たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『護られなかった者たちへ』の娑婆の食事

Kindle Unlimitedのおかげで出会えた小説と作家さん。Kindle Unlimitedは、Officeを除けば私が一番長く契約しているサブスクである。もちろんくだらない作品もたくさん読まされてきたが、『さよならタマちゃん』はじめ、Unlimitedなしでは絶対に巡り合えなかったであろう秀作の方が多い。光文社新古典文庫もほぼ読み放題でありがたすぎる。数ページでも読んだらその分だけスズメの涙ほどであっても著者にインセンティブが入るというのもいい。そこ大事。

チン。
低いテーブルに湯気の立つチャーハンを置き、小さく「いただきます」と呟く。結婚してからの習慣だが、1人で食べるようになっても自然に口から出てくる。

結局、利根はオムライスとペットボトルの緑茶を購入した。2品合計で523円。財布の中には1万円札が1枚、千円札が3枚しかなかった。
店の駐車場が広かったので、利根は車止めに腰を下ろしてオムライスの蓋を開けた。店員の「温めましょうか」という問い掛けに一も二もなく頷いてしまったが、容器の底から伝わる熱が、今は有難いと思えた。
ひと口頬張ると、焼いたタマゴの甘さとケチャップの酸っぱさが口中一杯に広がる。あまりの美味さに涙が出そうになる。塀の外で食べるものは、どれもこれも味が濃厚だったが、これはまた格別の味がする。この数年間口にしたものはいずれも低塩分低カロリーで、飯と汁は冷めたものしか出なかった。刑務官は健康にいいとほざいていたが、この刑務官は一方では囚人たちを<性根の腐った野郎たち>と蔑んでいた。性根が腐ったヤツらが健康になっても、意味がないではないか。
最後のひと口を緑茶で流し込むと、ようやく人心地がついた。

「そろそろ夕飯だ。カレーでいいかい。チョンガーの手料理だが」
「こっちで食べるものなら何でもいいです」
「舌が濃い味に餓えておるんだろうな。慣れてきたら、わしの作るもんなんぞ食えたもんじゃないぞ。ジャガイモの皮は剥けるか」
「下ごしらえくらいなら何とか」
「そりゃ頼もしい。いっそ旋盤工じゃなくて料理人でも目指すか」
(中略)
人参の皮を剥き終わった櫛谷は、次に玉ネギをみじん切りにしていく。
(中略)
利根は剥き終わったジャガイモを無造作に切り始める。一方、櫛谷は刻んだ玉ネギをフライパンで炒め始めた。周囲に飛散した玉ネギの成分が眼球を直撃する。じわりと涙が溢れてきた。

カンちゃんの握る包丁の音はどこかたどたどしかったが、しばらく聞いているとそれなりに心地良い。
「はい、お待たせしましたー」
2人がかりで起こしてもらい、利根は布団の上で食事を摂る。盆の上にはコロッケとキャベツの千切り、それに味噌汁がついている。
「そのコロッケさ、タイムセース品で1個50円の激安価格なんだけど、駅前のお肉屋さんのだからちょっとすごいんだよ」
年に似合わぬ所帯染みた言葉を聞きながらひと口齧ってみて驚いた。確かにこれが50円とは思えない。衣はさくさくしていて、中身はふわふわと柔らかい。付け合わせのキャベツが不揃いなのはご愛嬌だ。

「あれっ。それ、駅前の肉屋さんの袋じゃない」
カンちゃんが横から袋をかっさらい、早速中身を検める。
「メンチカツじゃない。勝久兄ちゃん、奮発したね」
「1個200円だった」
「3個あるってことは、勝久兄ちゃんの分も用意しろってこと?」

我ながら話の流れをまずくしたと反省しながら、利根は台所へ急ぐ。空腹だと人の心は荒む。1杯のスープとひと口のラーメンがあれば、少しは心にも身体にも余裕が生まれるはずだ。

中山七里著『護られなかった者たちへ』より