高校の友達は、卒業旅行の朝食ビュッフェでライチを山盛りにしておかわりしていたな。冷凍みかんみたいに中がちょっと凍ってるやつ。
翌週の土曜日、武藤君と一緒にジョージホテルのパブで夕食をとった。こういうときは日本語で話をする。その日私はロンドンに行って、一日中、本屋巡りをしていた。武藤君はいつものように部屋に籠もってロシア語の勉強をしていた。
2人とも赤銅色のビタービールを飲みながら、武藤君はビーフカレーを、私はラザニアをとった。このパブのラザニアはきちんとした味がついていておいしい。テーブルの中心にはチップスが山盛りになった皿がある。パンではなくチップスを主食にすることにした。
ファーラー家のクリスマスは楽しかった。夫人は腕によりをかけてローストビーフとローストターキーを準備してくれた。それにヨークシャープディングもたくさん焼いてくれた。ファーラー家から「モスクワに行ってからも私たちのことを忘れないで欲しい」と言われ、置き時計をプレゼントされた。
私がモスクワに立つ前にバーベキュー・パーティーをやりたいということだった。私は「グレンの家族をレストランに招待する。是非、そうさせてほしい」と強く言ったので、ファーラー家も納得した。ストッケンチャーチ郊外のしゃれた雰囲気のレストランでいっしょに夕食をとった。みんなは牛フィレのステーキをとったが、グレンだけが蛙の肉料理を注文した。
「ミスター・サトウはもうイギリスに来ることはないの。休暇では来ることがあるんでしょう」とグレンが尋ねた。
「鮨でも食いに行くか」
「ストックホルムの鮨は値段と味が釣り合わないな。日本レストランはやめよう。中華はどうだ」
「いいよ。どこかにあてがあるか」
「特にないけれど、ホテルの前のレストランでどうだ。なかなかよさそうだぞ」と武藤君は言った。私は武藤君の後について道路の向かいのレストランに入った。
「ベーコンズフィールド・オールドタウンの中華レストランみたいだね」と私が武藤君に話しかけた。
「佐藤はあのレストランが好きだったよね。よくイギリス軍の連中を連れていったんだろう」と武藤君が答えた。
「そうだよ。イギリス人にとって中華料理は下手物だからね。驚く顔を見るのが面白かった。特にライチーを『ドラゴンズ・アイ』と言うだろう。みんな恐がっていた」
ウエイターに案内されて窓際の席に座った。スウェーデンではアルコールの度数に応じてビールがⅠ級、Ⅱ級、Ⅲ級に分かれる。日本のビールだとⅢ級で、小瓶1本で千円近くする。ここではアルコール類が高く、モスクワで1本200円しかしない500ミリリットルのウオトカが7千円もする。
「何を飲む」と私が尋ねた。
「奮発してⅢ級のビールにする」と武藤君が答えた。
ストックホルムのレストランはどこもポーションが大きい。前菜に春巻きとサラダをとって、メインは豚肉と野菜の炒めにした。日本の大衆食堂ならば500円くらいの定食だが、ここでは5千円もする。
「高いな。モスクワでは高級レストランにロシア人を2~3人連れていって、浴びるほどウオトカを飲んでも5千円あれば足りる」と私が言った。
「そうだね。もっともストックホルムで物資を調達するという建前になっているから、モスクワの日本大使館員も破格の給料をもらっている。スウェーデンの物価が高くなればなるほど僕たちには有利だから、レストランの値段で不満を言うのはやめよう」
「確かに武藤の言うとおりだ」
(中略)
黙ったまま2人で食事を続けた。デザートの杏仁豆腐を食べ終わり、コーヒーが出てきたところで、私が口を開いた。
魚屋にはあのときと同じ水槽があり、鰻が何匹も入っていた。地下鉄駅横の安中華レストランに入り、真っ赤に着色された焼き豚入りのチャーシュー麺を食べた。グレンが輪ゴムのような中華麺に驚いていたことを思い出した。
(中略)
19日の夜はマストニーク夫妻がロンドン北部のチェコスロバキア・クラブに私を招待してくれた。プラハから食材が入ってくるようになったので、以前よりもずっと本格的なチェコ料理になっていた。マストニーク氏が「昔と違って、ケンジントンのチェコスロバキア大使館の外交官たちもよくこのクラブに来ますよ。社会主義体制がこんなに早くなくなるとは思わなかった」と言っていた。
翌日は、ロンドン中央部にある「菊」という日本レストランにマストニーク夫妻を招待した。日本酒の熱燗に天ぷらとすき焼きをとった。
ファーラーさんが皿に焼き上がったステーキ、ソーセージ、野菜を山盛りに乗せてくれた。「ザンビアにいるころは、よくこういうバーベキューをしました」とファーラー夫人が言った。ビールは赤銅色の缶入りのビターだった。私が「もう自家製のビールは造らないのですか」と尋ねると、ファーラーさんは「手間がかかるので、最近は缶ビールになってしまいました」と答えた。
その後、ファーラー夫妻やグレッグやカーラがモスクワの生活やロシア情勢についていろいろ尋ねるので説明した。グレンはそれを黙って聞いている。
「グレンはこんなに無口だったかい」と私がグレンに尋ねた。グレンは、「いつもこんな感じだよ」と答えた。するとカーラが、「グレンはミスター・サトウがイギリスにいたあの1年間だけ、とてもよくおしゃべりをしたんです。それ以前もその後も今のような感じですよ」と答えた。
ジェシーは、絨毯の家に伏せたままでほとんど動かない。
佐藤優著『紳士協定―私のイギリス物語―』より