがありません」
「ウクライナでもロシアでも毎日のように食べる青草です。アゼルバイジャンやグルジアでは、ウクロプが皿に山盛りになって出てきます」
あまりに強烈な香りがするので、この青草を除けて、僕はサラダを食べた。
「ウクロプは嫌いですか」
「嫌いというよりも、慣れていないという方が正確です」
「それでは、ボルシチにはウクロプを入れないように頼んでおきましょう」
そう言って、ワロージャはウエイターを呼んで、ロシア語で指示をした。しばらくして、ステンレス製の小さな洗面器のような器に入ったボルシチを持ってきた。そのまま飲むのかと思ったら、スープ皿に移し替えた。ウエイターは、ワロージャのボルシチの上だけにウクロプを振りかけた。そして、小皿に揚げパンを置いていった。
「これは何ですか」
「パンプーシュカという、ウクライナのパンです。ニンニクのソースがかかっています。食べてみてください。ウクライナでは、ボルシチにはパンプーシュカが必ずついてきます」
揚げパンにニンニクソースがかかっている不思議な味のするパンだ。ボルシチはビーツがたくさん入っているせいか、赤紫色だ。ビーツの影響でかなり甘い。それにニンニクがかなり入っている。
「ワロージャ、ニンニクがだいぶ入っていますね」
「嫌いですか」
「そんなことはありません。日本でボルシチを飲んだことがありますが、ニンニクは入っていませんでした」
「このレストランのボルシチはおいしいです。メインが出てくるまでに、少し時間がかかるでしょうから、午後の観光コースについて説明します」とワロージャは言った。
(中略)
しばらくして、ウエイターがステーキを持ってきた。ポーションは思ったよりも小さかった。揚げたタマネギが山ほどステーキの上に盛ってある。肉は硬いが、味は悪くない。ただし、パンプーシュカを食べたので、お腹がいっぱいだ。ステーキを半分くらい残し、デザートのアイスクリームは2匙くらいしか食べることができなかった。

佐藤優『十五の夏』より