たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『本を読む女』とお店の子

学生の時に確か図書館で借りて読み、万亀が帰省してコロッケ作って喜ばれなかった話だけ覚えていた。
戦前戦中のある女性史としてとても興味深いのだが、特に後半から新聞連載っぽすぎる粗さで集中できない。(実際、調べたらやっぱり元は新聞連載小説だった)
それはそうと、家が商売をやっている家の子は有意に人好きのするパーソナリティを備えていると思う。
日本で勤めていた会社の同僚や顧客で「あ、この人は」と思った人は見事に全員お店の子だった。菓子司、食堂、旅館、パン店...。
商売ではなくても、大人の出入りが多い環境だったら同じなのでは?と思うかもしれないが、違うのよ、お店の子は本当に違うの。

それを証拠立てるように、福は2人の食事もここでしつらえる。いまも少し早い夕食のために、もろこしの団子を焼いているところであった。
しゅんしゅんといつも湯を沸かしている、銅壺を置いた長火鉢の中に、団子を埋めておく。時々は灰の中をさぐって色具合を確かめる。こんがりと狐色になった頃にそれを取り出し味噌をつけて食べる。もうとうに70をすぎた老人たちは、これを4つも口にすれば十分であった。
(中略)
こうして夕方一人遊んでいても誰も心配したり、迎えに来ない孫娘のことを、福はふっと不憫に思い、灰だらけのもろこし団子を差し出した。
万亀はもろこし団子を受け取ると、慣れた手つきで灰を落とし始めた。少女のなめらかな指にかかると、黄色い地肌はすぐ顔を出す。万亀は灰をとった団子を、祖父の安春に手渡す。倉に入りびたっている分、老人にやさしい娘だった。

倉から出て家に戻ると、ちょうど芙美が漬け物の樽から白菜を出しているところであった。小川屋には店員という者はいても女中はいない。芙美は5人の子どもたちの世話から家事万端に加え、店を切りまわしている。客の相手をするのはもちろん、ちょっと時間があると裏の工場へまわり小豆の煮加減を味見し、ついでに薪を割ったりする。

袋詰めというのは、つましいこの町の人たちが三ガ日に食べる徳用の菓子のことだ。かさのあるものが喜ばれる。おこし、味噌煎餅、黒ぱん、羊かんかけ、いしごろも、羽衣というピーナッツの砂糖かけも人気があった。それを白い袋に詰め、口を元結できりりとしばり上げる。
裏の工場からは、贈答用の菓子も運ばれてきて、その忙しさといったらない。葡萄羊かんは切って経木箱におさめられる。「月の雫」の真白い砂糖衣は大層高級なものとされているから、念入りに化粧箱に並べられた。

その母親が、“最後の踏んばり”といった様子を見せるのは、やはり大晦日の夜であった。この夜、夕食を早くとらないと、来年1年間常に夕食が遅くなるということで、6時前にはみな膳についた。店番をする者を除いて、使用人たちの前には、尾頭つきの箱膳が並べられる。尾頭つきといっても生干しの鰯だが、これは家族たちも同じことだ。それに鍋いっぱいにつくった煮おかずが、大晦日のご馳走だ。
里芋、大根、人参、うば貝に濃い味をしみ込ませ、その汁は三ガ日の雑煮に使う。うば貝のだしに人参の甘味がきいて小川屋の雑煮はとてもうまい。他に蛸の酢の物もついたりするから、大晦日の夕食はちょっとしたお祭り気分だ。
「いやあ、おかみさんには今年も本当にお世話になって」
銚子1本の酒に、すっかり舌が軽くなった店番の久さんがそんなことを言う。正月用の羊かんもいい出来だったし、今年もいいお正月さんが来そうですね。

甲州のこのあたりでは、元旦の朝にうどんを食べるならわしがある。大晦日のうちに打っておいたうどんを、野菜汁の中に入れてみなですすった。かまぼこ、きんとん、羊かん、塩焼きの魚なども、どっさりと皿に盛られている。

小川屋の名入りの湯呑みは、コップのように細長く大層モダンなかたちをしている。凝り性の隆吉が、わざわざ甲府の食器屋に行ってつくらせたものだ。これをめあてに、遠い村から客が押し寄せてくる。年始に使う葡萄入り羊かんや月の雫もとぶように売れるはずだ。晴着にたすき掛けをして、芙美は景品を包み始めた。

「ああ、今日のお天神講だね。大丈夫だよ、米と味噌はちゃんと用意してやったからね」
14日のドンド焼きの後に、子どもたちの楽しみはもうひとつ用意されている。お天神講といって子どもだけの寄り合いである。この日、万亀たちは大きなザルを持って各家をまわった。どの家でも快く、茶碗にすり切り1杯の米、もしくは味噌や葱を中に投げ入れてくれる。
それを当番の家に持ち寄って、皆でご馳走をつくるのだ。ご馳走といっても炊きたての飯と、実だくさんの汁、それに漬け物ぐらいであるが、大釜でつくるそれらのものが不味いはずはない。ピンと立った白米や舌を火傷しそうなほど熱い汁を、子どもたちは銚子にのって何杯もお替わりをする。

そこと奥の座席をぶち抜いて、精進の席が設けられた。近所の女たちも駆り出されて、次々と料理が並べられる。
白あえ、甘辛く煮つけた油揚げ、コンニャクと芋の煮物といった質素なものだが、酒だけはふんだんに用意された。
これといって変化のない田舎の暮らしの中では、葬式の酒というのも、確かに娯楽のひとつとなるのだ。

台所では福と芙美が葱を刻んでいるところだった。
「とくに見たさ。それで英子を起こしたんだよ」
芙美は鍋をかげながら(ママ)苦笑いする。

「いいかい、先生に見つかるから、店の方には行っちゃあいけんよ」
念を押しながら、汽車が来るまでの間、茶を出してやるのだ。いつの間にか小川屋の作業場は、中学生たちの溜り場になった。いつも数人の生徒が、ラムネを飲みながら汽車を待っている。

いくらかの金を手にした親子は、小川屋で必ずといっていいほど饅頭を土産に買って帰っていく。中には太っ腹の親子もいて、近くの食堂で天丼などを食べるのだが、時々は酔いつぶれる者も出てくる。

校長は煙草吸いらしく、芙美の用意した茶や、店でいちばん上等の生菓子には手を出さない。ひたすら「敷島」をうまそうにふかしている。

この上級生たちは、入学式の日にパウンドケーキやクッキーを焼き、新入生とその父兄たちをもてなしてくれた。透ける模様の白いナプキンペーパーや、銀のスプーンなどは万亀や芙美が初めて目にするものである。
「お紅茶、もう1杯いかがでございますか」
腰をかがめるようにして尋ねる彼女たちに、芙美などはすっかり感激してしまった。

寮の食事は質素というよりも貧しくて、皆は外に行くことばかり考えてしまう。万亀は食べ馴れない納豆を口に運びながら家に帰りたいと、そればかり考える。

料理実習の時間、しめたばかりの鶏が班ごとに与えられた。これから羽をむしって料理せよというのだ。赤いとさかをぐったりさせて横たわる鶏に、何人かが小さな悲鳴をあげた。
万亀は仕方なく前に立った。子どもの頃、福がしめた鶏の羽むしりをよくさせられたものだ。

手始めに万亀は、学校で習った洋食をつくることにした。材料がほとんど手に入らないことに閉口したが、牛乳を近くの農家から分けてもらい、クリーム味のコロケットを揚げた。
「なんだ、こりゃ、へんなにおいがする」
まず箸を投げ出したのは秋次で、芙美も店員たちもほとんど手をつけようとはしなかった。

自分の好まないものは、かたくななまでに受けつけない性癖はすべてにわたっていて、膳に自分の嫌いなお菜が並ぼうものなら、すぐ女中に電話をかけさせて、近くの洋食屋から豚カツを運ばせたりする。黄色い脂のにじむ豚カツをひとり食らう義兄を見ながら、万亀はつくづく姉の不幸を思った。

クリスマスが近づくと、学校ではケーキの焼き方の指導がある。ブランデーに浸けておいた果物や木の実を使って固く焼き上げる菓子は、寒いところに置いておきさえすればイブの夜まで十分に持つという。
「クリスマスはぜひ行ないたい家庭の催しですね。みなさんが家庭をお持ちになった時に、上のデコレーションはいろいろお考えになってください。きっとお子さんたちが喜びますよ」

明日の帰省のための土産を買うためだ。芙美に中村屋の肉饅頭を買った。芙美はこれが大好物なのだが、すぐに売り切れてしまう。明日は早めに中央線に乗るため、今日買っておかなければならない。

小使い室の腰の曲がった老婆は、遠くから来た万亀になにくれと気を使ってくれる。あらかじめ頼んでおくと、リヤカーをひいてやってくる漁師のおかみさんたちから魚や野菜を買っておいてくれた。
自炊をするのは万亀にとって初めての経験である。今までは賄付きの下宿ばかりで自分でつくることはなかった。
そのまま食べられる薄い塩味のついた牡蠣はいいが、十銭で山のようにくるイワシには困った。甘辛く煮つけたり、酢で〆たりしたが、とても一人で食べられる量ではない。
翌朝、余ったお菜を捨てながら、
「料理においてはまず倹約。材料を決して無駄にしないとおいうことを心がけてください」
などと教えている自分を思い出して万亀は苦笑することがある。

福田先生が言ったとおり、この土地の人々は情にこまやかで、信任の若い女教師に暖かく接してくれる。朝起きると家の前に、とれたての野菜が置かれていることもあった。
それよりも万亀の心を魅きつけてやまないのは、この町の自然だ。松川浦にそそぐ川は静かにゆるやかで、魚が見えるほど透きとおっている。
中村城址はちょうど紅葉の盛りであった。北の国は秋が早く、その分樹々は鮮やかに染めあがる。

授業を終えると日はとっぷり暮れている。万亀は台所の七輪で火を起こし飯を炊き、野菜を煮た。東京のガスに慣れている身にはこれが大層めんどうくさい。けれども七輪の火は、そのままこたつに運べば、夜なぬくぬくと過ごせる。

名物の牡蠣の樽を持って宇都宮へ向かったのは、12月の25日と、年の瀬も迫った頃だ。

上級生に西洋料理を教えたいと思い、仙台の専門店に手紙を書いて問い合わせたのもそのひとつだ。さまざまな料理の本を参考に、限られた材料だけでつくれるものはないかと工夫する。相馬のふつうの家でもつくることのできるミートコロッケの調理法は、万亀がガリ版で刷ったものだ。

「先生、うまいコウセンできたからあがんなれ」「先生は物識りだから、ちょっとこの字を教えてくれ」

自炊するつもりだった万亀は、1週間もしないうちに夕飯の膳に呼ばれるようになった。
「ひとり分つくったって、ちっともうまくねえべ。うちは年寄りばっかりでたいしたご馳走もねえけども、毎日うちで食べたらよかんべ」
それでは夕飯だけという約束が、いつのまにか朝食付きということになり、そのうちにいとは万亀の弁当さえつくってくれるようになった。弁当の蓋をあけると、海苔をまぶした飯に黄色い卵焼きが添えられていた。いかにも年寄りがつくったものらしく、まだらにこげ目がついている。それを眺めていたら、鼻の奥がつうんと熱くなり、自分は本当は人淋しかったのではないかと万亀は思った。
(中略)
朝は婆やに起こされ、朝食の膳につくと、熱い味噌汁と炊きたての飯が出来ている。贅沢にも卵を毎日つけた弁当を渡される。
「先生、今夜なに食いてえんだ」
いとが聞く。これではまるで万亀が主人のようだ。

学校で憶えたスープや、卵おじやといった病人食を福は絶対に受けつけない。米だけはやわらかく炊いたのを好むが、かぼちゃの煮つけや豆腐の味噌汁を半分失くなった歯でくちゃくちゃと噛む。

甲府から板前を呼んで、決まりの膳とは別に伊勢海老や鯛の刺身をどっさりと籠に持った。その豪勢さに、山国の人たちは目をむいたものだ。
婚礼は2日間にわたって繰り広げられ、近所の人々からは「一箱ひっくりけえした御祝言」と言われたものだ。一箱というのは千両箱の譬えであるがかなりの額がかかっただろうと、皆はふんだわけだ。

店員や品物の数はめっきり減ったが、客の数はかえって多くなっている。特にキャラメルは慰問袋に入れるのに最適といわれていて、何個でもいいから欲しいという客があとをたたない。その人たちにうまく謝るのも万亀の仕事だが、売り惜しみをしているのではないかと疑われたりしてなかなか骨が折れる。あまり疲れると万亀は売り物の氷砂糖を1個口の中にはうり込んで(ママ)下の上でころがす。

明日も今日と同じような日がやってくる。店に立ち、餅菓子や練り切りを包み、その合い間に秋次の子どもの頭を撫でたりしているうちに日が暮れる。

仕方なく街に出て時間をつぶすが、困ったのは食事で女がひとりで入れるところがなかなか見つからない。
盛り場のレストランや食堂で、ひとり食べるのはまるで自堕落な女のように思われてしまう。
最初の頃、万亀はお握りをつくって、千鳥ヶ淵の土手で食べたりしたものだ。
(中略)
中には小さなカウンターがあり、その上には確かにおでんの鍋がぐつぐつと音をたてている。テーブルと椅子も置かれているが、他には客が見あたらない。
「はい、いらっしゃいまし」
奥の方から女が出てきた。たすき掛けの着物の袖口からは、今まで水仕事をしていた証のような、ほんのり赤くなった手が見える。
「何をさしあげましょうか」
「あの......、おでんを一皿」
「はい、好きな種を言ってくださいよ」
女は五十を少し出たところだろうか。下町風の歯切れよさで、万亀にちょうど大根が煮えたところだと説明する。
(中略)
「昼も夜もうちでお食べよ。奥の部屋で本でも読んでればいいさ。そう、川端さんとこと交換の日曜下宿だよ」
おでんは煮つまりすぎていて、そうおいしいことはなかったが、愉快な女主人だと帰り道、万亀は何度も思い出し笑いをした。

その頃、既に家の者のようにふるまっていた万亀は、かき氷の機械を運ぶのを手伝ってやり、丁寧にそれを拭いた。
「じゃ、万亀ちゃんが今年最初の氷客だ。まだ氷屋に言ってないから、冷蔵庫を冷やす氷しかないけど、それにシロップをかえkてあげるよ」
とはいうものの、それを口にするまではかなりの時間がかかった。戸棚の奥にしまわれていた器を出してきて、新聞紙をはがし、ひとつひとつ洗わなくてはならなかったのだ。
(中略)
もともと商家に育った万亀にとって、お芳のわずかな客などをれほど苦にもならない。お芳には悪いとは思ったが、辛すぎるおでんの味つけも直した。常連客の中には、この頃やけにうまくなったと言う者もいるほどだ。

しかし田代は確かにそのとおりですと力強く言って、よく煮えた大根を噛み切った。
田代は言った。
「人は誰でも、心から愛する作家をひとり持つもんですよね。僕の場合、あなたの芥川龍之介にあたるのは魯迅です」
(中略)
おでんの皿を綺麗に食べ終わった田代は、唐突に立ち上がった。御馳走さまと叫ぶ。あまりにも背が高いのでその一連の動作はやや滑稽に見える。万亀は思わず吹き出した。
「おばさん、幾らになる。このあいだの分も払っておくよ」
「おやおや、田代さん、大変な景気だねえ」

正月休暇を終え、東京に戻ってきた万亀を、末吉は夕食に招待してくれた。いつものように八重子が、甲斐甲斐しく膳を整える。末吉の大好物のすき焼きだ。
「ほら、万亀ちゃん、ここが煮えてるよ」
末吉は牛肉をつまみ上げては、万亀の皿に入れる。
「俺たち甲州の人間は、牛肉なんてなかなか食わんもんなあ。俺は東京に出てくるまで、すき焼きなんか食ったことがなかった」
「だけどあなたは、馬肉がお好きじゃありませんか。東京じゃ探すのに苦労しますよ」
「ああ、だからな、牛と馬と両方用意しといてくれりゃいいんだ」
「じゃ、すき焼きも半分ずつにいたしますか」

午後から末吉がよく使う、神楽坂の料亭で披露宴が張られた。双方の親戚や義朗の友人など30人の前には、小ぶりながら尾頭つきの鯛が出された。
「こりゃ豪勢だ。あるとこにはあるもんだよなあ」

義朗は鞄の中から、魔法のように次々と食べ物をとり出す。もう内地では見ることさえ出来なくなった葡萄や大きな林檎、焼菓子などであった。万亀にすすめながらも、自分も果物に食らいつく。大声の男は大食漢という言葉どおり、よく食べる男だった。
久しぶりに再会した夫と、広い部屋でぺちゃぺちゃ舌を鳴らしながら葡萄を食べるのは、そう悪い気分ではなかった。

11月になったある日、八重子から小包が届いた。自分で採ったという山栗、蟹の缶詰といったものの他に、最近彼女が読んで感動したという「蜂国の乙女」という翻訳本が入っている。
(中略)
かつての同僚からの手紙で、万亀は八重子の具合がよくないことを知っている。郊外の別荘で療養生活に入ったとも聞いた。
その八重子が、自分のために栗を拾い、缶詰をとり寄せてくれたかと思うと、万亀は胸がいっぱいになる。
しばらく掌に栗を乗せて呆けたように眺めていた。木の実の固さは、久しぶりに感じるようなやさしい手触りだった。

だが初めての外地での正月は、大層淋しいものであった。日本人の店で揃えた、かたちばかりのおせち料理に、義朗は乱暴に箸をつつくと、すぐさま出ていってしまった。酒を飲めない義朗は、麻雀をしたくて朝からうずうずしていたのだ。

ところが今は一分の隙もないほど野菜が植えられていた。じゃがいもとねぎが小川屋の家族の大切な食料になっている。

その晩久しぶりで居間の電灯のカバーがとられた。これほど明るい光を見たことのない子どもたちは、はしゃいで箸を持つ手をふりかざす。芙美が倉から出してきた水飴がほんの少しずつ、子どもたちの皿に盛られている。
そこへ松井がひょっこりと顔を出した。長い間小川屋の職人をやっていた彼は、のれん分けしてもらい小さな店を出したが、今でも何かというと手伝いに来る。戦争中、駅のまわりは焼けるという噂がたってからは菓子の型をいくつも彼のところに預かってもらっていたのだ。
その昔、金沢からとり寄せたという落雁や最中の型は小川屋の財産である。

遠藤が連れていってくれたところは、焼け残った家を料理屋にしている店であった。出てきた女の後ろから確かにすき焼きのにおいがした。そうかと思うと、刺身の皿を持った男が横切る。

林真理子著『本を読む女』より