ポートランドには多少土地勘があるので、「ああ、あのへんで...、うわー、あそこだ」とシーンを想像しながら読んだ。
が、やはり原書で読むべきだろうな。
ムラカミの翻訳といえば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の逃げタイトルが批判されたりしていたが、1996年刊の本書でもアイデンティファイ、パースペクティブ、ガン(銃)、ピックアップ(車で迎えに行くという意味で)などのカタカナ語に、翻訳の意義とは、と疑問がわいてくる。
また、「やれやれ」「きつい」「ヴォイス」などのムラカミ語に知らんがな...と脱力する。
というわけで、なんだかすごく気が散る翻訳書なのである。
そのベルトコンベヤの前では何人おが一緒に仕事をしており、できたての温かいキャンディーを包装し、箱に詰めていた。
かつて両親がカリフォルニア州サンペドロの造船所で働いているころ、貧乏な人々や政府の仕事に従事する人々に安い食事を出すレストランがあった。フランクはよくそこに家族を食事に連れていった。ある夜のメニューは、スパゲティー・ミートボールだった。1人の浮浪者の老人がテーブルからテーブルをまわって残飯を漁っていた。男はフランキーのところに来ると、何も言わずにミートボールをさっとつかんで食べ始めた。父はかっとして、「この野郎、何するんだ!」と叫んだ。「そうか、おまえスパゲティーが好きなのか」、フランク・ギルモアはそう言うと、自分のスパゲティーの皿を手に取って男の顔に押しつけた。
2日後にベッシーと息子たちは、ネヴァダ州フンボルト郡のハイウェイ沿いで、車を停めようと必死で指をあげていた。(中略)「坊やたち」とベッシーは言った。「みんなでひざまずいてお祈りをしましょう。神様が私たちのことをお見捨てになりませんようにって」
(中略)
一家のいるところまで来ると、男は小さな袋を母に差し出した。「やあ奥さん、サンドイッチと果物とカップケーキはどうです?」と男は言った。「さっきどこかの人がハイウェイでこれをくれたんです。でも私は食べたばかりでね、腹が減っておらん」
「どうもありがとうございます」とベッシーは言って、その場に泣き崩れた。「私たちはお腹がすいて、どなたにも頼れず」
(中略)
あれは3人のニーファイ人の1人に違いないとベッシーは思った。そしてLEDで「パンと水だけ」という罰を受けると、そのパンと水だけという食事が最長3週間も続くんだぜ。お昼に牛乳が1杯与えられるだけだ。俺はその懲罰を2回受けた。
フランクは言う。「テーブルにつくと、そこには素晴らしい料理が並んでいた。山と積み上げられた子牛のカツレツ、焼くか茹でるかしたポテト、色とりどりの野菜、デザート、好きな飲み物。ほかほかの自家製パンが出てくることもあった。そりゃあ豪勢な料理だったな。それなのに俺たちは食事を楽しむことができないんだ。(中略)
やがて母さんは料理のどれかを取り上げて(だいたいいつも、それはいちばん中心の料理なんだ。ローストとかパイとかね。さもなければ皿とかヤカンとかだ)、それを床にぶちまけるか、父さんに向かって投げつけるかするんだ(中略)」「(中略)父さんは手をのばして、俺の頭の後ろをつかんで、ビーフ・シチューの中へぐいと押しつけたんだ。俺たちはそのときビーフ・シチューを食べていたんだよ」(中略)「顔を上げたとき、そこにはビーフ・シチューやら人参やらポテトやらがべったりついていた。(中略)」
つい最近のことだが、フランクと僕はある夜、一緒に中華料理を食べにいった。ポートランドにあるなかなかうまい大衆向きの中華料理店で、店名は<漢華楼(Hung Far Low)>という実に覚えやすいものである。僕らは子供のころからよく家族でここに食事にきたものだった。どんぶりに入った中華そばをすすりながら、僕はフランクに尋ねてみた。
(中略)
「(中略)僕は雑貨店に入って、ミルキーウェイ・キャンディーをポケットに突っ込んで、店を出た。(中略)」父と兄たちと僕は、車に乗って、中華料理店に言った。帰宅したのは暗くなってからだった。母は僕らの留守中にチョコレート・チップ・クッキーを焼き、テーブルに並べて帰りを待っていた。それは僕の大好物であり、母は最高に料理が上手だった。
「よう、腹減ってないか?」とゲイリーは訊いた。「ジョージズ・コニー・アイランドに行ってチリドッグを食って、それからビールを飲もうや。俺がおごるからさ」
フランクはそれを受けた。
<ジョージズ・コニー・アイランド>はポートランドの南側にあるホットドッグ・ダイナーである。そこで出す料理はたったひとつ、ホットドッグだけだ。でもそれは最高にうまいホットドッグだった。ジョージという年とったギリシャ人が店を経営していたが、このジョージにはちょっとした伝説があった。父の話によれば、ジョージは百万長者で、ポートランドのウェスト・ヒズの大邸宅に住んでいた。しかしホットドッグを作って客に出すのが何より好きで、身体を忙しく動かし、人々と触れ合うために、ダイナーを経営しているというのだ。父はジョージを昔からよく知っており、ダウンタウンに行くたびに、僕らを<ジョージズ・コニー・アイランド>に連れていってホットドッグを食べさせてくれた。ゲイレンは酒があれば、とことん最後まで飲んだ。つい数年前までビールと赤ワインが好みだったというのに、今ではペパーミント・シュナップスみたいな、胃のでんぐりかえるような凄い代物を飲んでいた。僕はそのもわっとする甘ったるい代物を一口飲んだことがあるけれど、思わず吐きそうになった。でもゲイレンはそれを一晩中でも飲んでいられた。
今はジェローを食べていて、調子はだいぶ良くなっていると言っていた。
いろんな食餌制限があったんだが、母さんはもちろんそんなことは気にもしなかった。チョコレートが母さんの主食みたいなものだった。母さんの胃の状態を考えたら、そんなものが良いわけはないんだ。それ以外に母さんはほとんど何も食べなかった。でもある特定のパンだけは食べた。ある日店にそのパンを買いにいったら売り切れだった。そしたら母さんはヒステリー状態になってしまった。わざとパンを買ってこなかったと言って俺のことを責めるんだ。そのときの言い争いはそれはすごいもので、近所中にすっかり聞こえたと思うな。
マイケル・ギルモア著 村上春樹訳『心臓を貫かれて』より