たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

富士日記(56)私もごめんなさいと言わない

来訪者にパイナップルとコンビーフの罐詰をあげて喜ばれる、というのは微妙に戦時中っぽい。

8月22日(日) 快晴
朝食 麦飯、味噌汁(大根)、炒り豆腐、焼肉、いんげんと玉ねぎ中華風サラダ、切干大根とあぶらげ炒め煮、桃。
夕食 早めに、焼きにぎり、さけ。
6時頃、ホットケーキ。
(中略)
4時前、花子の早めの夕食、焼きにぎりと佃煮、味噌汁。私と2人で食べていると「俺にもくれ」と言うので3人とも焼きにぎりの晩ごはん。花子を送り旧登山道を上って戻る。
(中略)
焼きにぎりを食べたあと、一杯うんこが出て上機嫌となった。

2時頃より口述筆記はじめる。ブランデーをうんと薄めたのを飲みながらするので、私の鼻先はブランデーの匂いで二日酔気分。

朝 麦飯、牛肉と焼豆腐とねぎをすきやき風に。
(中略)
丁度終ったところへ海老原さんと都築さん現われる。メロン頂く。
ぶどう酒、ビール、東坡肉いんげん添え、いかと茄子中華風酢漬、チーズとくんせいのさけ、とりひき肉揚団子、春巻。
主人昼ぬきなので、よく食べる。子供のように食べる。7時半か8時頃まで歓談。

今日は一日、昨日の残りの料理を食べている。原稿が終ったので、主人はおだやかな顔をしている。私が酔っぱらったことを言わない。私もごめんなさいと言わない。
夕食 かけそば、メロンを食べる。

私、かにコロッケ、ごはん、とてもおいしい。
主人、えびフライ、パン。
ビール1本飲む。「トラ、おいしいか」と、私の顔をみて訊く。「これを食べたあと、もう1回かにコロッケをとって食べたい」と食べながら言うと、「ものの限度をわきまえない人はやっぱりトラだ」と笑う。何年か前、大岡夫妻とここにきたとき、大岡さんがおとりになったフライ料理が一番まずくて、ぼやきながら食べていらっしゃったことなど思い出して笑う。そのときは地元の養蚕業の家を訪ねて、奥様が蚕をみたらすっかり気分がわるくなって、その上、そのうちの人から紬など買ってしまって、奥様はコーヒーしか召上がらなかった。あのときのことを話しする。

久しぶりに牛乳にコーヒーをいれて、ケーキを食べる。主人、おいしそうに食べる。ケーキ、カステラの上に白いクリームとバナナがあるもの。もう一つのケーキ、カステラの上にコーヒーのプリンと白クリームがのっていて、その上にまた黒いプラムがついている。それを二つずつ食べる。タマは白いクリームを少し食べる。
夕食 麦飯、さんま塩焼、はす炒め煮、豆腐あんかけ汁、パイナップル。

9月2日(木) くもり時々晴
朝食 パン、スープ、トマトときゅうりとにんじんのサラダ、ハンバーグステーキ、じゃがいもからあげ、いんげんとキャベツ。
3時頃 やきいもにバターつけて食べる。牛乳コーヒー。
夕食 麦飯、納豆、味噌汁(なす)、サバみりん焼、ももとりんご。

朝食 主人はカレー南ばん、グレープフルーツ。
(中略)
夕食 麦飯、精進揚げ、きすとえび天ぷら、梨、りんご。
午後ひととき、河野多恵子「血の貝殻」前半読む。読み残しの谷崎賞候補作品を読まなくてはならないが、眼が疲れるから読んでくれというので。

主人、東京へ帰ったら重箱でおいしいうなぎを沢山食べると言う。

9月5日(日) 快晴のちうすぐもり
秋晴れとなる。
朝 花子と私、麦飯、ひじき、佃煮、納豆、のり。主人、あわもちの雑煮。
(中略)
5時頃、車が直ったので武田を乗せて大岡さんへ。上って、ビールとトマトと玉ねぎのかつおぶしのかかったのを頂く。鞆絵さんの婚家先の、熱湯で漬けたきゅうりの漬物。おいしかった。ここもストーブを焚いている。

3時にコーヒーを入れてケーキを二個ずつ食べる。主人「大岡にケーキを持っていってやれ」と何度も言う。のこりもののようで気がすすまないけれど、あまり言うので、持って伺う。大岡さんは新聞を1カ月で断わったので、新聞がこないから東京へ帰りたいとおっしゃっているそうだ。ケーキを差上げると、「大岡はこの頃甘いものが食べたくて食べたくて。タイやきを一度に二つも食べますよ。今日、イトーヨーカ堂の地下食堂であんみつを食べました」と奥様は話された。
帰ってきて、後藤明生「夢かたり」と「鼻」を読む。主人ねころんで眼をつぶってきく。
夕食 天ぷら。
午後9時近く庭を下りて来る一人でない足音がする。(中略)受取りの署名をしてパイナップルとコンビーフのかんを包んであげる。遠慮していたが、喜んで持って行く。

肉まんの素が残っていたので、豚肉をひいて椎茸とたけのこと白菜を入れて作ってみる。10個出来たので、4個ふかしたてを大岡さんのところへ持って行くと、黒い雨戸が閉っていて車がなかった。

後姿が軽くふらふらして見えたが、帰りはにこにこして、へそまん二折り買って先に乗りこんで来る。

帰京してから1週間ほどは、テレビをみたり、うなぎなど食べたり、洋服屋をよんで寸法をとって誂えたりした。

武田百合子著『富士日記』より