たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『日の名残り』夕食として申し分のないサンドイッチ

原書でしか読んだことのなかったイシグロの邦訳を初めて手にとって感激した。解説で丸谷才一が述べているように「土屋政雄の翻訳は見事なもの」。私は『アンネの日記』などの深町眞理子氏の翻訳が好きで書き取って勉強したりしているのだが、土屋氏のテキストもそこに加えたい。

その日、若いご夫婦のお客様があり、卿はあずまやでお2人をもてなしておられました。そしてそのあずまやへ、皆様お待ちかねの茶菓をお盆に山盛りにして進んでいったのが父でした。あずまやの前で、芝生は数ヤードの上り坂になっております。現在でもそうですが、当時も、ここの坂には4個の坂石が埋め込まれ、それが石段代わりに疲れておりました。父はこの石段を上りおわったところで倒れ、お盆にのせていたサンドイッチやケーキが、ティーポット、カップ、皿といっしょに石段近くの芝生に飛び散りました。

昨夜は、サマセット州トーントンの町はずれにある、馬車屋という宿に一泊いたしました。夕暮れの道をドライブしておりますと、道路脇に茅葺き屋根のこの宿が立っておりまして、鄙びたたたずまいがなんとも言えず魅力的でした。宿の主人について木の階段を上り、小さな部屋に案内されました。少し殺風景な感じがなきにしもあらずですが、一夜の宿としてはまずまずでしょう。夕食はすませたかという主人の問いに、私は部屋にサンドイッチを運んでくれるように頼みました。味も分量も、夕食として申し分のないサンドイッチでした。が、やがて、一人で部屋にいることにも飽き、なんだか落ち着かない気分になってきましたので、階下のバーでこの地のリンゴ酒でも試してみようと思い立ちました。
バーには5、6人の、近在の農夫であろうと思われる客が陣取っておりましたが、その一団を除けばバーはからっぽです。私は主人に言ってジョッキにリンゴ酒をもらい、一段からやや離れたテーブルにすわりました。

いま、ここにすわり、朝のお茶を楽しくいただきながら、昨夜はここに泊まったほうがよかったか、と考えているところです。外に出ている看板には、「お茶・軽食・ケーキ」と並んで、「清潔・静か・快適なお部屋」とも書かれております。この店は、マーケット広場のすぐ近くにあって、トーントンの大通りに面しています。1階が道路よりいくぶん沈んでいる建物で、重そうな黒い角材でできた外壁に特徴があります。私がいまいるこの喫茶室は、内壁にオーク材を張った広い部屋で、さよう、25、6人は十分にすわれるだけのテーブルを置いてありますが、それでも込み合った感じは少しもありません。カウンターには見事な出来栄えのケーキやパイが並び、その向こうに元気のいい若い娘が2人、客の注文をきくためにひかえています。
このように、朝のお茶をいただくには絶好の場所とも思われるのですが、トーントンの人々はここをあまり利用しないのでしょうか。

申し遅れましたが、当時、私どもは一日の終わりにミス・ケントンの部屋で顔を合わせ、ココアを飲みながら、いろいろなことを話し合う習慣ができておりました。

ミセス・テイラーは美味しいスープを出してくれました。それを堅パンといっしょにいただいている間、私はこれからどのようなことが起ころうとしているのか、つゆ知りませんでした。

産みたての卵にトーストという、ミセス・テイラーの心尽くしの朝食を食べおわりますと、約束どおり、7時半にはカーライル医師が迎えにきてくれましたから、昨夜のつづきのような困った会話が始まる間もなく、私は気持ちよくテイラーとご夫妻と———金銭的なお礼のことは、結局、聞き入れてもらえませんでしたが———お別れすることができました。

カズオ・イシグロ 土屋政雄訳『日の名残り』より

映画はなぜか、足を痛めたゲストが「バトラー、お湯と塩を」と言いつけるくだりしか覚えてないんだよなあ。ホプキンスの「品格」を見直したい。

日の名残り (字幕版)

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