たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

コーラの脅威『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』

主人公はライターで出先のホテルでリモートワークまでしているのでまあまあ早めのアダプダーだと思うが、スマホがないだけで記述が随分昔っぽく見える。

コーラは骨を溶かす、というのは私も聞かされていたし、入っている砂糖の量を角砂糖で示されるとヒェーと思うのだが、ハンバーガーやピザを食べるときは絶対にコーラ。たまに映画館でドリンクを買うときも絶対コーラ。ゼロやダイエットコークは後味がキモいので飲まない。

ドリンクバーから持ってきたハーブティーが毒々しいほど赤い色をしていた。濃いバラの匂いがする。

「帰りが一緒になったときがあって、丁度いただきもののぶどうがあったから誘ったの。家族で食べるように、持って帰ればいいと思って。チエミちゃんのおうち、ぶどうはやってなかったみたいだから」

甘いものを食べると虫歯になる、と母にしつけられた私は、自分の家ではお菓子やジュースを一切禁じられていた。許されるのは、野菜クッキーや、クリームなしの硬い蒸しパンのようなケーキなどだった。「体にいいです」とパッケージにかかれているかどうかが大事だったのだろう。マイナーなメーカーの、おいしくないお菓子。
名前の知られた会社の一族なのだから、といいお茶菓子を期待して遊びに来た友達に、申し訳なく感じたのを覚えている。だから、私はうちに友達を呼んだことはほとんどない。チエミはおいしそうに食べてくれたけど、そこまで仲が良くない他の子は呼べなかった。

チエミの家は、私が生まれて初めてコーラを飲んだ場所だ。
ずっと禁止されていた飲み物は、驚くほどおいしかった。炭酸の泡。辛いのかと思ったけど、その後できちんと甘い。友達の家でお菓子を出されても断るように言われていたけど、クラスのみんなに「コーラも飲んだことないの?」と聞かれるたび、私は深く傷ついていた。
(中略)
チエミが驚いていた。彼女にとっては、コーラが禁止されること自体が驚きだったようだ。チエミのうちでは、お父さんやお母さんだって畑仕事の合間にもコーラもジュースも飲んでいるし、チョコレートだってペロペロキャンディーだって子供のように食べる。

「ここ、みずほちゃんの奢りでいいよねー。私、ハンバーグ食べたい」
「いいよ。何でも好きに食べて」
(中略)
ドリンクバー2つと、ハンバーグステーキ。みずほちゃんは? と聞かれ、飲み物だけで、と答えると、政美が顔をしかめた。
「やめてよー。私だけ食べるなんて気まずいじゃん。何か食べて」
(中略)
持ってきた緑色のメロンソーダをストローで吸い上げる。
(中略)
運ばれてきたハンバーグを、ナイフを使わずフォーク1本で細かく切っていく。
(中略)
細切れにしたハンバーグを見下ろす。もう食べる気はないのかと思っていたのに、フォークを手にして一切れ口に運び、すっかり固まってしまったソースがついた唇を指で拭う。
「果歩ちゃん来たら場所変えようよ。どっかバーに行こう。できれば、よく合コンで使ったとこがいいな。懐かしいから今日は付き合って。それで、明日からまた絶好すればいいじゃん。そうでしょ?」
昨日の敵は今日の友、という言葉があるけど、政美の考え方はまた極端だ。
「了解」
ハンバーグを食べながら、途絶えた数年間のお互いの近況を話す。

冷凍しておいたパンを解凍して遅い朝食をとりながら、テーブルの横の新聞ストッカーから古新聞を取り出し、内容を確認していく。

ピアノの部屋で、その日、コーラの恐ろしさについて何度も何度も繰り返し説かれた。
飲めば、骨が溶けてしまう、歯が溶けてしまう。頭に3本もかければ、髪の毛がパサパサになり、抜け、まるで老婆のようになってしまう。白髪になり、頭皮だって惨めに爛れる。2時間近くもその恐怖をえんえん聞かされ、私は泣け叫んだ。
母にとって、そのときの私にとって、コーラはまるで硫酸だった。

「今日はみずほの好きなハンバーグよ」と、母が微笑んでいた。それから父を見る。
「今日ね、みずほ、怒られちゃったのよ。子供の身体に炭酸飲料はあんまりよくないって言われてるのに、望月さんの家でもらっちゃって」

お皿を洗うのを手伝いながら、台所の缶ゴミの中に今日のコーラの缶を発見する。チエミの家でもらった赤いのじゃなくて、色が白い。兄に尋ねてみると、「それ、ライトだよ」と教えてくれた。
「ライト?」
「普通のより軽いやつ」
私の一番の心配は、自分の髪が白髪になったり抜けたりすることだった。そうなったらどうしようと思っていたけど、納得した。そうか、ライト。お母さん、きっと大丈夫なやつにしてくれたんだ、と。
髪は無事だったし、私はコーラを嫌いにもならなかった。ただ、母に言われた。「チエミちゃんのおうちでは、もうおやつをもらっちゃダメ」。だけどその約束を破って私はチエミのうちに通って甘いお菓子をもらい続けたし、たまにまた、こっそりコーラだって飲んだ。

起き上がると、啓太がスーツ姿のままインスタントラーメンを食べていた。ネクタイは外しているけど、格好には似合わない食べ物だ。「ごめんね」と薄く息をしながら謝る。知らないうちに眠ってしまったようで、まだ、足元も視界もふらふらする。
啓太が麺を持ち上げた箸を空中で止めたまま、こっちを見た。
(中略)
「ラーメン、おいしい?」
「すごく」
顔が笑っていた。
「うち、これ、母親にずっと禁止されてたんだよ。いつか大人になったら、毎日でも食ってやるんだって恨みに思ってた」
(中略)
啓太は答えなんか期待していないように、再びラーメンに顔を戻した。カップを持ち上げ、スープを飲む。

味の濃いシーザーサラダのレタスをフォークで突き刺す。

食べかけのリゾットにスプーンを入れた。

飲み物が運ばれてくる。生果汁を搾った色の薄いグレープフルーツジュースで乾杯する。
(中略)
料理が運ばれてきた。ムール貝のガーリックソテーの匂いが鼻腔を刺激する。

チエミの家ほどおいしいお菓子がなくても、マイナーなメーカーの硬いクッキーを、母はチエミが遊びにくると、たくさん食べさせたがった。チエミはそれに応えるように「ありがとう、おばちゃん」とお礼を言っていた。

「みずほさん、帰ったらお味噌汁当番ね」
ポリタンクを引きずるように持ちながら、こっちを振り返る。
「ねーさんの、練りゴマ入ったお味噌汁さぁ、自分でやろうとしても分量うまくできないんだよ。そもそもゴマ入れるなんて発想がない。どうして入れようと思ったナリか」
「料理の本見て」

アイスを買って、車の中よりはマシだからと、駐車場の車止めに座り込んで食べる。日差しがあっという間にクリームを溶かしていく。
(中略)
溶け出したアイスクリームが、急に甘いだけの重たいものに思えてきて、「もう、いいや」と私は立った。食べかけをゴミ箱に捨てるとき、微かに罪悪感がした。食べ物を粗末にすること、残すことに、昔ほど抵抗がなくなってしまっている。

働いていた職場で、会議のとき、お寿司が出た。
及川さんと一緒に手伝いをして、私の分もあった。うちはチェーンの小僧寿しだって、母の日や誕生日にしか食べられない。1つ2千円近くする出前の上にぎりは、日常生活で初めて見るようなご馳走だった。
赤貝が苦手だったけど、残してはいけないと飾りについていた紫蘇の葉っぱでくるんで、丸呑みにするように一気に食べた。食感と味、両方が苦手だったから、喉に引っ掛かって涙目になる。あわててお茶を流し込んだ私の前で、及川さんがくすっと笑うのが聞こえた。
(中略)
「貝が苦手なんだけど、残すのもったいないから」
「ええ。偉いなぁと思って見てました。ごめんなさい。だけど、残したっていいんですよ。どうせ会社のお金なんだし、お寿司は生もので、持ち帰ることだってできないんですから仕方ない」
彼女の手元の桶には、苦手なのか、数の子が残っていた。カロリーを気にしてるのか、食べきれないのか、上のお刺身だけ食べたご飯が、丸い塊のままいくつか隅に寄せられてもいる。
見た途端、かあっと恥ずかしくなった。
「私の分も食べます?」
及川さんが、私よりもずっと細い腕で、桶を持ち上げた。

コンビニに戻ってエビアンのボトルを手にしていると、いつの間にか、アイスを食べ終えた翠ちゃんが横に来ていた。私の手元を見て、「うわっ」と大袈裟なほど驚いた声を上げる。
「水買うの? それ、ただの水でしょ。味ついてない。お金出して、水買うの?」
「翠ちゃんにも買ってあげる」
「ええっ、いいって」
彼女の分の2本目を取ろうとしたところで、翠ちゃんが首を振り、「だったらさあ」と横のファンタを指差した。
「こっちがいい。これ買って。オレンジ味」
「いいよ」

翠ちゃんは私にケーキを買ってきてくれていた。マジパンでできたウサギが載ったホールケーキなんて、子供の頃に誰かのお誕生会で食べて以来だ。

夕飯は、天ぷらにしようと決めていた。
コーンと枝豆の掻き揚げ。油に入れたときコーンが跳ねてしまわないように、丁寧に小麦粉と合わせる。私の手元を覗き込んだ翠ちゃんが「だけど」と煮えきらない声を出す。
(中略)
話していたら、油が完全に温まっていないのに、もう、掻き揚げの最初の1つを入れてしまった。失敗、また生だ。後悔する。

家に帰る途中、明日の朝ごはん用にメロンパンを買うことになった。
最初できた新しいスーパーの駐車場に、手焼きメロンパンの販売車が停まっているのだ。買い物のとき、いつもいい匂いで魅かれていたのだけど、朝はいつもご飯を炊くから買ったことがなかった。
甘いバターの匂いのする、本物のメロン果汁が入っているという謳い文句のメロンパン。色も普通の黄色じゃなくて、夕張メロンを連想させるオレンジ色だ。
「メロンパンって、うちの親子と似てるナリ」
翠ちゃんが、買ったばかりのパンの袋を振りながら言った。駐車場を振り返り、「天然果汁!」と書いてあるのぼり旗を見て首を振る。
(中略)
空に月が出ていた。その黄色を見ていたら、今度はクリームパンを連想した。甘いカスタードの味を思い出し、明日はメロンパンじゃなくて、クリームパンを買おうと心でひっそり決意する。

辻村深月著『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』