たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

オックスフォード滞在中に『赤と青のガウン』

最近文庫化が話題になったが、どうも読んだことのあるような気がしてチェックしたらなんと2015年(10年近く前!)にKindleで買って途中から積読になっていた...。オックスフォード滞在前後に読み、帰りの機内で読了。

恐れながら三笠宮寬仁親王については、結婚会見での「いろいろな女性と付き合ってきたけど、結婚するのは彼女がいいと思ってね...」発言にドン引きしていたのだが、本書で印象が大きく好転した。

お宝発掘場所として言及のあったオックスファムに寄ってみた。特に何も買わなかったのだが、使用済みの絵葉書が売られていたのには驚いた。

かの有名なクライストチャーチの食堂の何がすばらしいか。この大学の古い建物のすべに言えることだが、今も使われていること。食べ物のにおいが漂い、脇にカトラリーやグラスが並び、入り口にはアレルギー表示などの最新情報の電光掲示板があり...。

到着した日は博物館の前にあったガザのジェノサイドに抗議するキャンプが滞在中に次々と広がっていった。

「ハイ・ストリートにある英国で最古のコーヒーハウス、グランド・カフェ」は観光客向けに走ったプレゼンテーションになっいてやや落胆(クリームティーは美味しかった)。女王が通ったころはもう少し学生も来るような雰囲気だったのかな。

起きるとまずは朝食。フロント・ファイブはキッチンの付いていない寮だったので、入学当初は三食コレッジの食堂で食べていた。しかし、トースト、果物、コーヒー、紅茶という選択肢の変わらない朝食にすぐに飽きてしまい、食堂での朝食から脱落したのは一週間ほどたったころのこと。朝は自分の部屋で食べることにして、部屋の小さな冷蔵庫に牛乳やジュース、ヨーグルトなどを保存し、パンやシリアルと一緒に食べていた。

守衛所では郵便物チェックのほかにもう一つすることがある。それは夕食の席の確保。コレッジで夕食を食べるときは、守衛所にある機械にカードを通して事前に予約をしなければならない。まず、普通食かベジタリアンかを選び、6時半からのカフェテリアスタイルのカジュアル・ディナーか、ガウンにジャケット、ネクタイ着用で出席する7時15分からのフォーマル・ディナーにするかを決める。5日くらい先まで予約ができるが、当日は朝の10時で予約が締め切られてしまう。予約するのを忘れて夕食を食べられなくなるのは、キッチンをもたない学生にとっては大きな事件なのだ。

ランチタイムは12時45分から。1時を過ぎるころには、学生が食堂の入り口から20mくらいの列をつくる。ミール・カードというプリペイド・カードを食堂の入り口にいるスタッフに渡し、昼食代を払う。メイン料理は3種類ほど。どれか一つを選び、その横に付け合わせの野菜を盛ってもらう。メインのほかにも、スープやデザート、取り放題のサラダバー、ヨーグルト、果物、チーズなどがある。組み合わせは自由で、フルコースで食べる人もいればサラダだけの人もいる。何を食べても料金は一律で1.5ポンド(300~400円)くらいだったと記憶している。

7時ごろには夕食である。朝食は一週間で脱落した私も、ひと月くらいは昼夜、食堂で食事をとっていた。しかし、英国料理はヘビーである。毎日二食も食べていたら胃がもたない。2カ月目くらいから昼夜どちらか一食は食堂に行き、一食はサンドイッチなどを買って軽く済ませるようになった。

時間になると、奥の扉からガウンを着た学長以下、先生方がぞろぞろと入場し、テーブルの周りに立つ。机に備え付けられている 木槌 を学長がドンドンと二回叩くと、全員が起立。その日出席しているなかでいちばんの優等生が進み出て、ラテン語でお祈りを述べる。お祈りの最後、学長が「アーメン」といったら、着席して食事が始まる。前菜、メインのあとにデザートという流れである。

オックスフォードで留学生活を始めて4カ月ほどたったある日、私が連絡をしそびれてしまっていたケルトの研究をしている学生さんからメールが来た。グッドマン先生から私のことを聞き、「よかったらお茶でもしませんか」と声をかけてくれたのである。そのときは私もだいぶ心に余裕が出てきていたので、「ぜひ」といってマートンの近く、ハイ・ストリートにある英国で最古のコーヒーハウス、グランド・カフェでお茶をする約束をした。

英国らしい家具だなぁなどと思っていると、ほどなく給仕の人が現れた。女王陛下の隣のテーブルにティーセットとお菓子の載った銀のお皿が置かれる。お茶をカップに注いでくれるのかと思ったら、なんとそのまま下がっていってしまった。大きな部屋に残されたのは、女王陛下と私、そして走り回るコーギー。さあ、どうしたものか。はたしてこのお茶を準備するのは誰の役目なのだろう。当然ながら私のほうが立場は下である。でもここでは、いちおう女王陛下がホストで私がゲストということになるのだろう。ティーポットに手を出すべきか、出さざるべきか。「日本だと給仕の人がお茶の入ったカップをもってきてくれるのに!」などと逡巡していると、女王陛下がさっとお茶を入れてくださり、お菓子を勧めてくださった。たいへん失礼ながら、お茶をお入れくださったそのお姿が、私の祖母と重なり、少しだけ緊張がほぐれた、
約1時間に及ぶ女王陛下と二人きりのアフタヌーン・ティー。

そういうわけで英国での外食には少なからず危険が伴う。たとえば、英国で有名な某日本料理チェーン店(オーナーは日本人ではない)では、カレーライスを頼むとココナッツミルクが入っていたり、うどんを頼むとただ 茹でただけのうどん(つゆなし)が出てきたりする。それでも昼食時はそういった店に 長蛇 の列ができ、それを日本食であると信じてもりもり食べている人びとがいる(日本人はほとんどいない)。

厨司(宮家専属の料理人)のいる家庭で生まれ育ったけれど、料理は昔から好きだった。最初はお菓子作りが中心で、家族の誕生日にケーキをつくるのは私の役割。ヴァレンタイン・デーの前日は、職員や側衛たちに渡すお菓子を焼くために、厨房のオーブンを毎年占領したものである。夏休みで軽井沢の別荘に行っていたときなどは、ときどき私が料理を担当することもあった。とくに習ったわけではないのだけれど、厨房に出入りして料理ができあがっていく過程をみるのが好きだったせいか、いつの間にか見様見真似でそれなりのものはできるようになっていた。

食欲のないときによくつくっていたオリジナル料理がある。マッシュルームとプチトマトをオリーブオイルで炒め、希釈していない麺つゆで味付けをする。茹でて冷水でしめたうどんの上にそれを載せ、ルッコラやサラダ用のほうれん草などの緑の葉を周りに散らす。その上から黒コショウをがりがりっとかけ、最後にリンゴ酢を回しかけていただくサラダうどんである。うどんにオリーブオイルに黒コショウ? と思われるかもしれないが、意外と合う。先日久しぶりにつくってみようかと思ったが、日本に帰ってきてしまったいまではかえって高くつく料理になってしまった。

さて、オックスフォードにはカバード・マーケットというマーケットがある。(中略)用事がなくてもぶらぶらするだけで楽しい。勉強に行き詰まるとクッキー屋さんに焼きたてのクッキーをよく買いにいった。チョコレートがとろけて、頭がきーんとなるくらい甘いクッキーを食べると、脳に栄養が行き渡り、「よし、また頑張ろう!」という気持ちになれた。

一度カバード・マーケットで「トリュフ・ポテト」なる皮が真っ黒のじゃがいもを買ってみたことがある。理由は、なんだかいつも買わない食材を買って料理をしてみたくなったからである。ちょっとわくわくしながらまず水で洗い、半分に切ってみた。そこでみたのは予想外の光景。お芋の断面がなんと紫色だったのである。とりあえず一個だけ茹でてみることにして、鍋を火にかけたまま部屋に戻り、インターネットで「黒い じゃがいも 紫」という検索ワードを打ち込んで調べてみた。すると、北海道で採れるインカパープルなる紫のじゃがいもがあることが判明。
(中略)
しばらく悩んで恐る恐る口に入れてみると......とてもおいしかった。よくよく考えてみると当たり前だ。その見た目と茹でたときの色の変化でなんだか恐ろしい毒物のように思ってしまったけれど、もともとただのじゃがいもなんだもの。その日つくった紫色のポテトサラダは、とてもとてもおいしかった。

食材をいろいろ買っても、使いきれずに駄目にしてしまう場合が多い。仕方なく3種類くらいの野菜を1回の買い物で買い、3日ほどその野菜を使った料理をつくりつづける。洗い物をなるべく少なくするため、基本的にはワンプレートディッシュ。聞こえはいいけれど、要するに「適当」である。ひどいときは丼のご飯の上に野菜炒めを載せ、さらには納豆まで載せて食べたりもしていた(これが意外とおいしいのだけれど)。
(中略)
何人かで集まって持ち寄りパーティーをすることもあった。博士論文を抱えて苦労している仲間たちなので、気分転換と実益を兼ねた料理会は積極的に参加してくれる。(中略)そんなときに人気の日本料理といえば、カレーやお好み焼き、肉じゃがなどである。
一方、外国人に「伝わらない」料理というのも少なからずある。「スシが食べたい」と英国人の友人にいわれたのでちらし寿司をつくったときには、「これはスシじゃない」と否定された。白玉団子は「ん~、ガムみたい」といわれて不評。レシピをわざわざ調べてどら焼きをつくり、結構おいしくできたのに、日本人以外はノーコメント。多くの外国人は「甘い豆」が苦手なのを知ったのはそれからしばらくしてからのことである。

遊びにいったときのゴッドマザー彬子の役割は「夕食当番」である。(中略)ここぞとばかりに自分のためにはつくらないドリア、リゾット、ベルギー風のビーフシチューなどをつくる。煮込んでいるあいだに論文を書き、論文書きに発狂しそうになると、ななちゃんを突っつきにいく。

せっかく美食の国フランスにいたのに、その三日間でわれわれが口にできたものは、ピザ、マクドナルドのハンバーガー、スーパーで買ったお惣菜……などだった。

ディズニーついでに、もう一つ。あるとき「ジョーさんは料理ができるのか」という話になった。「ほとんどしないけれど、昔はよく娘のためにパンケーキを日曜日にはつくってあげていた」というジョーさん。パンケーキを焼いているジョー・プライス。なかなかイメージが難しい。「ジョーさんのパンケーキ食べてみたーい」とせがむと、なんと翌朝につくってくださるとのこと。
そして翌朝。側衛とご自宅にうかがう。そこには、エプロンをしたジョーさんがパンケーキミックスの入ったボウルを左手、お玉を右手に、真剣な表情でフライパンと対峙している。
(中略)
「ジョーさん、ほんとうに大丈夫?」
そんな言葉を心のなかでつぶやく私をよそに、ジョーさんはパンケーキを焼きはじめる。すごく小さな丸いパンケーキをつくり、そして、大きなパンケーキをつくる。どうやら不器用だからそうなっているわけではなさそうである。しばらくみていると、大小のパンケーキが合体して、なんとディズニーランドでみたあの世界一有名なネズミ君になったのである。
(中略)
世界広しといえども、ジョー・プライスの手料理を食べたのは、ご家族を除いては私だけだろうと自負している。

民宿「M&K」に泊まるときは、いつもマキさんのおいしい手料理をご馳走 になった。マキさんのお料理の腕はプロ級で、ケーキやパンはもちろんのこと、ロンドンに居ながらにしてごま豆腐やお豆腐、ヨーグルトまで手作りしてしまう。ガーナにいたときには納豆までつくっていたというつわものである。一緒にスーパーに買い出しにいき、ご近所のチャリティーショップをはしごして帰ってきて、お茶をしてほっこりすると、私は勉強。その間にマキさんがご飯をつくってくれ、ケイスケさんが帰ってくるのを二人で待ったりする。ほんとうに自分の家のようだった。
マキさんの料理でいちばん思い出に残っているのがお雑煮である。
(中略)
ちなみにわが家のお雑煮は、1日がぶり、2日が白味噌、3日が鶏肉と野菜である。でも、本来皇室ではお雑煮は頂かない。花びら餅というごぼうと白味噌餡、 小豆の御餅を求肥で包んだ和菓子をご存じの方は多いと思うが、あれの原型である「御菱葩」をお正月に頂くのである。白くて平らに延ばした丸い御餅の上に小豆の御餅、甘く煮たごぼうと白味噌が挟んである。白い御餅は「お盆」といって食べずに、中身だけ頂く。
(中略)
山形出身のケイスケさんと京都出身のマキさん。お互いの実家のお雑煮にこだわりがあるので、両方つくってくれるという。山形のずいき入りのおすましのお雑煮と京都の白味噌のお雑煮。さらに、マキさんのおばあさまのご実家である香川風までつくってくれた。それは、あんこ餅を白味噌雑煮に入れる食べ方で、甘しょっぱくて私は好きな味だった。人の家のお雑煮を食べる機会というのはなかなかないのに、3種類のお雑煮を食べさせてもらい大満足。初めて食べる、わが家の味ではないお雑煮。お腹いっぱいお雑煮を食べて、食後にちょっとごろごろ。

「英国のおいしいものといえば数限りない!」といいたいところであるが、残念ながら現実は正反対である。でも、数少ないおいしいものにスコーンがある。アフタヌーン・ティーでは、キュウリのサンドイッチやケーキと一緒に2~3段重ねのティースタンドに載せて供される、ずんぐりむっくりの丸い焼き菓子。紅茶と一緒に供するクリーム・ティーもポピュラーである。クリーム・ティーといっても紅茶にクリームを入れるわけではなく、スコーンにクロテッドクリームとジャムを添えることからこのように呼ばれるらしい。
英国の人たちは、いろいろなことで論争をする。紅茶にミルクを先に入れるか、あとに入れるかはとても代表的なテーマである。
そして、スコーンにクリームを先に塗るか、ジャムを先に塗るかというのもよくあるテーマで、皆自分の主張を絶対に曲げないのである。スコーンを横半分に切って、クリームを先に塗るのがデヴォン式。ジャムを先に塗るのがコーンウォール式である。私はジャムが塗りやすいので、コーンウォール式の食べ方が好きだ。
いろいろなところでスコーンを食べてきたけれど、私が世界一おいしいと思っているのが、オックスフォードの友人、ジェイミーのつくるスコーンである。ジェイミーは私の寮の真向かいにあるニュー・コレッジのチャペルで働いている。
(中略)
ある日ベネディクトが「ジェイミーのところでお茶をするからお腹をすかせておいで。とんでもなくおいしいスコーンが食べられるよ」と声をかけてくれた。スコーンは大好きなので、お昼を控えめにして、オックスフォード市街から20分くらい歩いたところにあるジェイミーの自宅に向かった。
そこでジェイミーが出してくれた焼きたてのスコーンは目が飛び出るくらいのおいしさだった。外はカリッと、中はしっとりしてほわほわ、ほんのりした甘さの加減も絶妙なのである。ベネディクトの友達たちはこのおいしさをよく知っているので、お昼を抜いてきて、10個以上食べた人もいるらしい。プレーン、シナモン味が基本で、ときどきリクエストに応じてチーズ味もつくってくれる。よくあるレーズン入りは「ジャムとの相性が悪い」という理由で頼まれてもつくらない方針らしい。

マートンではハイ・テーブルのディナーがあり、ガウンに身を包んだ教員たちが集まって食事をする。まずは前室に集まり、シェリーやオレンジジュースなどを飲みながら雑談をして待つ。開始の時間が来ると学長から順番に食堂に入り、自分の名前の置かれた席に着く。学生で一番の成績優秀者がお祈りの言葉をいい、そのあとに食事が始まる。前菜、メイン、デザートという構成は、一般学生の食事と同じだが、メニューは全然違う。教員用の食事はレベルが上で、食材もカモ、シカ、舌平目など、高級食材が使われるし、味も格段に良い。食事に合わせてワインも供される。学長が毎回席を決めることになっていて、普段あまり面識のない先生たちとお話ができるのも楽しい。
食事が終わるとお祈りがあり、いったんお開きとなる。そして、セカンド・デザート(文字どおり2回目のデザート)に行く人は自分の使っていたナプキンをもって別室に移動する。ガウンを脱ぎ、食事のときとは別の人たちと座る。テーブルの上には、チョコレートや果物が並んでおり、各自お皿を回して好きなものを取るのがルール。一緒にポートワインも回ってくるので、それらを自分の席で止めずに隣の席の人に渡しつづけなければならない。セカンド・デザートの席では、それらのお皿やお酒がぐるぐると4周くらい回ってくるのである。
(中略)
よい頃合いになると、三々五々席を離れる。そのまま帰る人もいれば、また席を移ってお茶やコーヒーを飲む人もいる。こうしてハイ・テーブルの夜は更けていくのである。

さらに、スイスといえばチーズ・フォンデュも大好きだといった。すると、スイス人でもヘビーだからあまり好きではないという人が増えてきたそうで、「日本人のアキコが好きだというのはとても嬉しい」と喜んでくれた。そして、それならばチーズ・フォンデュを食べる会を企画しようという話になったのだった。
ハイ・テーブルの会から約2カ月がたったころ、チーズ・フォンデュの会が開催される運びとなった。

アルプスの山々を背景に、日本では経験できない壮大なスキー、何百mもある崖を雪崩が落ちていく音、お散歩の途中で突然遭遇したアイベックスの群れ、バーバラが日曜日に焼いてくれる三つ編みのパン、庭に机と椅子を出してアルプスの大自然のなかでの論文書き。

昼食も夕食も人がキッチンに来ない時間帯にささっとつくり、自分の部屋に戻って食べる。執筆中の唯一の息抜きといえば食事なのだが、一人だと手のかかるものをつくらないので、いつもおうどんやどんぶりなどの簡単なものになる。食べるのも十五分もあれば終わってしまう。ご飯をつくっているときも、食べているときも、論文のことが頭を離れない。

私の行きつけだったのは、オックスフォードの目抜き通りにある十八世紀ごろの古い木造建築を改装したサンドイッチチェーン店。(中略)
ここのサンドイッチは、あまり食べ物のおいしくない英国にあって、比較的まともである。そして、サンドイッチもさることながら、コーヒーが安くておいしい。星形にココアパウダーを振ってくれるのが嬉しくて、注文していたのはいつもカプチーノ。たまたまベルギー人の友人がこのチェーン店のシステム・エンジニアをしていたので、コーヒーのおいしさについて聞いてみた。すると、その秘密は豆の量にあるのだという。一般的なコーヒーチェーン店が1杯のコーヒーに使う倍の量の豆を使っているらしい。

彬子女王著『赤と青のガウン オックスフォード留学記』より