たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

『そして、バトンは渡された』(7) オムライス

ときどきケチャップご飯を食べたくなるが、トレジョのケチャップで作っても美味しくないのよ。ちょっと甘すぎるのかな。

「おはよう。朝ごはんちょうどできたよ」
と、森宮さんが味噌汁のお椀を運びながら言った。
「おはよう......。あれ?」
私は食卓を見て、首をひねった。
「どうしたの?」
「かつ丼じゃないんだ」
始業式に出てくるくらいだから、受験当日は当然かつ丼を食べる羽目になると思っていた。
「まさか。今日、入試だろう? そんなの食べたら胃もたれするよ。体が温まるように生姜ご飯と、具だくさんの味噌汁にりんご。満腹になりすぎると、ぼんやりするからこれくらいでいいだろう?」
「うん。いい、いい。いただきます」
油ものが入ってくるとかまえていた胃がほっとしている。私は席に座ると、さっそく箸を取った。
「あ、おいしい」
ピリッとした生姜は、だしと一緒になるとじんわり優しい味になる。ほのかな風味が付いた生姜ご飯は目覚めたばかりの胃に静かに収まっていく。
(中略)
油揚げに白菜にかぶらににんじんにほうれん草。たくさんの食材が入った味噌汁はほんのり甘くて、体に野菜の力がめぐっていくようだ。

試験の前日、森宮さんが作ってくれた夜食はオムライスだった。
「洋食は夜食には重いけど、森宮さんの卵料理って大好き」
と机の上に置かれたオムライスを見た私は、「何これ」とぎょっとした。
オムライスには、ケチャップで「今日はよく寝て、本番に備えよう。合格できると信じてリラックスしながらがんばって!」と長々とメッセージが書かれていたのだ。
 「ちょっと怖いんだけど」
「どうして? オムライスの上にケチャップで言葉書くのって定番じゃないの」
森宮さんはきょとんとした。
「それって、大好きとか名前とかせいぜい3文字程度でしょう? こんな小さい字でオムライス全面に言葉を書かれたんじゃ、赤だけにダイイングメッセージみたいでただただ怖い」
「そっか。道理でたいへんだったんだな。つまようじを駆使して描いたから、30分はかかったよ」
そう言う森宮さんに、私は笑いが止まらなくなった。

「そっか。それにしても、優子ちゃん、会社まで見せに来てくれるなんて」
「まあ、お世話になったし、ついでにお小遣いで夕飯ごちそうしようかと」
私がそう提案すると、森宮さんは「やった」と手を上げた。
「何、ごちそうしてくれるの?」
森宮さんはすっかりわくわくしているようで、足が弾んでいる。
「森宮さんは食べたいものある?」
「そうだな。優子ちゃんがおごってくれるなら、なんでもいい」
「じゃあ、ラーメンとか」
「ラーメン?」
「そう。森宮さん、いつだったか、ラーメンは一人でしか食べたことがないって言ってたから」
私が言うと、「合格祝いがラーメンか」と森宮さんは首をかしげた。
「おかしい?」
「いや、いいんじゃない? 確かに俺、誰かとラーメン食べたことないし」
森宮さんがそう言って、私たちはラーメン屋を探しながら歩いた。駅へと続く道は飲食店がいくつかある。あちこちの店からおいしそうなにおいが漂って、私たちのお腹もすいてきた。
「あ、あそこは?」
森宮さんは少し先の黄色い暖簾がなびく店を指した。
「どうだろう、おいしいかな?」
「ちょっと、俺、見てくる」
森宮さんは小走りで店に近づいて中をのぞくと、腕で丸を作って見せた。
(中略)
カウンターとテーブル席が2つだけの狭い店内には、すでに何人かお客さんがいて、香ばしい味噌や醤油の香りが広がっている。
「おいしそうだね」
「うん。早く食べよう」
私たちは席に着くと、すぐさまラーメンと餃子を注文した。
「たまには外食もいいよね」
「本当。優子ちゃんや俺が作る味って、だいたい想像できるけど、知らない人が作るって、どんな味になるのかどきどきするよな」
「きっと、プロだから私たちよりずっとおいしいよ」
2人でそんなことをしゃべっていると、餃子が運ばれてきた。
「うわ、早い」
「さすがプロだな。さ、乾杯しよう」
森宮さんは水の入ったグラスを掲げた。
「乾杯ってほどのことでもないけど......」
ワツィが照れくさく感じながらもグラスを手に取ると、森宮さんは大きな声で「合格おめでとう!」と言って、水を一気に飲み干した。
「うれしい知らせの後の1杯って水でもうまいな。さあ、冷めないうちに食べるか」
「うん。いただきます」
「お、うまい」
森宮さんは大きな餃子を口いっぱいにほうり込んだ。
「家のフライパンじゃ、なかなかここまでパリッとしないよね」
私も餃子をかじってみる。カリッと焼かれた皮の中から、にんにくやにらの香りが漂う肉汁が溢れてくる。
「確かに俺の餃子よりわずかにうまい。で、どう? 合格した心境は?」
「そうだな。やっと、ほっとしたような......」
と私が答えていると、次はラーメンが運ばれてきた。
「出来上がるの、なんでも早いね」
「プロの技だな。合格の心境をじっくり聞きたいところだけど、麺が伸びるしまずは食べよう」
森宮さんがそう言って、私たちはそろってラーメンをすすった。
「なんか、ラーメンって忙しいね」
「早く出てくるし、冷めるとおいしくないものばかりだしな」
私たちがせっせとラーメンを食べていると、入り口に人が並びはじめた。
「待ってる人、いるんだ」
「おお、急がないと」
森宮さんはさらに勢いよくラーメンをすすって、笑い出した。
「どうしたの?」
「合格祝いの食事、慌ただしすぎだよな」
「本当。話す暇、ないもんね」
私もスープをごくりと飲んでうなずいた。待たれていると気になって、落ち着いていられない。
「ラーメンって一人で食べるのに向いてるんだな。しゃべりたい相手とは食べちゃだめだ。失敗した」
森宮さんはそう言いながら、箸を忙しく動かしている。
「話は家でできるしね」
「ああ、ケーキでも買って帰るとして。ここは、速攻で食べるか」
「うん。そうしよう」
私たちは熱さに赤くなりながら、ラーメンを忙しく口へと運んだ。

瀬尾まいこ著『そして、バトンは渡された』より