たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

力の素を食べる『くもをさがす』

あるサバイバル物語 in バンクーバー、大変面白かった。著者のメッセージを私なりにしかとキャッチした。
頭の中になぜか辻元清美議員の姿が浮かんでしかたなかったが。

くもが教えてくれたこともそうだが、それ以上に病院に行くしばらく前からふとアルコールの欲求が「パタリと」止んでいたというのは、きっと誰かのいつかの脈絡のない祈りが効いたのではないか。未来の自分の祈りかもしれない。
ふっと気持ちが軽くなる。そういう不思議が起きると、「おや、誰かが祈ってくれたのかな」と考える。自分ももう連絡先も分からないような誰かのことを不意に思いだしたら、とりあえず幸せでいますように、今もし苦しい目にあっていても万事よきにはからわれるように、と祈るので。

実はこの著者の小説はまだ読んだことがない。
『さくら』のプロモーション活動の書店回りを追った番組をたまたま見て、「作られたベストセラー」的な偏見を持っていた。今だったら脚で稼ぐマーケティングの何が悪いのかと思うが、テレビの取り上げ方がよくなかったのだろう(他責)。というわけで次は『さくら』を読む。

くもをさがす

くもをさがす

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祖父は働いていたが、4人の子供を育てるのには厳しく、祖母は時々、夏は氷屋を、冬はうどん屋とお好み焼き屋をやっていた。私が覚えているのは、家に来る時、いつもおまけ付きのグリコのキャラメルを持ってきてくれる、朗らかな祖母の姿だった。

私は酒が好きだった。大好きだった。特にカナダに来てからは、ブリティッシュ・コロンビア州産のワインが美味しいものだから、毎日ガブガブ飲んでいた(NARRATIVEという赤ワインが、特にお気に入りだった)。コロナ禍になってからは、ウォッカやジンにも手を出すようになった。夕ご飯を作りながら、ウォッカのレモンソーダ割りやジントニックを飲むのが日課だった。本当に、酒のない日常なんて考えられなかった。それなのに、突然、パタリと欲求が止んだ。

メニューに「Nabeyaki udon」の文字を見つけて、嬉々として注文したら、じゃがいもの天ぷらと、何故かブロッコリーが入った伸びきったうどんだったりする。でも、子供逹が通っているサッカー教室のフィールドの近くに、Motonobu Udonという、美味しいうどん屋を見つけた。サッカーのクラスの後、みんなでそこに行くのが楽しみだった。私はいつも豆腐(お揚げのこと)ワカメごぼ天うどんに、とろろをトッピングした。何か好きなものを発見すると、決して冒険しない。食べ物に関しては、恥ずかしいほど保守的なのだ。

常に子供達の人数を数え、大量に食べ物をこしらえて食べさせた(餅を持参した私は、餅焼きおばさんと言われた)。

イヴァンはメキシコ人だ。いつもニコニコと笑っていて、誰よりも優しい。キャンプの時、ご飯を担当した人を毎回探して肩を叩き、「美味しかったよ、本当にありがとう」、そう言ってくれる人だった。

夫にむいてもらった梨と、マリコが送ってくれたワンタンスープを、なんとか食べる。美味しいものを、美味しく食べたい。お腹いっぱい食べたい。

私は、デヴィッドが作ってくれたうどんを食べ、マユコが作ったハンバーグを食べ、チエリが作ったお好み焼きを食べ、ヨウコが作ったおいなりさんを食べ、ナオが作ったキンパを食べ、アヤが作った炊き込みご飯を食べ、クリスティーナが作ったサラダを食べ、メグミが作ったおでんを食べ、ユウカが作ったボルシチを食べ、キットが作った魚のグリルを食べ、ケンタが作ったラザニアを食べ、マイクが作ったスープを食べ、チェリシュマが作ったカレーを食べ、ジョーが作った韓国風のおにぎりを食べ、ファティマが作ったローストチキンを食べだ。
人の作ったご飯、の力を、私はしみじみと感じた。それは、ご飯以上の何かだった。私の身体は、内側から動かすものだった。

かき氷はシロップを全色混ぜてもらって、友達と染まった舌を見せ合った。それぞれの色はカラフルなのに、全てを混ぜたかき氷を食べた舌は、どす黒い緑色になった。夜歯を磨くと、歯ブラシがその色で染まった。
りんご飴は、いつも姫りんごではなく、大きな方を買った。でも、一度も食べきれたことはなかった。たこ焼きと焼きそばは友達と割り勘で買って、交互に食べながら、やはり割り勘したラムネで流し込んだ。ラムネの瓶の中に入っているビー玉がどうしても欲しくて、でも取れなくて、みんなで瓶を割った。

エキが、ご飯を食べるようになってきた。
手のひらに置いて、口に持ってゆくと、においを嗅いで、口に入れる。最初は大好きだったカツオのおやつを少しだけ、茹でたささみを少しだけ、食べることを思い出してくれただけでも、大きな進歩だった。口から食べるようになると、少しずつだが、ボロボロだった毛に艶が戻ってきた。
(中略)
彼がドライフードを食べる音を聞いたのは、明け方だった。
カリ、カリ、カリ。
その小さな音を、自分がどれだけ心待ちにしていたか、その瞬間に分かった。私は泣いていた。小さな頃の彼を思い出しながら、泣いた。液状の糞をし、点滴で生きていたあの頃の彼が、初めてご飯を自らの意志で食べた時のことを思い出していた。彼は、生きる決意をしたのだ。
そこからの彼の回復は、目覚ましいものだった。ご飯を全て平らげ、水をたくさん飲み、綺麗なおしっことうんこをした。

新しい漢方を処方してくれたジュリアンは、「ちょっと待ってて」と言って、台所からカップを持ってきた。カップの中身は、あたたかな柚子茶だった。
「飲んでみて。」
一口飲むと、柚子の甘酸っぱさが口腔をあっという間に満たした。驚いた。「美味しい!」
思わずそう言うと、ジュリアンは笑った。
「これから少しずつ味覚が戻ってくるよ」
帰り道、韓国系のスーパー、Hマートで柚子のジャムを買って帰った。それを大量にスプーンですくって、熱湯で溶かした。それが「美味しい」ことに、そしてそれを「美味しい」と感じることに感動した。私は1日に何度も、柚子茶を飲んだ。その後数日間は、この柚子茶の味しか感じることが出来なかったが、徐々に他のものの味も感じられるようになってきた。そして1週間もすれば、私の味覚は完璧に戻った。

友人たちが作ってきてくれた美味しいご飯が食べられない日も辛かった。私や家族のことを考えて、皆、栄養たっぷりのおかずをたくさん拵えてくれたのに、カップラーメンやポテトチップスなど、ジャンクなものしか喉を通らない日があった。

私たちは、Simit Bakery(シミットベーカリー)という、トルコ系のカフェにいた。私はカフェラテを、コニーは「せっかくだから」と、トルココーヒーを飲んでいた。ベーグルが美味しいと評判の店だったので、それぞれ選んだベーグルをちぎって食べた。ゴマがたっぷりかかったベーグルは、モチモチとして、とても美味しかった。

中東系のスーパーで生のピーナッツを見つけたと言ってジーマミー豆腐を一から手作りしたり、お店で販売できるレベルのバナナケーキや、サワードーで作ったドイツ風の胚芽パンを焼いたりしてしまう。

里芋の煮っ転がし(柚子の皮を散らしてあった)、野菜たっぷりのかやくご飯、グルテンフリーの皮で作った春巻きなどなど。時には大きな筋子を買って、それを醤油漬けにしてくれた。

子供たちのお弁当はピーナッツバターとジャムを挟んだサンドウィッチにりんごや生の人参、クラッカーなどが主で、朝から火を使うことはほとんどない。ご飯を炊いておにぎりを作って、卵焼きを焼いてハンバーグを詰めて、という日本のお弁当の話をすると、皆「クレージー!」と驚く。

以前、カナダ人家庭の子供を預かった時、お弁当に硬いパンとりんごが1つだけ入っていたそうだ。その子はパンを一口かじっただけで、全て残してしまった。翌日、その子が持ってきた弁当には、前日残したパンがそのまま入っていたそうだ。
「それは流石に可哀想で、私餃子を焼いたったんよ」
アニーは言った。

ファティマのデイケアに行き始めてからは、お弁当箱をスープジャーに変えた。カレーやハヤシライス、パスタ、オムライス、親子丼などをルーティンで入れるようになった。結果、その方がSは嬉しいようだった。(中略)
レミーを預かる日は、いつもパスタを作った。マック&チーズという、マカロニをチーズソースであえたものがある。カナダでいうところのお袋の味的なものらしいのだが、これがもう壊滅的に野菜が入っていない(だからもちろん、子供は大好きだ)。レミーは、我が家では、このマック&チーズか、ペッシェパスタというジェノベーゼソースのパスタしか食べなかった。といっても、ほんの一口食べただけで、
「もういらない」
と言い、あとは葡萄かりんご、きゅうりを延々と食べている。

「小さい頃は、イチバンラーメンを週3くらいで食べてたよ! 僕にとってある意味おふくろの味だね」
彼の言うイチバンラーメンとは、サッポロ一番のしょうゆ味ラーメンのことだ。

そして、たくさんのデーツと、平べったいナンのようなパンのサンギャク、それに塗るピスタチオのスプレッドを持ってきてくれた。私は彼女にルイボスティーを淹れた。

その日はそのままノリコたち家族とSulaという素敵なインド料理のランチを食べ、翌日はコニーと、大好きなFableというレストランでハンバーガーとフレンチフライを食べた。

クリスティーナは「日本風」の花見をしよう、と言って、日本酒とブルーシートを持ってきた。日本食スーパーでテイクアウトしたスシとキンピラゴボウ、カボチャの煮付け、大福餅を食べながら、私たちはクリスティーナとビルたちの話を聞いて笑い転げた。

みんなにメールをして、それから、一人でカフェに行った。前から行きたかったカフェが、病院の近くにあったから。Le Marché St. Georgeは、思ったより狭かったけど、とても素敵だった。甘いクレープを食べた。カフェオレにも久しぶりに砂糖をたっぷり入れて、自分を祝福した。

西加奈子著『くもをさがす』より