いつからか積ん読になっていたのだが、本を減らしたいと思い苦痛を乗り越えて読みきった。こういう微妙な雑談が長い翻訳講師いる。縦書き・横書き考は収穫。
父親は釣りが大好きだったが、釣って帰った魚はよく自分でさばいていた。そしてそのうち、息子にさばかせるようになった。というわけで、フナ、ハヤといった川魚から、チヌ、メバル、ベラ、ブリ(さすがにこれは釣れない)といった海の魚まで、息子はしっかりさばけるようになっていった。もちろん、タコ、イカもさばけるし、カレイの5枚おろしもOK。ついでに包丁も研げる。
父親はすき焼き、ちり鍋といった鍋物だけでなく、いくつか得意料理を持っていた。たとえば、ハヤの南蛮漬け、牛肉の醤油煮込み、ウズラの串焼き、味噌うどん炒め、タラの真子の煮付け、きんぴら、バラ寿司、などなど、あの頃の男性のなかでは、かなりレパートリーは広かったと思う。もちろん失敗も多く、白菜の漬け物を、ポリバケツに3杯ほどつくって、すべて腐らせたこともある。(中略)
とにかくうちの父親は、客を呼ぶのが好きだった。次々に客を呼び、料理を出し、酒を勧めるのが大好きだった。そして「うまかった」とか「ありがとう」といわれるのがなにより嬉しかったらしい。
そんなわけで、息子もその血をついで、客を呼ぶのが好きで、料理をするのが好きになってしまった。浪人の頃、受験勉強で忙しいはずなのに、鶏を1羽ゆでては友達を呼んで食べていたし、大学院の頃もよく仲間を呼んではパーティを開いた。たとえば、そのメニューは次のような感じ。
- イカの塩焼き、クラゲの酢の物、ブタのレバーの煮付け、豆腐干とハムのサラダ
- 挽肉に香料などをまぜて練り、薄焼き卵で巻いて、蒸し上げたもの(蛋捲肉 タンチュアンロー)
- スープ(コーンポタージュ、あるいはコンソメ)
- 鶏を1羽そのまま蒸したもの
- ブタの角煮
- チャーハン
- 長芋をすり下ろした衣で胡麻餡を包んであげた、饅頭。
なぜか中華が多かったが、そのほかにもいろいろ試したことがある。
(中略)
そしてもうひとつ考えるのだが、息子の翻訳好きは、やはり喜んでもらいたいというところからきているらしい。自分が読んでおもしろかったものを、他人に勧めて、読んでもらって「よかった!」といってもらう......それが嬉しい。
金原瑞人著『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』より
金原ひとみ氏の実父であることはごく最近知った。