たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

食べものに力がなくなっている『生活を創る(コロナ期)どくだみちゃんとふしばな9』(1)

『イヤシノウタ』にたまたま出会ってから氏のエッセイをつまみ食いしている。ちょいちょいQなにおいがする危ういことも書いてあるので、おそるおそる。パンデミック中の食べ物に対する気づきがたくさん書かれていて面白い。

to goの食べ物にもいろいろある。歩くとちょうどいい運動になる、家から徒歩10分くらいの「第三新生丸」のおいしすぎる持ち帰り(特に刺身)が我が家の生命線となっているのだが、今はあちこちでいろいろ売っているので、気まぐれにいろいろな場所でランチなど買ってみる。
今日は試しにとあるところでとってもオーガニックなお弁当を買ってみたけれど、自分の体調が悪いのでもコロナなのでもなく、味が漠然としていて、どのおかずも全体的に切れ味がジメッとしていてとにかく重い。食べたら体が重くなって立ち上がれなくなった。そこまでがんばって食うなよという説もあるけど、残したくなかったのでなるべく食べた。すると、なんというのだろう、糖尿病体質の人にはわかると思うのだが、だるいを超えて眠いあるいはどうしようもなく重いみたいなとてもよからぬ状態がやってきた。これは、人が死ぬような食べ物だなと思った。オーガニックで、材料もよくて、それを組み合わせて......と頭で考えたら最高なものを、体が拒絶するという。(中略)
ちなみに私は前も書いたが、生に近い卵とほうれん草とごま塩と玄米をいっぺんに食べるとすぐ吐ける。間違いなく強すぎて体が拒絶しているのだ。カツ丼と白米と豚汁をいっぺんに食べても全然大丈夫なのに。

いつものスペイン料理屋さん「ラ・プラーヤ」がテイクアウトのとんかつをやっていると聞いて、顔も見たいし応援したいので、行ってみた。
おやじさんは、いつも通りにひたすら料理をしていた。
本なんて読む気にならない、お客さんが来ようと来まいとなにか作っていたい。
今は魚介が最高の時期だし、どうしても見過ごせない。いい材料でなにかを仕込んでいたい。それだけしかない、と言っていた。
しょうがないよ、食いものやはうまい食いもの作り続けていないと、と。

近所のスーパーで有名な「華けずり」という肉。そして「第三新生丸」の奥さんにおすすめだと教えてもらった「オーブンロースト用」という肉、牛も豚もある。1キロくらい買うのがコツだけれど、とにかく安い。それを求めて夫の車に乗せてもらっていくのが最近の日々のロマンである。
歩いていくにはちょっと遠いというのと、肉を1週間分何キロも買うから歩くと重くて泣きたくなるのだ。ついでにかぶとか重い根菜をつい買っちゃうし。

ついこのあいだまで子どもなんてほとんど外食で帰ってこなくって、夫とふたりだからシャケとみそ汁と目玉焼きでいいや的な超楽な日々だったのだ。今は下手すると1日2食4人分作っている。しかもそこに高校生が含まれているからハンパなく食べる。

ロバートの秋山さんがコントで高級食パン屋の店長をやっていて最高だったが、実際、私は心から飽きた。あの食パンたちに。たまにならいい。でも、いつも食べるものではない。湯種だろうがクリームだろうが、なにをどうやっても飽きてしまった。
パリで買い食いするクロワッサンとかバゲットって、やっぱり毎日食べるような味にちゃんとできてるんだな~、というのが実感だ。
そんなとき、GET WELL SOONのパンを取り寄せる。冷蔵庫でもバッチリ日持ちするし、それを霧吹きをかけて焼けば完璧に味が再現される、しみじみと粉がおいしいパンだ。
しみじみと地味でおいしいけど、自分では作れない技術がある。それが大切な感じがして、めぐりあいに感謝している。
時間指定どおりについた無骨な箱を開けると、飾り気のない姿の良いパンとパイがちょこんと入っている。おまけも入ってた。いちじくのパンだった。耐えきれずつまみぐいをして満腹になるも幸せを感じる。

ひとりでカウンター席に座ってなにか食べていると、「すみません! 鶏肉今売り切れちゃって、豚でもいいですか?」なんて言われて、「いいですよ」と言うと、「おいしく作りますから!」と言われたり。あるいは無愛想な板さんなんだけれど、「おいしい!」と言うとにっこりしたり。

薄~い肉をピーマンと組み合わせたりして、努力している。ちょっと油が古いけれど、揚げ方もそんなに悪くない。そして安くもないけど高くもない。
でも、素材含め全てが死んでいる。ああ、えび天のえびって死んだえびなんだなって生まれて初めてしみじみ思った。

これほどまでに白米が好きな私が、「むむ、玄米をよくかんで食べると調子がいいぞ」と思うような今日この頃、自分がおじいさんになって弱っているからもありますが、空気が汚れていて、かつ、他の食べものに力がなくなっているからだと思います。
昔は朝7時で味わえた空気が今はかろうじて5時くらいにちょろっと感じられる程度。ピーマンなんて10個くらい食べないと、昔のピーマン1個からもらえた力が出てこない。

数週間前にお弁当を買った「かまいキッチン」(玄米ごはんに優しいおかず、でもアドボとかも入っててすごくおいしい)のお姉さんが、「あ、先日も買ってくださいましたよね、いつもありがとうございます!」と笑ってくれて、「私自身はソーシャルディスタンスを取ってるのに、犬が近づいちゃってごめんなさい!」って言って、微笑みあって別れる。
これだけのことで、たたでさえおいしいお弁当が100倍おいしくなるのです。

青山に行く用事があったので紀ノ国屋におじいちゃんのうなぎ弁当を買いに行くも、ものすごく混んでいて、ほとんどの弁当が売り切れていた。なんとかしてひとつ手に入れる。あとはお惣菜だけ買って、米はうちで炊こうと決める。

久々に「つゆ艸(くさ)」に行ってケーキを食べてお茶を飲んで、植木を買って帰る。

そしてたとえば「丸鶏を経済的に買って、1週間で食べ尽くしたい」と思っても都会のスーパーには売ってないときがほとんどなのです。なので売っているパックのぶつ切りとささみと手羽とももとむねと砂肝を買って……パズルかい? と思います。昔「探偵!ナイトスクープ」でやっていましたね。ケンタッキーをいっぱい食べて鶏の骨格模型を作るの。できてましたよ。

山盛りのいんげんが届いて、まずは洗って。
茹でたり、ごまで和えたり、バターで炒めたり、素揚げにしてそうめんに添えたり、焼きそばに入れたり、ビルマ汁にしたり。
だんだん濃い味にしていくのが基本だ。

いんげんは姿を変えて、数日間テーブルに乗る。
その自然さが都会ではなかなか得られなかったことにびっくりする。
ひと箱の玉ねぎが親戚から届いて、毎日毎日食べる。飽きることはない、野菜だからいろいろ変身するし、懐かしいその感じ。

湯がいたばかりのいんげんを味見して、プリッと音がして、熱い汁が出てきて、その汁がなんだか甘くておいしいとき、命がギラっとなるのがわかる。
そういうことを忘れないでいたい。

お向かいにとうもろこしをおすそわけしたら、奥さんからはちみつと激うまのパンが、夕方には帰宅しただんなさんから有名なシュークリームがやってきた。こんなに? と思っていたら、ふたりはやりとりしてなくて、それぞれでお礼を持ってきてくれちゃったそう。うん! ずっとマメに連絡をし合わないでいいよ、と思った。

吉本ばなな著『生活を創る(コロナ期) どくだみちゃんとふしばな9』より