たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

犬養道子『セーヌ左岸で』

10年以上ぶりに再読。内容が古い部分も多々あり、電子版も出なさそうなので捨てられない1冊である。

クレープやタルトに説明が必要だった70年代。表記のゆれに鷹揚なのがすごくいい。
artという語を日本語一語では表せないことを示していて共感する。(「芸術創作品」も決してぴったりだとは思わない。技巧とかコツとかハックとかのニュアンスがない)
訳語といえば、今マグカップやカフェボウルを「丼」と訳したらNGがくるだろうな...。間違いなくどんぶりの一種なんだけども。
私が子供のとき読んでいた本は普通に「おさじ」と書いてあって、自分は使わない言葉でも大して気にならなかったけど、これも微妙かな。

「バタ」「メニュウ」表記がすごく好きなのは、『暮しの手帖』もそうだったから。近刊は知らない。アップデートしてしまったかもしれない。
私が新卒で就職したときは人事の方が「メイル受け取りました」と書いてきたのが忘れられない(さすがにEメールです、念のため)。

親しいパリジェンヌの台所には、ひいばあさん以来の、日本でならさしずめ文化財になりそうな、地方の旧庄屋邸にでも行かぬことにはお目にかかれぬ旧式ストーブがおいてある。オーブンといっても、石をくりぬいた穴で、昔は下から火を焚いた。いまはさすがにガスを下にひきいれた。
そういう「旧式の火」で、彼女は極めつけの台所をつくる。鴨のオレンジ煮。仔牛のブランケット。(フランスの家庭料理の王さまみたいなもので、卵の黄身入りソースで煮込む。)シャンピニオン(きのこ)入りのクレープ(うすいパンケーキ。オードブル用)等々。ジャムもパイも。
ナベもひいばあさんの使ったおそろしく重いナベがいくつか。すっかり黒ずんだ木の杓子。昔ながらの俎板。包丁。香料はみな生きた草や木の枝。

そのとき私は、もう30年もの大昔、中国の蘇州に行ったときのことを思い出した。
「月落ち鳥啼く寒山寺」から、家鴨追う少年の襤衣のことのほかあざやかに見える蘇州運河のほとりに出て、中国の食通が、「ここ」と言った料理屋に入った。そのとき食べた、あの複雑な、「格調高い」味の数々は忘れない。ところが手洗にゆく途中、台所を通らねばならなくて、ぐるりと見まわしておどろいた。台所とは名のみ。要するにボンボンと薪を燃す「火」が2つ3つあるだけで。支那ナベと蒸器。他には板1枚の調理台。水は外まで汲みにゆく。不便とも何とも形容出来ないその土間から、数十種類の蘇州料理がつくり出されるのであった。

「これは米で育ったナントのトリでね」「こいつは麦で育ったボース(北フランスの平坦な野)のヤツで」「こいつはノルマンジイの海辺の黒いヤツ」「どれにするかね、料理によるが」
まだ首もトサカも蹴爪も、羽もついたままのをぶらさげて、4羽、ポンと台の上においた。
はじめてパリでトリを買いに行ったときのことである。
試験をされている、と私は感じてヒヤリとした。トリやは4羽を台の上においたまま、じっと私を見ている。
ここで落第したら、こんご、いいトリは売ってもらえないと真剣にためつすがめつ、私はノルマンジイの黒の雄鶏をえらんだ。若いのじゃ駄目だ、と言った、「葡萄酒で煮込むんだから」
どうやら試験に通ったようであった。トリやは急におしゃべりになった。少しかたくなった雄を、45分、からくちの赤葡萄酒で煮込んだヤツは大へんよろしい、ナントの米育ちの雄は葡萄酒にあわんのだ、米と白ソースで煮こむのはうんと老いてなくちゃまずいし、などとも。つまり、老いも若ドリもどんなトリでもこなすのである、フランス料理は。
いつのまにか台の下から、古くさい型のガスコンロをひっぱり出して、おしゃべりをしながらむした羽あとの毛を焼いた。
「蹴爪と足は切るかね」「頭も入れておくかね」
一々聞く。
「毛根はのこしておく。その方がうまい」
こういう売り方をまだ大都会でするのである。(丸一羽で邦貨500円であった。味はすばらしかった。)
「ナベの厚さはどのくらいかね」
「1センチ」
「鉄製かね」
「いいえ」
「じゃ、45分といったが、1時間煮なさい。いいおそうざいが出来ますよ、請けあいだ」
うさぎも、毛のついたまま売っている。
からし煮もいい、トマトときのこと白葡萄酒で煮こむのもいい。内臓はぜんぶ、べつの大御馳走になる。うさぎの内臓のパテは天下一品だ。
豚の大腸の皮だけ売るのもある。これはくさみをぬいて、酒や香料をいれて煮るとけっこうおいしい。そして安い。牛の小腸の皮の煮込は私の好物の一品である。
牛や仔牛の脳味噌はお豆腐そっくりで、フライによし、ソテーによし。仔牛のあたま全部、煮こむ料理もある。尻尾ももちろん、貴重な素材だ。血液が土台になる料理もある。棄てる部分は毛と皮革とひずめと歯の他、皆無なのだ。トリを全部の骨までやわらかくしてしまう料理さえもくちばしと爪しかのこらない。

フランスのふつうの家の夕方のスープに欠かせないのが、じゃがいもと長ネギを水煮にしてうらごししたかんたんな―――しかし飛び切り美味な―――スープである。皮ごと煮て、皮だけうすくはいで―――めんどくさければそれもしないで―――うらごしするのだ。それが出来なくなって皮を一々むくとは一大事である。
レタスやチコリや二十日大根には泥と虫がいっぱいまだついて売られているこの国で。
すっぱい小さいりんごはタルトとよばれるフランスならではのパイ菓子用。日本のように「甘くさえあれば」「大きくりっぱでさえあれば」は、この味の国では通用しない。1個千円の化けものリンゴなど生まれるべくもない。もののすっぱさやほろにがさなどが、香りと共に、さまざまの料理を生み出すのであって、日本のりんごのように(国光や虹玉のあのすっぱさこそ、りんごの味なのに!)デリシャスだなんだと甘くつくってしまっては、おいしいりんご菓子は出来なくなる。
いちごは不ぞろいで、粒みたいな小さいのも一口に入らぬ大きいのもコミで売られるが、台所におくだけで、いちごの香りがただよって来る。フランス人は、日本の「見たところはすばらしい」いちごを好かない。香りが不足だからである。
栗はフランスのはかたくてまずい。それをうまく食べるために、マロングラセというものを発明したのである。

3人の幼い子供を持って、共かせぎで週に6日は家にいないという私の友人のフランス人は、ひるの休みに飛んで帰って、粉をねって寝かしておく。夕方帰って、「ちょうどほどよく寝た」粉で、飛び切りのデザートをつくる。大学で教え、いまは大作にとりかかっているひとりの友人は、大忙しのさいちゅうでも、「ほっと一息いれておいしいものを友人と食べるためには」手間を惜しまない。きのこは買ったらすぐ処理する。皮をむき(フランス人はマシュルームの皮を必ずむく)熱湯に酢をいれたものの中で、「きっちり2分」ゆがいて、「ていねいにさます」。原稿を書く間にちょっと、それだけするのである。
「そんなことぐらいで頭の中がみだれるようじゃ、仕様がない」。半熟卵をつくる(フランス人は夕食によく半熟を使う)ときは、夜食8時として4時には卵を冷蔵庫から出して室温にする。冷蔵庫内の気温を2度下げたときは、3時半にくりあげる、など気遣いはこまかく、原稿用紙を台所にもちこんで、アブクをちょいちょいとりながら、4時間煮こむ料理の火かげんを見る。6、7種類の香料草をベランダで育て、ていねいにきざむ。パンは、どんなに忙しくても、食べる量だけその都度(半分とか1本とか)食事直前に走って買って来る。ひま人でない女たちが、そのくらいの手間はかける。なぜなら、愛するフランス文化の一端がフランス料理だから、であり、母から子へと手間ひまもろとも教えてつたえる価値十分のart(芸術創作品)であるとともに、手間の中にこそ、たのしみ―――つくるたのしみ―――を見つけ、感覚のこまやかさが育てられるからである。

パリ人のごくありふれた1日のメニュウ(家庭で)

カフェ・オ・レ(暖めたミルクとコーヒー半々、これは特別の丼でのむ)
クロワッサン(バタもジャムもないのが本式)
昼(正餐)正午~1時
葡萄酒(ボルドー赤)
(前菜)クリュディテ=生野菜(にんじん、きゅうり、トマト、ピーマン、赤キャベツ、二十日大根などのヴィネグレットあえ盛皿)
(メインコース)バフ・ブルギニオン(牛肉―1人当り300グラム程度のかたまりを、ブルゴーニュ葡萄酒で煮こみ、きのこ、玉ねぎ、ブーケ《香料花束》、にんにく等を入れたもの)。つけあわせは煮じゃがいも)。
(サラダ)日本にあるレタスは使わない。サラダ菜。パセリ、ヴィネグレットソース。
(デザート)
1コース=チーズ(これは不可欠のデザート)
カビの生えたロックフォール、カマンベール、山芋の白いチーズなど
2コース=ショコラ・ムス(あわだてチョコレートクリーム)
コーヒー(クリームを入れない濃いのを少量。朝のとはコーヒー豆がちがう)
夜 8時半~9時(老人などはヨーグルト、果物だけという人も多い)
たいていスープ(残り野菜ぜんぶ入れたものが多い)
チーズのスフレか半熟卵か、大へんかるい(客があっても正餐の昼食よりずっとかるい)
サラダ菜とパセリのサラダ
ヨーグルトまたは果物
葡萄酒はボージョレのロゼーなど

この原稿をかいた日の私の自宅のメニュウ

カフェ・オ・レ、いちご

ラディ・ブール(二十日大根大皿1杯に上質の無塩バタをちょっとつけてたべるフランス風のオードヴル)とうさぎのパテ
ブランケット(仔牛ときのこをベシャメルソースで煮こんで黄身をいれたもの)
アリコ・ヴェール(いんげんのソテー)
アンディーブとパセリのサラダ
山芋のチーズとロックフォールチーズ
自家製ヴァニラアイスクリームにリキュールをかけたもの
コーヒー
葡萄酒(サンセールの白)
夜 9時(フランス人の友達ひとりと)
アーティショ・ヴィネグレット1人1個ずつ(朝鮮あざみの果をゆでてドレッシングで食べる)
ジャンボン・ド・パリ(パリ名物の上等のハム)1人2枚ずつ
チーズの皿(グリュイエール、ピレネー、カマンベール、粒コショーで包みこんだブルサンチーズ、山羊チーズ)
くだもの (1) いちご、さくらんぼ、バナナ、グレープフルーツをバスケットに盛る
くだもの (2) プラムの煮こみ(ラム酒入り、これは最上の整腸薬)
葡萄酒(シャト・ド・バブの赤)

費用は仔牛1キロ、肩肉で邦貨750円くらい。ブルギニョン用牛肉が1キロ300くらいで約800円。グレープフルーツ1個40円~50円。いちごが500グラムで300円位。(1974年12月しらべ)
食は家でフランス風にたべる限りフランスはドイツより安い。
野菜、果物が大農業国ゆえ信じがたいゆたかさで、したがって安い。拡大ECの中で、万一のとき、輸入なしで食べてゆかれる唯一の国はフランスである。そう思って隣国ドイツを眺めれば気の毒である。海洋を持たぬ固い氷河土のあの国は、じゃがいもとソーセージ(保存食)と「酢づけキャベツ(保存食)」の他、つい最近までは、冬の新鮮な食糧にこと欠く国であったのである。

犬養道子著『セーヌ左岸で』