たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

「光文社古典新訳文庫」誕生を支えた飲み会

いつもお世話になっている文庫のできるまで。出版論として、古典論として、何より翻訳者・文学者・出版人のエピソード集として大変面白かった。
亀山先生は、学長を辞した後に来賓として来られた同窓会の地方支部でロシア民謡を歌っていらしたので、この本で書かれた翻訳者を口説き落としたり、校正を重ねたりするときの数多のお茶会、飲み会、食事会の様子は容易に想像できた。パンデミックの間だったらできなかったんじゃないかしら。

そういえば、あの同窓会のときは「テレビで亀山先生のお話を聞いてお会いしたいと思った」と言いながら同窓生の連れ合いの方もいらしていたなあ。

モスクワでも食事くらいは簡単にできるだろうと高を括っていました。これが大きな間違いでした。ここが社会主義国であることを忘れていたのです。私営のレストランなどありはしない。有名なプーシキン像を横目で見ながらも、『スペードのクイーン』に思いを馳せるどころではなく、早く何とかしなければと焦り始めていました。(中略)
ホテルに戻って係員の不愛想な対応に苛立ちながらも取材を重ねると、16階にミニバーがあり何か食べられるかもしれないことが分かりました。藁にもすがる気持ちでそこへ行くと、確かに干からびた小さなハムが載ったパンが二切れ残っています。その日の夕食でした。翌日から食事の確保が最大の課題になりました。この話を亀山郁夫さんはじめロシア文学者に披露した時、「よく分かるよ」と言ってくれたのでほっとしました。

ウォッカがグラスに注がれ、乾杯が繰り返されます。つまみはチョコレート。ソ連に来て初めて人間と話している。(中略)ソ連では外国人と接触しただけで、逮捕される可能性があると読んだことがあったので、こんなことをして大丈夫ですかと聞くと、男たちは「ペレストロイカ」だからと言って笑いました。

さらにヴェネチアにまで足を延ばし、サン・マルコ広場にあるゲーテやバイロンが立ち寄ったというカフェ・フローリアンでコーヒーを飲みました。

夕方の5時を回った頃でした。突然、浦(雅春)さんが「もういいだろ、もういいだろ」と言いながら、私たちの背後に回ったのです。そこには小型の冷蔵庫がありました。怪訝な顔をする私たちを、いたずらを見つけられた子供のような顔で振り返るとおもむろに冷蔵庫の扉を開けたのです。そこにはぎっしりと缶ビールが蓄えられていました。浦さんはうれしそうにそれを取り出します。
「さあ、仕事の話はもういいだろう。飲もう、飲もう」
そう言って缶ビールを差し出すのです。私たちは浦さんの研究室が通称「浦バー」と呼ばれていることを知りませんでした。(中略)
研究室を辞したのは11時近かったと思います。空腹のままで飲み続けたので、最後の方は記憶がまだらでした。
渋谷に出て焼き肉屋に入り、皆で飢えを満たすようにがつがつと深夜まで肉を食べ続け、浦さんに今晩の御礼にビールと一緒にたくさんのつまみセットを送ろうという話をして盛り上がりました。

堀口大學が翻訳に関するエッセイ「翻訳こぼれ話」(『日本の名随筆 別館45 翻訳』別宮貞徳編 作品社)で書いていますが、昔は「彼はトーストにバターを塗って食べた」と訳すことができず「彼は焼麵麭に牛酪を塗って食べた」とした時代があったといいます。これは日本人の生活に西欧のスタイルが取り入れられる前のことだからです。以前はクロワッサンなど食べたことがない日本人が普通でしたから三日月パンと訳しましたが、いまはパン屋さんで普通に売っているし、幼児でも知っています。

駒井稔著『いま、息をしている言葉で。 「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』より