たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ダンキン通い『アメリカ紀行』

2019年の一時帰国中にジムのバイクにまたがって読み上げたときは、この人タバコ吸ってるだけだな〜という印象しか残らなかった。
アメリカの見つかりにくいであろう喫煙所に行き、同志と言葉を交わし、3箱一気買いする。
そういう喫煙者目線の生活雑記が新鮮に思えたのだった。
最後、サンタモニカで盗難にあうところでようやく、あ、これ読んだわ、と思った。
地元ゆえに「えー、あのへんでそんなことあるー?」とかいろいろ考えたからだろう。

今回、山本文緒氏の日記エッセイを読んでこの本のことを思い出し、再読したらえれえ面白かった。
アメリカ論、クィア論、空間論、テキスト論、執筆過程など、短期間ゆえ、断片的な気づきのメモが多いがそこをもっと!具体的に!聞かせて!と合いの手を入れたくなる。
各地の気鋭の言論人も続々登場。
わざわざ目覚ましをかけてマイアミの夜中のビーチに行き、『ムーンライト』について考えるくだりなんかすごくいい。
覚えていなかったけど自分でハイライトをたくさんしてあって、それのどれもやはり興味ふかいのだった。
同じくハーバード研究留学記の犬養道子著『マーチン街日記』同様、また読み返す1冊になりそう。

モールのスターバックスで、だいぶボリュームがあるバジルソースのチキンのパニーニとアイスコーヒーを買った。

キャンパスに沿って少し歩き、交差点の角にあるGrafton Street Pubという小洒落た店に入った。ビールは7ドル、ハンバーガー13ドル。日本の外食は本当に安い。たぶんハンバーガーの調理の仕方を尋ねられたのだが、そもそもどんな可能性があるのか想像もつかないから、英語をぜんぜん聞き取れなかった。

地下にあるダイニングルームに降りて朝食をとる。タルトのようにチーズの詰め物が入ったパンが温められていて香ばしい。グレープフルーツジュースによく合うと思う。
ナッツのフレーバーがあるらしいコーヒーと、デカフェのコーヒーと、普通のコーヒーという3つのポットがある。僕は普通のコーヒーを紙コップに注ぎ、玄関のポーチに出る。そこにある灰皿でタバコを吸っていたら、続いて50代くらいの男性がやって来て、ここで何をしているのかと尋ねてくる。
日本から研究員として来ました、哲学を研究しています。そう説明すると、彼は「マインドフルネスに興味があるんだよ」と言う。

腹が減っていて、朝食をたくさん食べてしまう。それから近所にあるカフェに移り、エスプレッソを頼んだ。できあがると、赤っぽい口ひげをたくわえた店員がピースサインをして、「エンジョーイ!」と笑った。

共用のキッチンには自由に使えるコーヒーメーカーがあり、冷蔵庫のミネラルウォーターや牛乳もテイクフリーなのだが、お昼時に、誰が持って来たのかチーズとフルーツの盛り合わせがカウンターに置いてあって、勝手に食べているようなので、僕に権利があるのかわからなかったが、ちょっと食べてみた。

コンビニでは、人が非人称になる。「なる」というか、非人称に「戻る」場所である。それは「清める」ような作用をもつ場所だとも言える。すべてがリセットされ再開される聖域としてのコンビニ。駆け込み寺のような。
(中略)
宗教はreligionと聖なるものthe sacredは異なる——ジャン=リュック・ナンシーがそれを論じている(『イメージの奥底で』)。宗教とは結びつけるものだが——その語源はラテン語のreligareであるという説:re(再び)+ ligare(結びつける)——、聖なるものとは「分離されたもの」、「切り取られたもの」である。あるいは絶対的に隔たったもの、それが聖なるものだ。この意味で、実は聖なるものは宗教に対立する。宗教からも分離する、聖なるもの。
僕がいま何を食べたいのかといえば、聖なるものを食べたいのだ。

アレックスがDarwin'sという近所のカフェを教えてくれた。午前中はまずそこに行く。日本でしょっちゅうドトールに通っていたように、その店を「領土化」する。(中略)
もともとアメリカのコーヒーは薄かったが、スターバックスが濃いのを導入してから変わったんです、とアレックスから聞いてびっくりした。あのコーヒーが濃いのだという。アメリカ人はカフェインにやたら神経質だ。油だらけのジャンクフードが国民食で、ドラッグが蔓延しているというのに。
Darwin'sのエスプレッソには、フルーツのような不思議な酸味があった。豆の味を大事にしているということらしい。
この酸味をどう受け止めたらいいのか。あるいは、僕はこの酸味にどう受け止められたらいいのか、わからない感じがした。不味いほど苦いコーヒーを飲みたい、という反発心があった。たとえばパリで、戦前から続くカフェで苦いエスプレッソを飲むと、ものごとは複雑だなあ、という感慨を受け止めてもらえる気がする。でも、僕がアメリカに来たのは、もっとシンプルになるためなのだ。

ターキーのサンドイッチを買った。ものすごく大きいので半分で足りる。残りはホテルの冷蔵庫に入れておいて夜食べれば節約になる。ピンク色のベリー風味のサワークリームが入っている。それはいかにもアメリカンだと感じる。うまいと言えばうまい。この土地を離れたら思い出す味。

それからグロッサリーに行って、酒のつまみにブルサン(ニンニク味のクリームチーズ)を買おうとするが、スプーンがないと食べられない。食器は持っていなかった。言えばくれるのだろうか。Do you have a disposable spoon? と尋ねると、Yesと無料でくれる。考えてみれば、日本のコンビニだってそうじゃないか。

大学のそばにある中華料理屋に行く。中国系の従業員のなかに1人ひょろっとした白人のおじさんがいて、Tシャツの背中に日本語で「逃げ」と買いてある。ラーメンを食べたくて、それらしいものを頼んだのだが、登場したのは太い焼きそばだった。おそろしい山盛りで、具もほとんど入っていない。Lo Meinというもの。安易だった。検索すべきだった。どれだけ食べ進めても同じ味が続く。どこまでもどこまでも出口の見えないトンネルのように。

いつものDarwin'sで、ベジタリアン向けのサンドイッチを買ってみた。肉の代わりに黒い豆のフムスが入っている。それとアボカド。ピリリと辛い刻んだ紫タマネギ。甘みと多様なスパイシーさが混ざって大変おいしい。やはり大きいので、半分残しておいて夕飯にする。午後は小雨が降ったり止んだりしている。

大阪、京都、東京をめぐり、富士山にも登った。居酒屋が楽しかったという。これは「シシャモ」と言うんだよ、と写真を見ながら教える。まるごと1匹で、しかも腹に卵が入っているのでびっくりしたそうだ。

でも、アメリカの酒屋はバーボンが充実しているから嬉しい。日本ではすぐに買えないバーボンがすぐに買える。別の便利さだ。僕が一番好きなウッドフォード・リザーブを買い、その平たい瓶をロクスベリーに持ってきた。これを少し飲んでから寝る。

朝、家主は先に出かけていた。コーヒーを淹れて、バナナを食べ、またテラスでタバコを吸う。

全員が着席してすぐにパンが運ばれてくる。
(中略)
メインディッシュは牛肉の煮込みを選んだ。
最初はサラダから。チーズを振りかけたシーザーサラダ。味は普通。そして赤ワインが開封され、少し飲み始めてから順番に自己紹介をすることになった。

待ち合わせの時間になるまで、途中にあるカフェでエスプレッソを飲む。白を基調とした北欧風のようなカフェで、そのエスプレッソはDarwin'sよりもさらに酸っぱかった。豆のジュースのようだ。いかにもスタバ以後の「サードウェーブ」という感じ。こういう味にアメリカのインテリの価値観があるのだろう。しかもそのエスプレッソに炭酸水がついてくる。ヨーロッパ的な重たさとはまったく逆向きだが、そのフルーティーな味を炭酸水で洗い流すのが心地よい。これまdねおコーヒー観にしがみつく必要もないな、と思い始めていた。

ごはん、ワカメの味噌汁、ひじき、じゃこ、アメリカに来てからすでにラーメンは食べたが、典型的な朝ご飯のような和食はこれが初めてで、その塩気をとても新鮮なものに感じる。

遅いランチのために、皆でハンバーガーの店に行く。この高く積まれたハンバーガーを手で食べることができない。僕はナイフとフォークを持って、まずてっぺんのパンを外し、肉と土台のパンを一緒に切って食べる。そうすると、脇によけておいたてっぺんのパンをどのタイミングで食べるかが問題になるが、合理的な解決策がまったく思い浮かばないのだった。
(中略)
アレックスは手で食べる。何かコツがあるのか、これほどの高さのあるハンバーガーを僕が日本でモスバーガーを難なく食べるときのように食べている、ように見える。

アレックスと僕はビールを飲む。細長いバドワイザーの瓶。美味しくないけど、とアレックスが付け加える。やはりドイツ人はビールには一言あるのだ。

アレックスがお昼ご飯を作ってくれる。冷製のクスクス。缶詰のひよこ豆、生野菜、アボカド、ナッツをオリーブオイルと粉チーズであえて、クスクスと混ぜる。優しい甘みとコク。これは一人暮らしが始まったら作ってみたい。ひよこ豆は高タンパクで糖質も十分、脂質は少なく、理想的な食材だ。日本のスーパーでも缶詰で売っていてほしい。

ザルテン家の朝は早く、まだ暗いうちに3人で朝食を共にするのだが、朝食をたくさん食べる。代わりに夜は軽食。朝からトマトのパスタを食べたりする。

かつてケネディ大統領も通ったという歴史ある精肉店が近くにある。
60年代のアメリカにフランス料理を導入し、料理番組を通じて家庭料理に多大な影響を与えたジュリア・チャイルドは、アーヴィング・ストリートに住んでいて、その肉屋で買っていたのだそうだ。最後の夜はそこで買ってステーキを焼きましょうか、とアレックスが提案してくれる。
何かお礼をしようと、ボストンの街中に出たついでにマカロンとチーズを買った。過剰に鮮やかなピンクとグリーンのマカロン。それと、地元の牧場のものらしいウォッシュタイプのチーズ。
(中略)
夕方に待ち合わせをしてアレックスと一緒に肉屋のなかを見て回る。カンガルーとアリゲーターとかエキゾチックなものもあるんですよ、とアレックスが冷凍庫のなかの黒っぽい塊を指差す。でも、こういうのはどうなのか、と批判を受けて、前よりも減ったみたいですね。
サーロインを分厚くカットしてもらう。厚みの基準が日本とまったく違う。
焼くのは上手じゃないんですがと謙遜しつつ、アレックスは慣れた手つきで弱火でステーキを焼き始める。

WAHU-YA(和風屋)という店名で、寿司を出すカウンターがあり、向こうにテーブルが見える。テレビには日本の番組。流れているJ-POPはEXILEだろう。「いらっしゃいませ!」だけは日本語で、それからは英語になる。白い割烹着を着た店員、木のカウンター、冷蔵ケースに並ぶ魚の切り身。僕はひどく興奮する。ここに通えば、残りの3ヶ月も難なく耐えられるだろう。
サッポロ黒ラベルの小瓶と、5本セットの焼き鳥を頼んだ。ビールの値段は日本並みだが、焼き鳥はセットで11ドル。本当の味だ。続けて5ドルの一番安い冷酒を頼んだ。うまいのかまずいのかわからないが、十分楽しめた。

最初は地ビールがおもしろかったけれど、その後はハイネケンになり、今度はバドワイザーを買ってきた。アメリカのいわゆる地ビールはスパイスとか果汁とか入っていていかがなものか、とアレックスに言われた。ビールに香りづけするのもおもしろいのだが、サングリアみたいだ。ドイツには中世以来、ビールは麦とホップと酵母と水以外は使ってはいけないという法があるのだそうだ。

Bfreshというセルフレジのスーパーがある。その店内でつながっている隣のダンキンドーナツに毎朝通うことになった。
ボストンがそうなのかもしれないが、アメリカでいたるところにあるザ・ファストフードは、マクドナルドよりむしろダンキンドーナツである。
ターキーのソーセージというかハンバーグと、目玉焼きとチーズを、「フラットベッド」という四角形のパンで挟んだものを毎朝食べる。何で挟むかを選べるので、ベーグルにするときもある。アイスコーヒーは、紅茶みたいな明るく赤みのある色で、酸っぱい。日本のアイスコーヒーというのは苦い飲み物だった。

ダンキンドーナツで朝食をとり、スーパーとドラッグストアに寄ってから家に戻る。
卵を買ってきて、目玉焼きにするためにフライパンにオイルを垂らし、電気コンロのスイッチを入れて、もう一度冷蔵庫のほうへ行った。

定住すると食べものは一定になる。
最初は目玉焼きを作ったり、ショートパスタを茹でたりしていたが、面倒になった。タンドリーチキンやローストビーフをよく買っている。チーズは、フランスでは定番のPRÉSIDENTという別にうまくもないカマンベールがあるが、輸入品なのでバカ高い。当然だが、パリはチーズが安かった。
おいしいと思えるパンがない。一見フランスのパンみたいに見える、ずんぐりと丸いパンを買ったが、強い酸味があってびっくりした。いったい何なのかとラベルを見ると、sourdoughとある。読み方がわからない。検索すると、「サワードウ」と読むらしい。発酵のやり方のために、乳酸の酸味があるのだという。アメリカではよく食べられているようだが、僕の口には合わない。
サワードウでないことを確認し、ニンニクのかけらが混ぜてあるものを買ってみたら、生地の味がプレーンなので、毎回それを食べることにした。何個か袋に入っている安いマフィンも買ってみたが、これも変に酸っぱい臭いがしてダメ。
スーパーの量り売りのサラダバーは、チキンなどタンパク質もあるので十分食事になるが、味つけが僕にはどうも酸っぱい。アメリカの酸味。エスプレッソの酸味。それから地ビールも酸味がある。日本のビールは酸味を欠く。

空間の奥からは中国語が聞こえる。という状況で、チキンカツにカレーソースをかけたランチを食べる。揚げ餃子や巻き寿司も付いてきて9ドルほど。巻き寿司はたんにMakiと呼ぶ。ここにはラーメンもあり、味噌ラーメンなのだがとても辛く、八角風味の牛すじの煮込みが入っており、チンゲン菜が彩りを添えている。これはお腹が温まる。そろそろ冬になり始めている。

隣の席の人物が、マサチューセッツ北部の港町の話をしてくれる。そこでは獲れたての魚介類が豊富に食べられる。そのまま食べられる二枚貝もある。二枚貝を生で食べたことはたぶんないな、と思う。
サラダが来て、仔羊のローストが来た。赤ワインを飲む。前にファカルティ・クラブで懇親会に参加したときも、料理は二品、それにデザートだった。

せっかくなので、店のスペシャルだというスモークサーモンとクリームチーズがたっぷりのベーグルを買った。食べすぎだ。お昼はジェイコボウィッツさんとダウンタウンにあるビストロで待ち合わせだから、半分だけにしておく。

書いている時期は食事が面倒なので、レンジで温めるだけのチキンティッカマサラを食べるようになった。クリームの入ったトマトソースの穏やかな酸味が気に入っている。

夜は、ハーバードの大学院生たちの誘いでオイスターバーに行った。アメリカで生牡蠣を食べるのは初めてだ。当たらなければいいのだがと不安になる。牡蠣に当たったことはないのだが。帰り道でお腹がゴロゴロいって、屁がたくさん出る。フランスにもあるような丸っこいやつが甘みが強くて美味しかった。

夕食はホテルに併設のドイツ料理のレストランで、大きなソーセージとポテトを食べた。ジャーマンポテトなのだろうか。ジャガイモの切り方がバラバラ。小鉢にいろんな大きさの小石を入れた感じ。それがタマネギ、青ネギと一緒に揚げ焼きにしてある。
夜中まで作業したが、遅々として進まない。ミニバーのビールを飲む。

夜はホテルの向かいにあるイタリア風のバールに入った。賑やかな店だ。1人なのでカウンターに通される。耳たぶのような丸い形のショートパスタ、牛肉、クリームソース。

クリスマスにケータリングしたキューバ料理があるよ、と、エキゾチックな食べ物がふるまわれる。マイアミにはキューバの文化が根づいている。近くにはキューバ移民が住む地区があり、その辺りではスペイン語だけでも生活できるのだという。黒い豆を塩で煮込んだものを白米に載せる。ユカと呼ばれるキャッサバをふかしたものは、真っ白で、里芋に近い粘りがあり、ぼんやりとした甘み。それから、揚げた豚肉を甘酸っぱく煮込んだもの、酢豚風角煮。

それで、コロンビアのものが食べられるベーカリーに行って朝食。紡錘型をした黄色っぽい揚げパンに挽肉が入っている。エンパナーダというもの。

ローウィー家が祖父の代から通っているというダイナーで朝食。茶色のボックス席に座る。ファミレスの原型。
ホウレンソウのオムレツとトースト、それにもう一品——白いお粥のようなものの写真を指差し、What's this?とクリスに尋ねる。日本で会うときにはクリスは流暢な日本語をしゃべるが、今回はなぜか日本語をほとんどしゃべってくれないので、初日から英会話の特訓になっている。(中略)
それは「グリッツ」というトウモロコシが原料の主食で、オートミールのようにふやかしたものだった。頼んでみたが、ほぼ味がせず、糊みたいなもので、塩をつけて二口は食べたが、残してしまった。大きなマグカップになみなみと注がれたアメリカン・コーヒーは、想像していたより薄くなかった。

プールサイドの喫煙所で休み、ビーチを眺めに行ってから、近くのレストランでベリーニを飲み、トリュフが入っているというラビオリを食べた。

非業の死を遂げる前のヴェルサーチが毎朝通ったというNews Cafeまで散歩して朝食を食べる。スクランブルエッグをこんなに不味く作るのは難しかろうと思う。

スノーブーツを履いてポーター・スクエアの居酒屋へ。あん肝がある。

隣にあるアジア料理の店に入る。神社のような朱塗りの店内。「アジアの誤解」という感じ。ビール、パイナップルに載ったワサビマヨソースの海老天。シンガポール風だという麺は、ココナッツミルクのスープにラー油が浮いていてかなり辛い。

朝のダンキン、酸味のある薄いアイスコーヒー、この味を覚えておく。お店のアジア系の人が僕を覚えてくれて、How are you?と声をかけてくれる。以前、外でタバコを吸っていたら一緒になり、立ち話をした。彼はマレーシアから来ているという。

大学のそばでクラムチャウダーのランチを食べ、共同研究室の鍵を助手の女性に返却する。

やよい軒でキムチ鍋定食を食べ、いつも行くバーに行ってから寝た。
朝6時に起きた。マンションの外の自動販売機で普段は買わない砂糖入りの缶コーヒーを買う。

ドトールに行ってアイスコーヒーを飲んだ。思っていたより薄い味だった。ダンキンドーナツの薄さとは異質な。苦味に寄っていて、酸味はほどんとない。そして香りが弱い。濃いほうじ茶のようだった。

千葉雅也著『アメリカ紀行』より