ビッグディナーをあらわす上でカロリー表示が使われているのは斬新だ。
仮にも大人である外交官研修生のステイ先に「コーヒーか紅茶、ジュース、パンと卵料理は必ずつけてください」と学校から要請があるの、なかなか異例ではないか。言っとかな最低限以下、みたいな事例が重なったのだろうな。
ファーラー家の人々は、普段、7時半までに家を出る。朝食はコーンフレークかトーストで済ませる。目玉焼きやベーコンを添えることはまずない。語学学校からは、「生徒に朝食をきちんと食べさせてください。コーヒーか紅茶、ジュース、パンと卵料理は必ずつけてください」という要請があったようだが、私が「昔から朝食は食べない」と言ったら、夫人はほっとした顔をしていた。
(中略)
土日のいずれかに、ファーラー家は朝食と昼食を兼ねたブランチを必ずとる。かなりきちんと準備する。ビールと、ときにはウイスキーも飲む。みんな居間のソファか安楽椅子でときどき居眠りをしながら、夕方まで食べて、飲んで、話をする。ブランチには、農場に住み込んでいるグレンの兄も月1回の割合で参加する。ブランチはファーラー家が家族の絆を確認する重要な行事のようだ。
ブランチはかなり重い。食べ物だけで2000~3000キロカロリーはある。それにビールが加わるので、男性陣は4000~5000キロカロリーくらいとることになる。当然、夜になってもお腹が空かない。それだら、ブランチの日はだいたい1食きりだった。
(中略)
グレンの話を聞いて、私はファーラー夫人が焼くヨークシャープディングについて、ますます興味が湧いてきた。
「しかし、グレンはそんなにヨークシャープディングが嫌いならば、明日のブランチでは何を食べるんだ」と私は尋ねた。
「たぶん、ソーセージとステーキがでると思う。ママがヨークシャープディングを焼くときは、ジャガイモはでてこない。僕はフレンチフライのつけあわせが好きなんだけど、明日はトーストを食べることにする」
「わかったよ。グレンが飢えないで済みそうなので安心した」と私は答えた。
(中略)
ファーラー夫人がグレンを叱っている。バスローブのまま食卓についたので、「着替えてきなさい」と強い調子で言われている。
席につくとファーラーさんから「エールにしますか、ラガーにしますか」と尋ねられた。私は「エールをください」と答えた。ビールキットでファーラーさんが造っている赤味を帯びた褐色のビールがでてくるかと思ったら、台所から缶ビールをもってきた。
「この前いただいた、自家製のエールではないのですか」と私が尋ねた。
「あのエールはすべて飲んでしまいました。ビールキットのエールは美味しいんですけれど、発酵がすぐに進んで、早く飲まないと 酸っぱくなってしまうんです。これは去年のクリスマス前にフランスで買ったエールです」と答えた。
缶の表示を見るとイギリス製だ。なぜフランスで買うのだろうか。グレンが謎解きをしてくれた。「うちでは、クリスマス前にフランスに買い出しに行くんだ」
「買い出し? だって物はイギリスにたくさんあるじゃないか」
「フランスの方が食料品が安いし、それから酒とタバコが免税になる。それだから、家族でフェリーに乗ってフランスに買い物に行くんだ」
「へえ。ドーバー海峡を越えていくの」
「そうだよ。クリスマス前になるとフェリーはお客さんで一杯だよ。それで車のトランク一杯にワインやウイスキー、それにチーズを買ってくるんだ。ジンを買ってくることもあるよ」
「ワインはフランス産なのでわかるけれど、ウイスキーやジンはイギリス産だろう」
「そうだよ。でもフランスで買った方が安いんだ」とグレンが答えた。ファーラーさんと私はエール、ファーラー夫人はウイスキートニック、グレンはドクターペッパー、カーラはコーラを飲んでいる。
スターターはシュリンプ・カクテルだ。細かく切ったレタスの上にゆでエビの殻を 剥いて乗せ、サウザンドアイランド・ドレッシングをかけただけの簡単な料理だが、イギリスではエビは高級食材なので、かなり奮発していることになる。グレンもエビが好きなようだ。
いよいよメインで、ヨークシャープディングがでてくる。その前に、ファーラー夫人はオーブンから山盛りのソーセージをもってきた。
フレミングス・ホテルの朝食に出てきた細くて硬いソーセージがとてもおいしかった。それと同じ細くて硬いソーセージもあるが、今まで見たことがない直径5センチくらいある太くてぶよぶよのソーセージもある。この太くてぶよぶよのソーセージが、パン粉、小麦粉と脂肪がたくさん入ったイギリス特有のものだ。皮に何とも形容しがたい独特の歯ごたえがある。
ステーキは別にグリルで焼いたようだ。ファーラー夫人はもう一度台所に入り、小さく切ったステーキを皿に山盛りにして持ってきた。
ファーラー夫人は、「今、ヨークシャープディングをもってきます。グレンのためにはパンケーキを焼いてあげるからね」と言った。
グレンは嬉しそうな顔をして、「ママ、チョコレートクリームももってきて」と頼んだ。
ヨークシャープディングは、シュークリームの皮のようだ。ファーラー夫人は「これをかけて食べるとおいしいわよ」と言って、ホースラディッシュソースをもってきた。
ステーキはフィレ肉のようで、なかなか歯ごたえがある。太いソーセージは皮が厚く、ナイフでもなかなか切れない。切れたとたんに肉汁が飛び出してきた。ファーラーさんが「肉汁をヨークシャープディングにつけて食べるとおいしい」と言った。試してみると、確かにおいしい。
ヨークシャープディングの外見はシュークリームの皮に似ているが、コシがある。歯ごたえはむしろ肉に近い。
「とてもおいしいです。肉のような食感ですね」と私は感想を述べた。
ファーラー夫人は嬉しそうな顔をして、「まだ肉が高かった頃は、肉の代わりにヨークシャープディングをよく食べました。ヨークシャー州の出身者は、母親からヨークシャープディングの焼き方を教わるんです。家ごとに少しずつ焼き方が違うんですよ」と言った。グレンは話を聞かずに黙々とソーセージとパンケーキを食べている。
佐藤優著『紳士協定―私のイギリス物語―』より