料理をいやそうにいじり回す人(父親語では「アズる」という)と同じ食卓についていると落ち着かないのはよくわかる。
もちろん、食事は命にかかわることであっていろいろ事情もあるから絶対ジャッジはしないけど、アズっていることを相手になるべく気取らせないようにする手段はあるはず。
ジュリア・ロバーツの『ノッティングヒルの恋人』で、ベジタリアンだけど鳥料理に手をつけていないのがバレていない、というシーンがあって、ああいうふるまいが会食ではスマートだと思います。
それとも今のマナーでは「食べられません」というほうが思いやりになるのかな。
翌朝、私がダイニングに入るとすぐ、「おはよ。パン焼けたよ」と森宮さんはいつもより軽い口調で言った。
「ありがとう。うわ、おいしそう」
私はそう言って席に着いたものの、おいしそうって昨日と同じ食パンなのにうそくさかったかなと後悔したりした。合唱祭が2週間後に迫った夕飯後、森宮さんが買ってきてくれたシュークリームを食べ終え紅茶を飲んでいると、
「優子ちゃん、ピアノ練習したいのに、そんなに長々ここに座ってなくていいんだよ」
と森宮さんが言った。
(中略)
「そう? 昨日はロールケーキを、一昨日はプリンを買ってくれたけど......」
私はそう言ってから、無理して買わなくていいと伝えたかったのに、なんだか嫌味だったかなと少し心配になった。「ええ、うちの父、私にあれこれ食べさせるのが好きで。元気がないと餃子で、始業式ってだけでかつ丼。夏前には毎日ゼリー作ってたし。......あれ? そういうとき、私が無理やり我慢して食べてても、気を遣うなって怒らなかったのに。まさか、森宮さん私が好き好んで餃子食べてるって思ってたのかな」
森宮さんはほっとしたのかすっきりした笑顔を見せると、「紅茶でも淹れよう。今日はアップルパイ買ってきたんだよな」と台所へ向かった。
(中略)
森宮さんはアップルパイの載ったお皿を私の前に置いた。つやつや光るパイ生地から香ばしいバターの香りが漂っている。
「ってことは、たいしたことない親だったとしても、俺が出て行きでもしない限り、父親の座は安泰ってことか」
森宮さんは席に着くと、さっそくアップルパイをほおばった。(中略)
私もアップルパイを口に入れた。しっとりと煮詰められたりんごの優しい甘みが口の中に広がる。
「いや。ピアノは買おう。通帳まで見せた手前、引っ込めるのはさすがに父親の威厳に傷が付く。俺も本物のピアノの音聴いてみたいし」
森宮さんはアップルパイのりんごだけを口に入れながら言った。一緒に食べるほうがおいしいのに、森宮さんはフルーツケーキは果物だけ先に食べてしまう。リビングでくつろいでいる私たちのところに、森宮さんは大きなお盆を抱えてやってくると、いそいそと史奈の前にお菓子と飲み物を置いた。
「どうぞ。ケーキに紅茶に、最中とほうじ茶です」
「あ、すみません。うわ、なんかたくさん」合唱祭の帰り、伴奏者の久保田さんと多田さんと打ち上げだと称して、ケーキを食べに行った。
「合唱祭が終わってほっとしたら、後は受験だね」
多田さんはミルフィーユを前に重々しい声を出した。私は梨花さんの横で紅茶を飲みながら聞いた。濃く出した紅茶に氷を入れて作ったアイスティー。ここに来るまで紅茶なんてめったに飲まなかったけど、ゆっくり歯からにじみ出た香りが心地いい飲み物だ。
「うん。ここに来たらおいしいお菓子があるってクッキーをがつがつ食べて帰っていった」
推薦入試で受験を終えている脇田君はそう言うと、カレーライスを注文した。
「昨日も今朝もおせちだったから、濃いもの食べたくなるんだよな。森宮さんは?」
「私はそうだな......。おにぎりにする。今日は朝食にお餅を大量に食べてきたからお腹がいっぱいで」
まだお腹がすいていない私は、梅干しのおにぎりを1つ注文した。
(中略)
朝食にたくさんの餅を用意してくれた。
「お餅?」
「5個は食べたかな」
「森宮さんって、意外によく食べるんだ」
「そう。父がどんどんお餅を運んできて......。きっと私のお腹を膨らまして脇田君とおいしいもの食べないようにという姑息な魂胆だと思う」
私はそう言いながらも、甘辛い磯辺焼きのにおいにつられ、次々食べてしまった自分の食欲を恨んだ。
(中略)
「カレーって、どう作ってもおいしくできるはずなのに、これはないなあ」
脇田君は運ばれてきたカレーライスを一口食べると、そう顔をしかめた。
「そうなの?」
「味は薄いし肉は固いし、そのくせご飯はべったりしてるしさ」
「まあ、お正月だからばたばた作ったんじゃない?」
私はそう言いながらおにぎりをかじった。確かにご飯は柔らかめだから、カレーには合わなそうだ。
(中略)
その気持ちはうれしいけど、半分以上残ったまま横に押しやられたカレーライスが気になって、話に乗りきれなかった。
森宮さんは、「まずい」だの、「味が濃い」だの文句を言いながらも、なんだっておいしそうに食べる。辛すぎるものや甘すぎるものだって、きちんとたいらげる。あの食べっぷりは一種の才能だったんだな。そんなことを考えていた。
瀬尾まいこ著『そして、バトンは渡された』より