たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

居酒屋 & ホムパ小説『愛がなんだ』

「これマジうまい、食べてみな」が頻出する居酒屋とホムパのメニュウ(『暮しの手帖』っぽい表記)とが白眉の小説。

スマホなき時代は、急にごちそうを作るとなったら、本屋へ行って料理本を立ち読みするのである。

店を出てすぐプルトップを開ける。きんと冷えた苦い液体がのどをすべりおちていく。首を傾けてごくごく飲むと月はまだ頭の上にある。

コンビニの鍋焼きうどんでいいと言われたのに、スーパーで買いものをして温サラダと味噌煮込みうどんをつくったことか。
(中略)
風邪をひいたので買いものをしてほしいとたのまれ、煮込みうどんをつくったこと。
(中略)
「これさあ、おばちゃんつくったの。こっちは夕食の残り。残りっていっても、箸つけないで分けておいたぶんだから汚くないの。それからこっちは今つくったの、どうぞおつまみに」言いながら居間に入ってきて、手にしていた皿をちゃぶ台に並べる。
(中略)
「はいはい邪魔はしませんよ、これね、オムレツ、ふつうに見えるでしょうけど、ちょっとちがうの、今日お昼のテレビでやっててね、バターのとけきらないうちに」
「おかあさん、もういいって、時間見てみなよ、もう深夜だよ? 深夜にオムレツなんか食べないよ」
「すごい、おいしそう!」私は声をあげる。マモちゃんに煮込みうどんはつくったが、自分はビールしか口にしていないことを急に思い出す。「いただきます!」
「それでこっちはふつうのね、茸の炒めもの、テルコちゃん、ちゃんとごはんは食べてるの?」
「おかあさん、いい加減にしないと本当に私怒るよ?」
「ああもう、はいはい、それじゃあ失礼いたしました、じゃあね、テルコちゃん、明日早く目覚めたら母屋に朝ごはん食べにいらっしゃい。それじゃあね、戸締まりちゃんとして寝るのよ」
(中略)
オムレツはふわふわで、なつかしい味がした。バターのとけきらないうちにどうするのか、最後まで聞いておけばよかった。そうしたら、今度マモちゃんに食べさせてあげられたのに。「葉子ちゃん、ちょっとこれ食ってみ、マジおいしいよ」
(中略)
葉子は言って、私のたいらげたオムレツと茸炒めの空皿をかたづける。

1階にあるコンビニエンスストアでカルビ弁当と缶ビールを買い、歩いて5分ほどの場所にある公園に向かう。

アパートにたどりついたのは10時過ぎで、私はひとり、テレビと向きあってカップラーメンを食べる。

私とマモちゃんは挨拶した次の瞬間にもううちとけて、部屋の隅でしゃがみこみ、1本のワインを真ん中に置いて、たがいにつぎたしながら飲み、他愛ない言葉を交わした。
(中略)
私たちはかわりばんこに料理をとりにいき、しゃがみこんだままそれを半分ずつ食べた。ミートローフ、ほうれん草のキッシュ、ザワークラウトにいろんな種類のチーズ。ワインを1本空けてしまって、ふたりで背をまるめ、もう1本くすねにいった。
(中略)
私は言って、それで、葉子の友達のアパートを出、昔からの知り合いだったみたいに手をつないで、しずまりかえった路地を歩き、途中にあったバーであたたかいラムを2杯ずつ飲み、今まで幾度もそうしてきたかのようなキスをして、べつのタクシーに乗ってそれぞれの家に帰った。

今日はお礼になんでもおごるから、好きなもの注文してよ。っつっても居酒屋だけどさ、メニュウのなかで一番高いものたのんでいいっすよ。焼き蟹でも河豚鍋でも。でも、これマジで河豚かな、あやしくねえ?」
テーブルに並んだ空き皿の上に身を乗りだしてマモちゃんは言う。
「じゃあ焼酎をもう1本たのみたい」私は言う。
「げ、焼酎はパス。食いものにしてよ」
(中略)
「焼きタラバ、牛ヒレポン酢ソース、からすみ、あと鮑ステーキお願いしまーす」
「げ、そんなにたのむ? 鮑ってなんだよ鮑って」
(中略)
店員がからすみと牛ヒレを持ってくる。からすみはやけに橙色がきつく、チーズみたいな味がした。

新宿高島屋の地下で、一口カツやおにぎりや点心や、チーズやパイや春雨サラダや、惣菜をたくさん買いこんで上野動物園にいった。晴れていて、空気は乾燥していて、片手で食べもののぎっしり詰まった紙袋を持ち、片手で好きな男と手をつなぎ、キリンや象やフクロウを見て歩いた。日本猿の前でカツとおにぎりを食べ、ペンギンの前でビールを飲んで点心をつまんだ。

缶コーヒーを買って、ずっとひとりで弁当を食べていた「あいのいかり公園」にいく。昼休みをとうにすぎた公園に、常連のサラリーマンと中年女はいない。鳩と浮浪者を眺めて缶コーヒーを飲み、3時が近づくのを待った。

駅前まで戻り、ハンバーガーセットを買って、コインランドリーの椅子に腰かけて食べる。長方形のコインランドリーは、ぽかぽかとあたたかく、石鹸のにおいが満ちている。向かいの洗濯機に足をかけて、隅に積み上げてあった漫画雑誌からきれいなものを捜し出し、ハンバーガーを食べながら読む。

宅配便を出したら、本屋にいって料理本を立ち読みしよう。イタリア料理のコースにしようか。蛸とトマトの前菜からはじまって、パスタはアスパラとサーモンで.....、いや、ざっくりと中華コースがいいか。コーンスープ、中華風お刺身サラダ、具沢山の春巻きと辛めの麻婆豆腐。それともやっぱり和食がいいか。茸と前菜の炊き合わせ、秋鮭の西京漬けにほうれん草とあぶらあげの煮浸しなんか。つくりかたを覚えて、覚えきれなかったら適当な本を購入して、それからスーパーへ材料を買いにいこう。

バーで飲んだ高級なシャンパンと、非常に安く買えるブランドもの。私はそれらのどれひとつにも興味がもてず、ぼうっとしてうなずきながら、目の前に並んだ寒ブリだのウニだのをつつき、熱燗をたのみ、山中吉乃に酌もしてやらないで、ひとりそれを飲みはじめる。

席に戻ると、きんめ鯛に箸をつけていた山中吉乃が顔をあげ、バッグから包みを出して差し出す。
(中略)
私は唐突に、橋もお猪口もきんめ鯛も放りだして、天井を向き大口を開けて泣きたくなる。けれどもちろんそんなことはしない。香水にふたをして、冷え切ったげその唐揚げを食べ、ありがとう、と山中吉乃に言う。いいのよ、山中吉乃はおだやかに言う。

うなずきながら私はメニュウを広げる。店員を呼び、茹でタラバと子持ち昆布を追加注文する。
(中略)
子持ち昆布がくる。茹でタラバがくる。酒を口に含み、私は蟹の身をほじくり出す。
(中略)
茹でタラバの脚を食べないまま席を立ってしまったことを思い出す。あれ、もったいなかったな、とちいさくつぶやいてみる。

「(中略)あたし今おせちつくってるの。葉子は馬鹿だから餃子つくるんですって。おせち持ってってあげるって言ったのに、中国じゃ新年は餃子なんだって、へんなこと言うのよねえ、あの子。ここは中国じゃないしあの子は中国人でもないのに」
葉子母は白い割烹着姿で、片手におたまを持ったまま玄関に出てくる。
(中略)
酒屋で買ってきた日本酒を葉子母に渡し、私は頭をさげて玄関をあとにする。
「どうもありがとね。明日お雑煮食べにいらっしゃいねえ!」
(中略)
台所でナカハラくんが額に汗を浮かべて何かを必死でこねている。
(中略)
「何つくってるの」
「餃子の皮。葉子さんは今風呂っす」
(中略)
言われるまま、台所に突っ立って私はビールを飲む。ナカハラくんは白いねんどみたいなかたまりを無言でこねあげている。
(中略)
台所のテーブルを3人で囲み、ナカハラくんがめん棒で伸ばしていく餃子の皮に、葉子とふたり、スプーンであんを詰めていく。(中略)しまいに私もナカハラくんも無言になり、そういう作業所であるかのように私たちはひっそりと餃子をつくっていく。
餃子のあんをすべて詰め終え、ナカハラくんがあとかたづけをはじめたときに電話がかかってきて、葉子はすっとんで子機をつかみ、そのまま何かの密談をするように隣室へいく。ナカハラくんの洗った食器を布巾で拭きながら、
「なんなの、あれは」訊いてみるが、
「さあ」ナカハラくんはあいかわらずにやついたまま首をひねる。
しそ餃子、キムチ餃子、海老餃子、水餃子、数の子、サラダ、かに玉、脈絡のない料理を、居間のちゃぶ台に並べ、大量のビールとともにだらだらと食し、もう食えない、と私がギブアップ宣言をしたころ紅白歌合戦がはじまり、それじゃあワインでも、とナカハラくんが腰を持ち上げた段になって、
「悪いけど私ちょっと出かけてくるね。あっ、でもあんたたちはここにいていいから」
葉子が言った。
(中略)
「お蕎麦、何時ごろ食べようか」
ナカハラくんはひっそりと言う。生地のこね損だね、と言って笑ってみようかと思うが、なんだかナカハラくんをいたずらに傷つける気もして、黙る。
(中略)
「(中略)ね、これ、おせちつくったの。おいてくから、明日の朝食べてちょうだい」
葉子母はちゃぶ台にお重を置いて、得意げに一段一段開けてみせる。わあすごい、とか、きれい、とか、これもつくったんすか、とか、私たちは一応歓声をあげる。
「ねえ、あたしも1杯いただいていい? ワイン」
さっきまで葉子が座っていた席に葉子母は座り、そんなことを言い出す。ナカハラくんが葉子のぶんのグラスにワインを注ぐ。葉子母は、どこで見聞きしたのか、慣れない手つきでグラスをくるくるとまわし、すぼめた口でワインを飲む。
「あらあ、おいしい、このワイン」
「でしょう?」私は思わず言う。「これね、4200円もしたんだよ。おばさん、私今失業中なのね。失業者に4200円の出費は痛いよ。けど、せっかく葉子ちゃんが呼んでくれたんだしさ、奮発したんだよ。それなのに葉子ちゃんったらさ」
(中略)
ナカハラくんの茹でた蕎麦を、居間で黙って食べた。

店員が注文をとりにきて、私たち3人はテーブルに広げたメニュウに目を落とし、次々と品名を言い合う。比内鶏のもも肉のテリーヌ。九条ネギのとろろ焼き。本マグロ中トロのづけ焼き。生湯葉のあんかけ。温野菜のサラダ。生ガキひとりふたつずつ。
(中略)
すみれさんはマモちゃんを見据えて言い、そのとき店員が生ガキと湯葉を運んできて、3人ともふと黙る。
「わあおいしそう、いただきまーす」
すみれさんは甲高い声で言い、てきぱきと皿を分け、生ガキにレモンを垂らし、食べはじめる。
(中略)
「うう、湯葉んめーえ」マモちゃんが言う。
「まじまじ? じゃあ私もいただきまーす」火のついた煙草を左手にはさんだまま、すみれさんは箸をのばす。
私はジョッキに半分残っていたビールを飲み干して、マグロを運んできた店員に日本酒をたのむ。
「きゃー、ちょっとこの中トロ! 食べてみ! 泣くよ」すみれさんは顔を近づけて私に言い、
「まじっすか? じゃあいただきまーす」マモちゃんが言ってマグロに箸をつける。「ぐわあ、うめえー」
比内鶏が運ばれてきて、とろろ焼きが運ばれてきて、温野菜が運ばれてきて、ご注文の品はお揃いですね? と、店員が訊いて去っていく。

手渡された中身の袋を検分しながら私は冷蔵庫に入れていく。ビールと烏龍茶、冷凍鍋焼きうどんに冷凍のそばめし。抹茶アイスクリームと柚のシャーベット。ビタミン剤と風邪薬。少しは私の嘘を信じてくれていたらしい。
(中略)
もうひとつの袋からは、レモンと葱、日本酒、納豆とキムチ、アーモンドチョコレートが出てくる。

「ごはんは何品も用意されて、冷たいものは冷たいお皿、あたたかいものはあたたかいお皿、最初は冷えたグラスでおビール、そのあと日本酒かワイン、最後はお新香に炊きたてのごはんでしょ。ふかふかのタオルと糊付けされた浴衣があってさ、お風呂から出るとお布団敷いてあんのよね。(中略)」

紙袋には筑前煮の入ったタッパーが入っている。野菜を全然食べていないと言ったら、蒔田さんがつくってきてくれたのだ。
(中略)
「じゃあ買いものたのんじゃうね。お金はあとでみんなで割るから。まずビールとワイン、それから鶏肉でしょ、あ、白身のお刺身も数種類あるといいな、それからサニーレタス、紫たまねぎと......」

並んだ料理を端から見ていく。鶏肉とカシューナッツの炒めもの。茸のマリネ。生春巻き。豆腐と根菜のグラタン。それから、タッパーに入った蒔田さんの筑前煮。料理に箸をのばし、口に入れ、おいしい、と思う。文字にして思う。どこか必死にそう思っている自分に気づきながらそうしている。
(中略)
「ねえねえテルちゃん、この筑前煮、マジうまいっすよ!」
とスーパーハイテンションでどなるすみれさんに言う。

すみれさんが私の質問に答える前に、店員が注文をとりにきて、すみれさんはメニュウを読みあげていく。生ビール、スペアリブと卵の煮物、大根と帆立のサラダ、カンパチと平目のお刺身、ズワイ蟹入りクリームコロッケ。
「ねえ、なかなかいいお店だね」
(中略)
「(中略)このスペアリブおいしいよ、すごいやわらかい。あっ、テルちゃんビールたのもうか」
店員は空いたグラスを下げていく。私とマモちゃんが肩を寄せて座っていた座席では、ハゲと茶髪が同じように肩を寄せている。彼らの左右隣とも男女の組み合わせだ。私はスペアリブを箸でほぐして食べる。脂が口のなかで溶ける」

「あらー、わかるー? そうなのよう。テルコちゃんさあ、アイスとお大福とどっちがいい?」
「アイスがいいですー」
(中略)
葉子母はため息をつき、私の前にアイスクリームのガラス皿を置く。
(中略)
葉子母は立ち上がって、葉子のぶんのアイスも持ってくる。いらないと言ったのに、葉子は膝を立てて座り、スプーンでアイスをすくう。

すみれさんが何か料理をしており、マモちゃんが魚屋で買ってきた刺身を皿に盛りつけている。昼からずっと飲んでいるから、私たちはもうとうに酔っぱらい、酔っぱらうと気まずさも消えたかに思え、ああ、この状態になるために私たちはがんばって飲み続けているのだと気づく。
「テルちゃあーん、用意できたよう、さっき買ったワインにする? それともポン酒にする?」
すみれさんが声をはりあげて叫び、
「そりゃあ刺身だもの、ポン酒でしょうよ!」
私も叫び返して意味もなく笑う。
私たちはテーブルについて幾度目かの乾杯をする。テーブルには、大皿に盛られた刺身と、すみれさんのつくった帆立のカルパッチョ、蛸のトマトサラダ、イカとセロリの炒めものが並んでいる。しょう油だの小皿だのをそれぞれ渡し合い、いただきますと声をそろえる。
見知らぬ焦げ茶のダイニングテーブル。朱塗りの箸と、白い無地の皿。

「すみれさんのつくる料理は、なんでもおいしいよ。こないだからそう思ってる。今日だって私それがたのしみでここへきたんだよ」
「うっそ、まじ、まじでそう思うー?」すみれさんは赤い顔をして叫ぶように言い、「じゃあ私、テルちゃんのためにパスタつくる、さっきトマト缶見つけたからッ」
ふらつきながら立ち上がり、カウンターの向こうに消えていく。

「なんにも食ってねえの? やばいじゃん、なんかたのもうよ」
マモちゃんは言ってメニュウを広げる。
2杯目のビールに口をつけているあいだに、串焼きの盛り合わせだの刺身だの、オムレツだの揚げワンタンだのが次々運ばれてきて、注文したそれらがずらりと私たちの座るカウンターを埋め尽くしても、マモちゃんは本題に入らない。

ラーメン屋は空いており、金髪の若い店員は真剣な表情で私たちの頼んだ餃子を焼く。
(中略)
はい、お待ちィ、低く言って金髪が餃子の皿を私たちの前に置く。餃子にラー油をたっぷりつけて、口に運ぶ。何日かぶりに食べる人間らしい食事。
(中略)
「ナカハラくん、餃子うまいよ、食べなよ」
私は言う。ナカハラくんは言われるまま割り箸を割り、どうでもよさげに餃子を口に運んで、咀嚼しながら続ける。
(中略)
金髪はカウンターの内側で、今度は私たちのラーメンをつくりはじめる。器を用意し、麺を茹ではじめる。
(中略)
私たちの前にラーメンの器が置かれる。茶色いスープに、半熟のゆで卵と焼豚がのっている。「うまそっすね」ナカハラくんは言い、「私たちはしばらく無言で麺をすする。
(中略)
ナカハラくんはそこで言葉を切り、ふたたびラーメンを食べはじめる。私もうつむいて麺をすする。にんにくのにおいで顔のまわりがいっぱいになる私とナカハラくんの真ん中に置いてある皿の上では、餃子がもう冷めてしまって油が浮いている。私はそれになんとなく箸をのばし、餃子を口に入れたとたん後悔し、ビールで流しこむ。

「ここって豆腐とか湯葉とか有名なんだけど、山田さんてそういうの平気?」
ビールで乾杯してからメニュウを広げ、神林くんが訊く。
(中略)
「私は豆腐とかよりがつんと肉のほうが好みだけど」
右手に煙草をはさんですみれさんが不機嫌そうに言う。
「あ、でもほら、角煮とかあるし」
マモちゃんがすみれさんのメニュウをのぞきこみ何かを指さしている。
「汲み上げ湯葉とかっていいんじゃない」
「じゃあ適当にオーダーしちゃうよ」
(中略)
笊豆腐が運ばれてきて、汲み上げ湯葉セットが運ばれてきて、角煮、しゅうまいと続く。すみれさんとマモちゃんと神林くんは、がやがやと皿を配ったり薬味をまわしたりする。

角田光代著『愛がなんだ』より