たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

林真理子著『奇跡』

こうして見ると「大層」まつりである。密林のレビューを見る限り、『李王家の縁談』的失敗作なのは十分察せられたのにやはり買ってしまった在外邦人。

ともあれ、書き下ろしのできる体力はすごいと思う。

2人きりになると、ぎこちなさが2人をつつんだ。鮨屋でよかったと思う。その店は、田原が日本に居るあいだ、しばしば通うところで、愉快な大将がカウンターの向こうで鮨を握る。田原は大将と軽妙な会話をかわしながら、大好物の鮪を次々とつまんだ。この店は田原のためにだけ、最後に特別の素麺を出してくれる。その素麺は出汁がきいていて大層おいしかった。初めての店であったが、博子はすっかり感動していた。熟成した鮪のおいしさもさることながら田原の食への知識とこだわりが格別だったからだ。日本とフランスとの、魚に対する調理法の違い、スシがフランスの食文化に与えた影響を、田原はさりげなく語ってくれたのである。

3人で過ごすパリは大層楽しかった。田原は清之助をパリのあちこちに連れてまわった。オペラ座では荘厳な建物を見せ、装飾のいわれをひとつひとつ説明した。焼きたてのクレープに焼き栗。大観覧車にも乗り、歓声をあげた。
(中略)
クリスマスには3人で左岸のデパート、ボンマルシェに買物に出かけ、総菜やワイン、シャンパンをたっぷりと買った。スタッフを交じえてのにぎやかなイヴの晩餐。
「フランスでは、このくらいの子どもにもワインを飲ませるんだよ」
と田原がグラスを近づけ、博子が本気で止める姿に皆が笑った。

やがて箱根の山々は薄闇に包まれる。2人で料理を始めるが、これも大層楽しかった。ワインをちびちび飲みながら田原は、パリ仕込みの鶏のローストを天火に入れ、博子は地の野菜でサラダやラタトゥイユをつくった。
皿を食卓に並べると、ワインを新しく開けて長い夕食が始まる。ヨーロッパ生活の長い田原にとっては、3時間ほどかけてゆっくり食事をとるのがふつうだった。

2013年、2人は冬のパリに向かう。老舗のホテル、ルテシアのレストランで牡蠣を食べた。牡蠣は田原の大好物だ。冷えた白のブルゴーニュと合わせ、いかにも慣れたパリっ子らしくすすっていく。

個室に入院した田原は、小さなキッチンでシャトーブリアンを焼く元気さだった。

200人以上の招待客にはあらかじめメインディッシュの料理を何にするかアンケートも取り、ピジョンと牛フィレ、そして魚料理から選んでもらった。

晩餐会のすぐ後の頃、私は博子から自宅に誘われた。北海道から素晴らしいラムが届くから、食べにこないかというのだ。
目黒にある自宅に初めて行った。庭では田原と清之助がバーベキューをしてた。どう見ても仲のいい親子だ。ワンピース姿の博子はリラックスしていて表情も晴れやかであった。
夕食は私を含めて6人ほどのこぢんまりしたもので、シャンパンやワインが次々と抜かれた。ラムも大層おいしかった。

毎日田原の好きな食べものを持って病院に通う。それは、手づくりのコンソメスープだったり、葛を使ったさわやかなゼリーだったりと、とにかく田原が口に入れそうなものはせっせと運んだ。

林真理子著『奇跡』より

奇跡

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