「かっこいい焼き人」といえば、私にとっては尼崎のカウンターだけのお好み焼き屋さんだな。どれだけ多くの友人知人を連れていったか。こないだふと思い出して検索してみたら、少なくともまだあった。
少し前に、冷凍したイノシシの肉をしゃぶしゃぶでいただいたのですが、「冷凍してあるのだから、そんなに臭みも力もないのだろう」と思っていたのが大間違い、ちょっと獣くさいたった1キロの肉を成人男性3名と女性3名で食べたというのに、全員満腹になり、しかも満腹というよりは、「力がみなぎった」というのが正しいような感じでした。よく「精力が」という言い方をされるんだけれど、そのジャンルというよりも、むしろ生きものとしての全てがアップする感じ。眠くならないし、短時間でパッと起きられる。
ナスDがシピボ族の最奥の村に滞在した時、冷蔵庫がないところだから、何も獲れなければバナナを塩で煮たものを、獲物があったり祭りのときは捌きたての肉(しかもある程度までは狩りの現場ですぐ捌いて劣化を防ぐ)をその場で調理&すぐ食べる、そしてたくさん捕れたら他の村に分ける、という生活をしている村だったのですが、そこから山を降りて少し人里に近づいた食堂で定食を食べて、「この料理はあの最奥の村の味を目指しているんだろうし、確かにすごくおいしいけれど、今まであの捌きたての調理したてのものばかり食べていたので、力が全く違う」と言っていた、その気持ちのかけらがわかる気がしました。
昔うちの近所に宮崎居酒屋があり、毎日のように通っていた。
安くてそこそこおいしく、いつも混んでいて活気があり、
そして焼く人の技術が高かった。
彼は炭火の魔術師だった。
安い食材をおいしく変身させる気合と技があった。名物は地鶏の炭火焼で、鉄板でジュージュー音をたてながら出てくる。
柚子胡椒をたっぷりと焼き油に溶かして鶏を食べ、最後にその油で小さいチャーハンを作ってくれる。
(中略)
あるとき、野田さんの地鶏の炭火焼を取り寄せてみた。
「こんなにちょっぴりしか入ってないの?」と最初思った。
でも、ホットプレートで焼いてみたら、まさにあのとき食べていたおいしいほうの地鶏の味がした。歯ごたえも、油も、おいしいほうの味よりもいっそうおいしかった。たくさん食べなくても大満足。
そして残った油であの頃のようにガーリックライスを作ってみた。
ああ、あの店の人たちがほんとうは作りたかったもの、言いたかったことはこれだったんだという味がした。これか! そういうことだったのか! と。
家だから贅沢に食べることができるし、そういうわけで材料もいい。
それにしてもうなぎ全体から漂ってくるこれまたハンパない川の匂いというかどぶっぽい匂い。くくく、これはどうしたものかと思いつつ、がむしゃらに下ゆでして血合いを洗って肝吸いを作る。そのへんの醬油とか酒とかほんだしで。
そうしている間にもりんたんがものすごい勢いでうなぎを蒸し、焼いている。
そしてやっぱり家中が川くさい。
しかしタレで焼いたら臭みは消えた。さらに肝吸いもおいしいレバーの味になった。
食べているあいだ、全く油の重みは感じなかったが、なんだかわからないけれど身体中が熱くなる。汗だくになる。部屋の温度は変わっていないので、うなぎ力と思われる。
(中略)臭いなあと思いながら過ごしていたが、ふと気づくと全く眠くない。疲れもない。ハイなのでもない。ふつふつと体力が湧いてくる。これがうなぎのほんとうの力なのかとびっくりした。
明け方まで仕事をして、やっと眠くなって寝るが、目覚めもすっきりだ。さらに夕方まで全くお腹が減らない。そして悩みが一切なくなる。体に入っていたよけいなものが毛穴から尿からどんどん出ていくのが実感できた。
なんだこれ? 食べものってこんなにすごいものなのか?焼肉屋さんで焼肉を食べるほうがおいしいし、チゲも頼みたいよね~、でもきっとあのお店のことだから、冷めてもおいしいはずだよねと思いながら待っていて、届いたものを見たら、汁がでないように完璧にシールドされたパックの中に整然と、「千里」特有のおいしい味付けのものが詰まっていて、気絶しそうになりました。
こんなとき神だと思う中華が一軒だけある。年中無休で23時まで開いているのだ。そこに飲みに行って、全てが冷凍でも、切っただけでも、炒めただけでも、台湾料理なのに絶対中国人がやっていても、焼酎のソーダ割りが鬼のように濃くても、もうなんでもかんでも許すしありがたい。
70年代風のインテリアもいいし、音楽はずっとビートルズだった。そこのホットサンドは私の人生でいちばんおいしいホットサンドだった。コーヒーもおいしかったので、何時間も座っておしゃべりをした。
死ぬ直前なのにお正月にむちゃくちゃかまぼこを食べていたのも忘れられない。最後の誕生日にコロッケを4個も食べていたからうっかり「まだ死なないな」と思ってしまったことも。
息子が深夜に「天下一品ラーメンを作って」と店まで指定して言うので、取り寄せておいたストックから作ってあげる。
食べ終わって彼が言う。
「すごくよくわかった。おいしいけれど、俺はやっぱり鶏の白湯よりもとんこつが好きだってことが」
作ってくれと言っておきながら!敬老の日なので、おじいちゃんの家に行ってうなぎを食べる。
おじいちゃんはほとんど寝て過ごしているのに、うなぎはちゃんと食べるのがすごい。お鮨とうなぎは昭和の宝だわと思う。
でもおじいちゃんはうなぎをちょっと食べて寝てしまった。「ここはなんでもおいしいし、飲みものはこれが特においしいんですよ、このレモンサワー。瀬戸内のレモンで最初から割ってあるんです。よかったら僕、まだ口をつけてないので、ひとくちいかがですか?」
初めて行く居酒屋にふらりと入る。
お通しの皿がねばねばしている。焼きはまぐりの下には小さな字で(ホンビノス)と書いてある。
深夜0時を越えたらいきなり労務者風のひとり客で席が埋まってくる。
これは……駅前だけどこういう感じの店か! と思いながら、パリパリチーズだけ食べていたら、尋常ならざる量の青のりがかかっていて、身も心も青のりだらけになる。それまで動けない体で佐野らーめんのカップ麵を主食にして生き延びていたおじいちゃんは、持っていくものをとにかくよく食べた。
もしかしたらもう1回ひとり暮らしをエンジョイするんじゃ? というほどの勢いだった。
おやつ(おやつ!?)にと、産みたて卵の目玉焼きを2個作って、熱々のまま皿に乗せて歩いて持っていったら、ぺろりと食べたことをよく思い出す。(佐藤)初女さん式で作ったでっかいおむすびも毎回2個は軽く食べた。
ヘルパーさんが来てからはもう私が作ることは日曜日の汁物くらいだったし、それもだんだん食べられなくなっていったから、おじいちゃんが最後にもりもり食べたものは私の作ったものだった。そう思うとがんばってよかったと思う。
父の言葉を思い出して、高級過ぎないどら焼きやお団子(スーパーのレジ周りにありがちな)や、いただきものの高級なプリンや、チョコレートなどの娯楽を取り混ぜつつ、いい米、いい野菜、新鮮な果物だけを心がけた。
(中略)
亡くなる数ヶ月前に、奮発して「ウルフギャング」のヒレステーキ弁当を持っていったら、おいしかったのかペロリと食べたことも忘れられない。
そんな時間を持ててよかったけれど、食べるってすごいことなんだということが骨身にしみた。
これからもちゃんと食いしん坊でいつつ、家では粗食をこつこつ作ろうと思った。食べものには深い意味があることがよくわかった。
コンビニ弁当とラーメンじゃ絶対ダメ。それは娯楽であって、食事ではない。「つゆ艸」でおじいちゃんのところから帰る夫を待ったり、「つゆ艸」の夜の部「CAFE KOYOI」でおじいちゃんちの帰りにパフェを食べたりちょっとお酒を飲んだり。
介護マンションの真ん前にあったそのお店たちは、希望の星だった。
店というものがどんなに大切なものかも、思い知った。
お店の人とちょっとだけ会話できればいい、ひと休みして甘いもの、温かいものを口に入れる。
それだけで人間ってどんな悲しみからも少し復活できるのだ。そんなすごい仕事をしていることを、お店の人たちは絶対的に知っていてほしい。
吉本ばなな著『生活を創る(コロナ期) どくだみちゃんとふしばな9』より